1-5.消えた娘

「はぁ、ここがあんたの家だか」

「そうよ。暗いから、足もとに気をつけて入って」

「ありがてぇ、では、お邪魔しますだ」

 スーリの声かけに、老婆はよぼよぼと家屋内に入った。


 老婆を応接間の椅子にかけさせると、居間の暖炉を使ってお茶の準備をはじめる。客人を茶でもてなすという礼儀はスーリにはそなわっていない。老人は脱水になりやすいという経験則からの、たんなる対処行動である。


 遭難しかかっていたのを見つかったばかりだというのに、老女は意外な体力を見せ、応接間をうろうろと歩きまわっているようだった。

さまはどこかね?」

 椅子の背をさすりながら尋ねてくる。「飯炊かんと、爺さまにどやされる」


「食事のしたくはいいわよ。誰か置いていってくれたわ」

 つるし鍋のなかをのぞきこんで、スーリは言った。家まで送り届けてくれた兵士が、気を利かせてスープを持ってきてくれたのである。種なしパンはおととい焼いたのがあるし、これで夕食にはじゅうぶんだろう。


「『爺さま』って……あの子はたしか、父親と三人暮らしと言ってたわよね。やっぱり、ボケはじめているのかしら?」

 スーリは診察上の失礼な疑問を堂々と口にした。「だとすると、レモンバームのお茶がいいかしらね」


「ひもじいよぉ。早よ飯にしよまい」

「はいはい」


 スーリは二人分の食事を並べ、老婆にふるまった。

 やわらかいパンが食べられるのは買い物に出た日だけで、あとは自分で焼いたぼそぼその種なしパンしかない。しかし小麦は上等でふすまも入っていないし、スープには豆だけでなく肉も入っていて、おいしかった。老婆は食欲旺盛で、皿までなめつくす勢いだった。


「こんな山んなかに、若い女ひとりで、大変なこったなぁ」食後の茶をすすりながら、老婆が言う。


「ひとの群れのなかで暮らすほうが、ずっと大変だわ、わたしにとっては」

 スーリは言った。「ひとの悪意に対処するくらいなら……ひとりで暮らすほうが、ずっといい」

「そうかぇ」

「ええ」


 外は風が強くなってきたらしく、鎧戸がカタカタと鳴った。燃えた薪がやわらかく崩れる音が聞こえるほどに静かだ。

「がぁがぁ鳴きよるね」

 老女は窓の外に目をむけた。「ガチョウにエサをやったかね?」

「放っておいていいわ。彼は、自分のめんどうは見られるから」


 老女は質問ぜめでスーリを閉口させたものの、めだった外傷もなく、診療台がわりのベッドですこやかに眠りに落ちた。ふだんの診療とはちがうが、ともあれ老女が見つかってよかったとスーリは思った。明日には孫娘と再会できるだろう。そうすれば、スーリもまた静かな暮らしに戻ることができる……。彼女の心はふたたび平穏を取り戻しつつあった。



 翌朝ジェイデンがやってきて、その見とおしがくつがえされるまでは。



 ♢♦♢


「娘がいない? どういうことなの、殿下?」

 スーリは眉をひそめて尋ねた。声量を落としたのは、老婆がまだ応接間で寝ていたせいである。


「殿下、はやめてほしいなぁ。すごく距離を感じるよ」

「王室の人間にしかるべき敬意をはらわないと、のちのちめんどうなことになると前に学んだのよ」

「うーん……。きみの信頼を得るのは、なかなか簡単にいかないみたいだね」

 ジェイデンはめげない様子だった。


「それはそれとして、ポリーと名乗った娘のことだけど。……まず、彼女が告げた自宅の場所が存在しなかった」応接間の椅子にかけ、説明をはじめる。

「自宅が? なぜ?」

「それ自体は理由が考えられなくもない。ポリーが字を読めなかったとか、住所をきちんと把握していなかったとかね。小さな村だし、それくらいはふつうにある」

 だから彼は村長の家をたずね、娘の名前と特徴をつたえて呼び出そうとしたのだという。ところが――


と言われたよ」


「まさか」スーリは目を見ひらいた。「そんなはずないわ。あの子自身がそう言ったじゃないの。なにかの間違いでは?」


 だが、ジェイデンは首をふる。

「イサック村に牛飼いは一軒しかない。若い夫婦で、あんな娘がいる年齢としじゃない。領主館に出入りしている下働きの女たちにも聞いてみたが、ポリーという名の娘はいなかったよ」


「そんな……だって……」スーリはいぶかしんだ。

「嘘をつく理由がわからないわ。あの村からじゃないとしたら、よその村だか町だか、わざわざ遠いところから来たことになる。ただわたしをからかうためだけに、そんなことするかしら?」


「からかうだけならいいが、もっと違う目的がある可能性もある。警戒したほうがいいよ」

「そうかしら……」

 ジェイデンの表情は、ふだん見ないけわしさだった。だが、うわさの白魔女を前におびえていた娘を思い返すと、すぐには悪意を信じられない。


「じつは彼女の話をいっしょに聞いていたときにも、ちょっとおかしいなとは思ったんだけどね」

 長い脚をくみかえ、ジェイデンは考える風情になった。山を捜索していたときの彼の様子を、スーリはふと思いだした。たしかに、なにか気がかりなことがあるふうに見えた。


「おかしいって……なにが?」

「おれたち以外に、だれも探していなかったことが」

 テーブルのあたりをさまよっていた目が、スーリにむけられた。「秋の実りが多い時期だ。お年寄りの行方不明も、決してめずらしくはない。熊に襲われたとかいう被害だって皆無じゃない。……老女がひとりいなくなれば、おれたちが出るよりさきに、村人たちが山探しくらいするだろうとは思った」

 そう説明を続ける。「フィリップ伯に報告が行くのはまだ先だろうが、おれの耳にくらいは入りそうなものだ」

 王子が説明するあいだにも、老婆の不規則ないびきが聞こえていた。


「……そういう……ものかしら?」

 スーリは村で暮らしたことがないのでわからない。村どころか、人の集団のことさえよく知らないのだ。そんな彼女の様子を、ジェイデンはじっと観察しているようだった。


「ふだんからもっと村に出入りしていれば、そんな女性ははなからいないと分かったと思うよ」

 彼の言葉にとがめる意図はなかったが、スーリは不機嫌になった。


「できるだけ、人とかかわりたくないの」

「だけどそのせいで、やっかいごとをしょいこむはめになっている」

「……」

「人とのつながりがあれば防げるトラブルもあるはずだよ」

「人とのつながりのせいで起こるトラブルのほうが、ずっと多いわ」

「それは――」

 言いかけた男をスーリはさえぎった。「あなたは違うでしょうけど、わたしにとってはそうだったの」


 思いがけず激しい口調になってしまった。スーリは気まずくなって顔をそむける。ジェイデンの言葉が親切心からのものだということはわかってはいるのだが、長年の警戒心はなかなか消えてくれない。


「あの子が村人じゃなかったとすると、じゃあ、この老婆は誰の家族なのかしら?」 

 話を変えたくなり、スーリは老女のほうへ首をむけて疑問を述べた。

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