最終話 ひきこもり薬草医、もう一度魔女となって王子を助ける(「王子と魔女」)
5-1.スーリ休診中
森のなかの素敵な一軒家は、昼を過ぎても静かなままだった。ハーブガーデンに色を添えていた花たちは、来るべき冬にそなえて温室にしまわれている。庭を歩きまわっているガチョウの姿もなかったし、玄関付近には届けられたまま家のなかにしまわれていない食品の袋がならんでいる。扉には「休診中」の札がかかっていた。
応接間は暗くひとけがない。暖炉のある隣の居間は、晩秋のぼんやりした日の光が差しこむだけで寒々としていた。
その暖炉の前に、ガチョウが一羽、たたずんでいる。灰かきをおこたって汚らしい暖炉をながめ、悲しげに首をふった。
さすがにガチョウの身では暖炉に火を入れることはできない。ダンスタンはため息をついて、尻をふりながら寝室へ向かった。
「スーリ殿」
居間から奥につながる、雑然とした書斎の一角が女主人の寝室である。本棚からあふれた本が積まれ、かろうじて表紙が見える本の上には羊皮紙やらロウソク立てやらが重ね置かれている。目隠し布で書斎からへだてられるようにして寝台があり、そこにふとんのかたまりがあった。
「食料を回収して、暖炉に火を入れなさい。なにか食べなければ」
「…………」
しばらく呼びかけてみても、返事は帰ってこなかった。ここ数日は、ずっとこの調子である。
ガチョウは頭をふって嘆き、あきらめて台所に向かった。窓から見える、荒涼とした晩秋の風景に女主人の心象を重ね合わせる。
キャベツをつつきながら、どうしたものかと考えこむ。
彼はスーリと違って生活というものをとてもまじめに考えていたので、彼女の
「すべての男が怪物ではない」
ダンスタンはくり返した。「だが、そう思わせることも、怪物のねらいのうちなのかもしれぬ」
「スーリ先生ー」
声変わりの途中かと思うような、軽やかな少年の声がした。ダンスタンはいそいで勝手口から出て、扉のほうへ走っていく。……近所の集落で使い走りをしているメルが玄関口に立っていた。食料を届けに来たのだろう。
「グワッ」
「先生のガチョウ」
少年はハシバミの目を彼のほうに落とした。「先生、留守なのかなぁ。前に届けたぶんも、ここにあるね」
「ゴワワッ」
「ちがう? そうだよね」少年は考えながらうなずいた。「先生、そと出るのきらいだもん。きっと家のなかだね」
「ガッ」
「研究がいそがしいのかなぁ。先生がくれた書き取り帖、だいぶ進んだんだよ。ぼく、先生に見てほしいんだけどなあ」
「ゴワッ……」
そうだった。スーリには、近所の無学な子どもに勉強を教えてやるようなやさしさがあるのだ。けして、
彼女の凍った心をとかす、なにか良い方法はないものだろうか……。ダンスタンは思索に沈んだ。
♢♦♢
王都からの客人があらわれたのは、ちょうどそれくらいのころだった。
ドアがしつこくノックされ、無視してもいっこうに落ちつかない。どころか、しだいに音が強まって、扉が割れるのではと思うほどだ。
スーリはいらいらと寝台から頭をあげた。土の意識は、屈強な騎士の気配をつたえてくる。……めんどうくささに頭を抱えながら起きあがった。
「土人形……」
「待て」
命令して、彼らを家の前から放り出そうとしたところで、ダンスタンがやってきた。
「彼らを追い返してはいけない。しかも土人形を使っては……。あなたが魔女だと知られてしまう」
「どうでもいいわ」
スーリは怠惰に頭を振った。さざ波のような金髪がゆれる。
「どうせジェイデンには知られてしまったもの」
「だとしても、彼がそれを口外したともかぎるまい。
「……」
「それに、貴女の力を借りたくてやってきたかもしれないではないか? 用心深くあってほしいとは思うが、貴女によって救われた者たちもたくさんいるのだ。それを忘れないでほしい」
「……」
「メルが書き取り帖を持ってきていたよ。貴女に見てほしいと」
「……」
字を教えている少年のことを指摘され、スーリはすこしばかり心が動かされた。
「あなたは価値のある女性なのだ、スーリ。ときには停滞することも必要だが、外界のすべてに心を閉ざさないでほしい」
スーリは寝台のうえでしばらく悩んでから、長いため息をついた。「あなたは……いい友人ね、ダンスタン。ときにはそれがうっとうしくもなるけれど」
そしてようやく寝台から降り、立ち上がった。まずは、人前に出られる格好にならなくては。
♢♦♢
「やあ。あなたがうわさの薬草医かな」
ずいぶん長く待たせてから招きいれた男の、それが第一声だった。後ろに二人、男をしたがえている。護衛らしい騎士姿がひとりと、もうひとりは従者にしては年かさなので、教師だろうか。ひと目で身分ある立場とわかるいでたちだ。
男本人は二十五歳前後で、ちょっとほかに見ないほど美しい顔だちをしていた。女性かと思うような繊細なつくりだが、美貌にはちがいない。
「札が見えなかったの? 休診中よ」
スーリは腕を組んで扉を指さした。「なんのご用?」
「虚弱なもので、滋養の薬なんかないものかなと思ってね」
「ないわけじゃないけど……」
スーリは不審げな表情を浮かべた。「お金に困ってなさそうだから、ご自分のつてで探したら? ここにはあまり高級品はないの」
「商売っ気がないんだね。高額商品を売りつける
「薬は相手を見て売ることにしているの」
スーリはなおも相手をじろじろと観察したが、ひとまず診察のていは取ることにした。「そこの椅子にどうぞ」
問診しながら、男のまぶたや舌や手足にふれて触診する。虚弱の自己申告が嘘ではないことは、それでわかった。上着を脱いだチュニック姿の上半身は貧弱で、
スーリはため息をつき、診察道具を簡易寝台に置いた。上着を着るようにうながす。
「ほかにもちゃんとした医師に診てもらっているでしょう。わたしが処方できるものはないわ」
そして、男の目を見て続けた。「診察が目的じゃないわね?」
騎士が、まるで小姓のようにかいがいしく上着を着せかけた。男はうすく笑んだまま腕をのばして袖を通す。騎士がボタンを留める。
「フィリップ伯がね。私が領地をおとずれることをあまりよく思わないみたいなんだ。狩りは危ないし、
唐突にそんな話をはじめる。スーリは眉をひそめた。
「あなたは……フィリップ伯の関係者?」
男がふくみ笑いをもらすと、背後に立つ細身の男がとがめるような視線を送った。
男はすぐにはそれに答えず、もったいぶった話をつづけた。
「フィリップは昔から、弟たちに甘く、私には冷たくて。辺境でのびのび遊んでいるジェイデンがいつもうらやましかったよ。……私は虚弱だったから、あまり王都から出してもらえなくて」
「あなた……第一王子ね」
スーリはようやく思いあたった。あの肖像画をもっとよく見ていたら、すぐに気がついたかもしれない。王妃に似た美しい顔、絹糸の金髪。
「王太子殿下とお呼びください、薬草医どの」護衛騎士がとがめた。
「そう」
男はにっこりとほほえんだ。「私はジョスランという。きみのところに足しげく通っている男の兄だよ」
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