1-4.しかたなしの人探し

 馬上から転げ落ちた王子は、お世辞にも威厳たっぷりとは言いがたかった。びっくりして見開いた栗色の目と、スーリの灰色の目が交差した。カエデの黄色い葉が、ひらりとふたりのあいだを舞う。……


 職業上見てみぬふりもできず、簡単な応急手当をしたのが運のつき。以降、家まで押しかけられ、やれ観劇だの買い物だのと毎日のごとく誘われて困惑している。断っても断ってもめげずにやってくるので、先日などは根負けしてあいまいにうなずいてしまった。それが、例の「芝居の約束」の件である。


「あのときは心臓が高鳴ったなぁ。きみは白くてすごくきれいで、雪山の精が降りてきたのかと思ったよ」

 王子の言葉にスーリは顔をしかめた。

「放っておけばよかったわ。どうせあなたには、侍医の一団がついていたんだから」

「ははは、ちがいない」

 ジェイデンはちょっとしたジョークを聞いたように笑った。この男、異常にメンタルが強い。スーリの皮肉など、彼にはかすり傷ひとつつけられないのである。


「例のご婦人がナッツを拾いにくる林は、このあたりのはずだね、コン?」

「はい、殿下」

 部下と思われる男がきびきびと答えた。「歩きやすい山道で、老人や子どもがよく訪れるそうです」

「ご婦人を最後に見かけたのは?」

「おなじくナッツを拾いに来た親子が、二日前、山道ですれ違ったと」

「では、その道からはじめよう。山にくわしい者をリーダーに班をつくって……」


 男たちに号令をかけるジェイデンは、なかなか有能な指揮官に見えた。馬から転げ落ちて目をぱちくりさせていた男と同一人物とは思えない。


「これだけ人手があれば、すぐに見つかりそうね」

 スーリは楽観的につぶやいた。冷えこみはまだ本格的ではない。沢にでも落ちていたら別だが、体力が尽きて動けなくなっているだけなら、無事で探し当てられるかも。


「……」ジェイデンはなにごとか考える様子だった。


「なにか気になることでも?」

「いや」王子は首を振る。「今の時点ではなにも」


 このあたりの森はスーリもよく散策する場所で、土地勘もあり、王子たちを案内しながら彼女も探索にくわわった。ときおり、彼女の姿を見てはささやきあう声が聞こえることもあり、見慣れぬ女がめずらしいのだろうと思われた。人の群れのなかは、やはり落ち着かない。

(でも、あの王子とふたりきりで観劇だの庭鑑賞だのに出向くよりは、まだマシだわ)

 スーリはあえて自分に言い聞かせた。


 落ち着かない時間はそれほど長くは続かなかった。


 実際のところ、スーリの楽観的な見とおしは当たっていた。まだ日も高いうちに、老女が見つかったとの報告が王子に告げられたのである。

 

♢♦♢


「ほー、孫娘がねぇ。この婆を探しておったと。それは気づかなんだなぁ」

 茹でた海老のように腰が曲がった老婆は、薄汚れたエプロンで手を拭きながらそう述べた。「栗食べるか?」


 武装した男たちに囲まれてもうろたえず、助けを喜ぶでもなく、つい今しがた山に入ったばかりという風情である。ただ、服や頭巾は相応に汚れていて、数日の経過をものがたっていた。


「見つかったぞー」

「他の班に伝達しろー」

 男たちの声が、木々のなかをわたっていく。捜索は夜になる前に無事終了となったわけだ。


 老婆はややふらつきがあったものの目立った外傷もなく、なぜこんなに大勢が集まっているのか理解できていない様子だった。

「みなさんの手をわんずらわせて、はぁ申し訳ねぇことで」


「まったくだわ」スーリは正直な感想を述べた。倒木に腰をかけさせ、着衣の上から簡単に全身状態を確認する。

「ケガはない?」

「はぁ、とくにどっこも。歩きすぎたか、ちょっとふらつくがねぇ。腹が減った」


「二日間、ずっと山のなかにいたんですか?」

 王子が丁重に尋ねるが、老婆はあいまいにうなずいた。「今日はいちんち、ずっと栗を拾っちょったよ」

 もちろん、そんなはずはない。栗を拾っているうちに道に迷ったのだろうとスーリは推測した。歩き疲れたら灌木かんぼくを風よけにして眠り、秋の恵みで食いつないだ。運のいいことに危険な生物に出くわすことも、沢に落ちることもなかった。もしかしたらボケていることがさいわいしてパニックに陥ることなく、体力の低下をふせいだのかもしれない。そういう幸運が重なったのだろうと思った。


「事情を聞きたいけど、覚えてないかもしれないなぁ」

 ジェイデンは困った顔でほほをかいた。

「事情はともかく、見つかったんだからいいじゃないの」

 スーリは楽観的に言った。見たところなにも奪われていないし、ケガをした形跡もない。無事に見つかったのなら、経緯などさまつなことだと思ったのだ。

「行方不明になってから二日でしょ? 元気に見えても、脱水や感染症の心配もあるわ。念のためうちに連れてきてくれる?」


「気になる点はほかにもあるが……。ひとまず、そうしよう」ジェイデンはうなずき、老婆に向き直った。「さ、馬に乗りましょう」


「きれいな旦那さん、栗食べるか?」

「ありがとう。あとでもらうよ」

 老婆の背を優しく押して、馬にまたがるのを手伝う。ジェイデンの姿を、スーリは満足げに見守った。ひと仕事終えた感でいっぱいだった。



 その後にさらなる混乱がおとずれようとは、スーリはまったく想像もしていなかった。


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