1-6.バーバヤガ
「彼女のほうの身元についてだね。今のところはなんとも……。ただ、きみの言うとおり、行政の仕事になった」
ジェイデンもため息をついた。「おれは城にもどって、フィリップ伯に報告するよ。それから教会に行って、名簿もあたってこよう。このおばあさんか娘かの記録があるかもしれない」
「……」
なんと返すべきか、すぐには思いつかなかった。
そもそも娘はスーリのもとへ依頼に訪れたのだから、彼女に端を発したトラブルといえる。
目の前の男が、ほんらいスーリが自分でやらねばならない事務仕事を、かわりにやってくれようとしているのだということはわかった。そういう場合にかけるべき言葉は……しかし……。
「……お……」
スーリはその言葉を言うのがイヤすぎて、背中と服のあいだに甲虫が落ちたみたいな顔になった。
「『お』? なんだい?」
ジェイデンがふり向く。
「……おねがい……するわ……」
「背中と服のあいだに甲虫が落ちたみたいな顔になってるよ。白魔女さん」
よほどその顔が愉快だったのか、ジェイデンはこぶしを口もとにあてて笑いをこらえた。「美人なのに、そういう顔をするから。たまらなくかわいいね」
「……そ……!」
思わず百面相になり、よけいに男を面白がらせてしまう。そんなことは言ってほしくない。欠点でさえこころよく感じるというような、そんな言葉は。
だが、なんと伝えればいいのかわからないでいるうちに、ジェイデンは立ち上がった。「さて」と膝をはらい、扉のほうへ体をむける。
「きみにはもうすこし、彼女の世話をお願いするよ。お年寄りをあちこち連れまわすと、混乱するだろうから」
「そうね」
「ただし、兵士もつけておく」
王子は表情を引き締めて腰をかがめ、ぐっと体を寄せてささやいた。「たんなる言葉の行き違いだといいけど、彼女も不審な人物であることに変わりはないからね」
「……。わかったわ」
「そうだ。出る前に、これを渡そうと思ってたんだった」
身体を離すと、やや声を明るくした。机に置いていた袋から布にくるまれたなにかを取り出し、布から出してスーリに手渡す。
「きみが来ないうちに、見ごろが終わってしまいそうだから。……トゲは抜いてもらったよ」
ベタなことに、深紅の薔薇であった。ベタだということも、スーリは知らなかったのであるが。
「そんなにイヤがらなくても」
スーリの情けない顔を見て王子はさらに笑い、後ろ手を軽く振ってから出て行った。
♢♦♢
机の前にぼんやりとたたずんだまま、スーリはもの思いに沈んでいた。昨日からのめまぐるしい出来事に疲れをおぼえはじめていたし、それに……。
「水さしに挿してやらなくて、いいのかえ?」
老女の声に、もの思いが破られる。暖炉の前にかけて、鍋のなかをしきりにかきまぜているらしい。
「水さしが要るの? 知らなかったわ」
スーリは答えた。花などもらったことがないので、思いいたらなかった。薔薇は花よりも実に効能がある。だから実のことは知っているのだが。
「どうせなら実のほうをくれたらよかったのに。そしたら、お茶にして飲めるわ」
「殿方は花を贈りたがるもんさ。百合は純潔、薔薇は情熱。秘めたる思いを花にのせて、というやつだよ。ウッヒヒ」
老女は好色な笑みを浮かべた。「男前じゃないか、あの王子さまは? 糖蜜パイを見つけた蟻みたいに女が群がってきそうだね。それに、声もいい」
「もしこれが、『秘めたる思い』とやらの表出なら……受け取るべきではなかったわ」
スーリは窓の外を見ながらつぶやいた。「わたしはだれのことも愛せないもの」
ジェイデンが悪い人間ではないのは、この短いつきあいからもわかっていた。身分をかさに無理を押し通すようなこともないし、老婆や娘に見せた親切心も本物だろう。だが、相手がどんな男だろうと、スーリの答えは変わることはないのだ。
「『この薔薇を火中に投ずれば、それは燃え尽きたと、灰こそ真実だと、おまえは信じるだろう』」
老女の口からもれた言葉に、スーリははっと身を固くした。よく知る言葉だったからである。ふり向くと、暖炉の前で老婆が立ち上がっていた。
その手にはジェイデンの薔薇があった。
「知り合いの魔術師の言葉さ。あんたも聞きおぼえがあるだろ? 初歩の本にも出てくるからね」
「……」
「『だが、よいか、薔薇は永遠のものであり、その外見のみが変わり得るのだ。ふたたびその姿をおまえに見せるためには、一語で十分なのだ』」
老女は薔薇を暖炉に投げこんだ。
「燃えた薔薇をよみがえらせることはできるかえ? 白い魔女よ」
「あなたは……!!」
スーリは絶句した。「だれなの? なぜそんな言葉を知っているの?」
「さてね。バーバヤガとでも呼んでもらおうか。もちろん、同業者にほんとうの名前は教えたりはしないよ」
老女は不気味な笑い声を立てた。室内だというのに風がたち、暖炉の炎に照らされた小さな影を生物のようにはためかせる。
「うわさの白魔女とやらに会いに来たのさ」
老女がすっと背筋を伸ばすと、ポリーと名乗ったあの娘の姿になった。老いた姿が想像できないほどにいきいきと、若くつやめかしく……。影がゆらめくと、また老婆の姿にもどる。その目は妖しく輝いていた。もはや、ただの老婆には見えなかった。
「ご同業なら、新米のほうからあいさつに来るのが礼儀ってもんだけどね。あたしの縄張りの近くに来るならさ」
老婆はあざけりをこめて言った。「ま、若いのってのはいつもそうだ。自分のことしか見えてない。嘆かわしいね」
「わたしは――」
魔女じゃない、と言いかけたスーリの目の前が、とつじょ真っ暗になった。まるで夜の毛布を急にかぶせられたかのように。声を出そうとした瞬間、切れ目が開くように幾百もの目が、そこに出現した。
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