5-4.男たちの思惑

「こちらでお過ごしでしたか」

 フィリップは、ジョスランに対して深々と頭を下げる。貴賓の間に三人の男。みな、腹に一物ある男たちと言えるだろう。


「うん」ジョスランがにこりとする。侍従が寄ってきて、チュニックの上に上衣を着せかけた。


「今日はモルド山のほうへ行かれたとか。……あまり、あちこちにお出かけになられるのは控えられませ。殿下の目を引くようなものはない田舎領地です」

 ジェイデンに対するのとはちがう、よそよそしく丁重な言葉遣いで、フィリップは忠言した。おなじ兄弟にかける声とは思えないほどだ。


「風邪でも引かせては責任問題だからかい?」

 ジョスランは皮肉げに笑った。「いいや、伯、私はなすべきことをなすし、行きたい場所に行く」

「……。……ご随意ずいいに」


 兄とフィリップのあいだの緊張感を、ジェイデンははらはらと見守った。このふたりは、昔から顔をあわせるとこうなのだ。兄はとげとげしいし、フィリップは仮面でもかぶったような顔つきになる。兄の不真面目なところが、フィリップのかんにさわるのかもしれないが……。


 兄はジェイデンのほうに向きなおった。

「ともかく、スーリ先生とはやく仲直りしなくちゃな。なに、身分なんてなにかしら抜け道はあるものだよ。……かりに伯が反対しようと、私はおまえたちの味方だからね」

 猫なで声を作り、フィリップへのあてつけのようにそんなことを言うので、返しにくい。

「兄さん。ええと……仲直りというほど簡単な状況じゃないよ。それに、伯に反対されてるわけでもないし」

「そうなのか、フィリップ?」

 ジョスランは驚いた顔になった。

「さようで」

 フィリップは仮面のような顔のまま答える。


「ふーん……」

 ジョスランはわずかに間を置いてから、もとの柔和な笑みに戻った。「まあいい。ちょうど伯も来たことだし、本題に入ろう。王都にちょっとした動きがある」

 そう言うと、ひとり掛けの椅子に腰をおろした。小姓がすぐに寄ってきて、ゴブレットに酒を注ぐ。

「父上がおれを呼び戻そうとしてるのも、その関係なのか?」と、ジェイデン。

「たぶんね」

 王太子は立ったままの弟に椅子をすすめもせず、杯をかかげた。「おまえも飲むかい?」

「やめておく。兄さんの健康ワインはマズいんだよ」ジェイデンは顔をしかめた。


「陛下が、ジェイデン殿下を呼び戻そうとしている?」

 フィリップが驚いたような顔になった。「……王都の動きとは?」


「おや。あなたは王宮にまで『耳』を飼っていると評判だが。さすがにこの件は、まだ耳に入っていなかったかな」

「連絡役くらいおりますが、間諜スパイのように言われるのは心外ですな」

「兄さん」

 ジェイデンがたしなめた。兄は軽く肩をすくめる。

「伯はどうだい? ワインは?」

「けっこう」フィリップは憮然とした顔で断った。「それより、お話の続きを」


「ジェイデンと魔女先生のうわさに両親が怒ってね。父が、水面下でコラールの姫君との縁談をすすめはじめている」と、ジョスラン。


「コラールの……って、アグィネア姫?!」

 ジェイデンの声が、めずらしくあわてふためくものになった。「あれは、兄さんへの縁談だったじゃないか」


「そう」

 ワインをひと口すすり、兄がため息をつく。ほのかに、薬草の匂いが周囲にただよった。

「父上も、頭に血がのぼっちゃったんだろうねぇ。母ぎみは止めたみたいなんだけど」

「まさかそんな」


「そうは言っても、コラールのがわも首を縦にはふりますまい」

 フィリップもずいぶん驚いた顔つきだった。「将来の王妃にするつもりで送ってきてるのに、三男王子へと鞍替くらがえされては。外交問題になる」


「それが、そうでもないんだよ」

 ジョスランは言う。「そのあたりも、臣下のあいだで憶測おくそくをよんでいるようだ」


「弱ったなぁ……スーリのことが裏目に出てしまった」

 両親の怒りを予想しなかったわけではないし、縁談なりなんらかの仕返しを受けることも想定していたが、兄の婚約者を自分に縁づけるなどとはまったくの想定外だった。ジェイデンは困ったときの癖で頭をかいた。


あの人がはっきりしないのが、一番の害なんだけどね」

 ジョスランが言う。「私を王太子に立てておいて、こうやってジェイデンにも立太子の可能性があるようなそぶりを見せるから。造反しそうな有力貴族をあぶりだすために、わざと国内を混乱させたいんじゃないかと思うくらいだよ」


「そんな悠長なことを言っている場合ではないでしょう」

 フィリップが厳しい顔のまま言う。「陛下にも忠言せねば。このままでは、ジェイデン殿下に簒奪さんだつのご意思ありと思われてしまう」


 ふたりの会話を聞いて、ジェイデンは考えこんだ。

「弱ったな。スーリとのことがちゃんとするまでは、ここに留まるつもりだったんだけど……。ほんとうに一度、帰るべきだろうか」


「それがいいかもねえ」ジョスランも賛同した。

「一度、父上たちに申し開きしてきなさいよ。面と向かえばおまえのコミュ力で、うまく丸めこめるかもしれないし」


「それはよろしくないですな」と、フィリップが反対する。

「陛下は脅しでそんなことをなさる方ではない。王太子殿下をいていま帰還すれば、そのまま婚約をすすめられる可能性は高い」


「かといって、ここにとどまればますます父はかたくなになるよ」と、兄はいい、薬くさいワインを飲み干した。


「兄さんの言うとおりだ。このままじゃ国のあいだの信用問題になってしまう」

 ジェイデンはしばらく悩んだ。スーリのこともアグィネア姫のことも、根はひとつの問題にいきつく。王子として王権にどう向き合うかという立場の問題に。いずれは父に相対することは避けられない。

 意を決し、フィリップのほうに顔を向けた。「……しかたがない。夕方には出立します」


「ジェイデン」

 フィリップはとどめる口調になった。「だが、スーリ先生のことはどうする?」


「もとはといえば、父がスーリを探ってこいとおれに命じたのが、ことのはじまりだ。そこを解決しないまま関係を深めたんだから、こばまれて当然だった」

 兄のワイン瓶のあたりに目をさまよわせながら、ジェイデンは考え考え口に出した。「でもやりなおしたいんです。つぎに彼女に会うときには、隠しごとはしたくない。今がその機会なのかも」


「わかった」

 フィリップがうなずいた。「だが、いますぐは早すぎる。騎士たちにもしたくをさせねばならんだろう?」

「いえ、おれと数名だけで先に行くつもりです。ガウェインとケネスと。それなら、すぐにでもてる」

 ここで時間をおいても意味はない。そのつもりだったのだが、ふと肩にフィリップの手が置かれた。「……明日にしなさい、ジェイデン」


 金茶の目が、おなじ高さにあるジェイデンの目にじっとそそがれていた。気圧けおされたわけではなかったが、なぜかジェイデンはうなずいていた。その様子をじっと兄の目が観察していたのだが、このときは気づかずにいた。


 ♢♦♢


 その夜、男はまた夢を見ていた。堅固な城塞じょうさいをするりと抜けて、悪魔は彼の寝台にあらわれた。夜闇がとけるように悪魔をつつみこんでいる。


「明日だ」

 男の耳もとで、悪魔はそうささやいた。「明日だ」


 その言葉を合図に、『目』たちがいっせいに瞼をひらき、原初の星のように力づよくまたたいた。

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