1-7.スーリVS魔女
目、目、目。
大きさも瞳孔の色もちがう幾百もの目が、スーリを取り囲んでいた。大きなものはオオカミや羊ほどもある。だが、目にはちがいなかった。なじみ深い部屋の様子は一変して、星のかわりに目が光る闇につつまれている。
「……」
「さて、あんたのことをちょっとばかり教えてもらおうかい」
老婆の声がした。さきほどまでの、
「生まれは、契約者は? どんな魔法を使う?」
書斎をあさっているのだろう。ごそごそと紙がすれる音がした。スーリは老婆の位置に注意しながら、そっと暖炉に近づいた。闇はおそらく漁網のように彼女を包んでおり、動けば持ち主に伝わるかと思われたが、老女の質問は続いていた。
「ほーら、あたしの目たちをごらん。温かい闇はあんたの味方だよ」
闇のなかから、声はそうスーリに語りかけてくる。「こっそり打ち明けたくなってくるだろう?
(なるほど、たしかに催眠効果を感じる)
そして声が聞こえるということは、見えないだけで外界から隔絶されているというわけではないらしい。ためしに背後にそっと手を伸ばすと、指先がぎりぎり壁にふれた。実体がある。
ジェイデンがつけてくれたという兵士たちはどうなったのだろう。スーリの目には見えなかったが、彼女にかけられたものとおなじ魔法がかけられているのかもしれない。すぐに姿を見せないということは、そういうことだろう。助けを期待するのは、難しそうだ。……ということは、自分でなんとかしなければいけない。
(落ち着いて。これもひとり暮らしで対処しなきゃいけないことよ)と、自分に言い聞かせる。
魔女はどうやら情報収集に気を取られているらしい。スーリは暖炉の石に手をはわせて、そこに何があるかを確かめた。催眠に惑わされないよう冷たい石に意識を集中し、老婆の声の内容は無視してその位置だけを知ろうとした。
落ち着きとタイミングが大事だ。老婆のいる場所が問題で、目が見えないいま書斎では遠すぎる。暖炉のあるこの居間の、それでいてスーリの動きが見えづらい場所に来たときがいい。なにかいい陽動はないものだろうか。相手は自分の情報を知りたがっている……スーリはあることを思いついた。
「こっちへ来てはだめ……
彼女が苦しげな様子をよそおってつぶやくと、老婆は「おお! おお!」と喜びの声をあげながら居間に戻ってきた。
「師匠がわかれば魔法の種類もわかる。どれ、その手紙とやらは……」
『その手紙とやら』は、窓際のライティングビューローに、無造作に置かれていた。手紙を手に取ろうとすると、自然と、スーリに背を向ける姿勢になる。しかも、ここから三歩ほどの距離。
(今だわ)
スーリは手さぐりで火ばさみをつかみ、暖炉にくべていた薪を老婆めがけて投げつけた。
「ぎゃあっ!」
見えなかったが、どうやら命中したらしい。老婆の悲鳴とともに、スーリのまわりの闇が晴れた。巨大な目たちは所在なげにまたたいて消えていく。暗闇から一気に明るくなり、慣れるまで目がちらついた。
「なんてことをすんだい! ほんものの火じゃないか!」
老婆がふり返ってほえた。薪はうまいこと曲がった背中に乗ったと見え、長い髪に燃え広がろうとしていた。「魔女なら火くらい、自分の力で
老婆がなにごとかをつぶやくと、火はかき消えた。
「あいにくとわたしは魔女じゃないの」
スーリは火ばさみを捨て、その隣にあった灰かきスコップに持ち替えた。「かりにそうだったとしても、暖炉があるなら火はそっちを使うわよ」
「魔法をお使い! この未熟な鼻たれ娘めが!」
スーリは魔女の挑発を無視してスコップを振りまわした。
……が、老女は見かけによらぬすばやさでしゃがみこむ。スコップの一撃はダイニングテーブルに傷をつけただけに終わった。
その隙に、魔女には呪文をとなえる時間ができた。ぐにゃり、とスコップの柄がゆがんで、スーリは目を見ひらく。さらに、食卓のスープが皿ごと投げつけられた。思わず、曲がったスコップで顔をかばう。皿が割れ、冷めかけたスープが顔にかかった。
流れるような一連の動きで、何をしたのかが彼女にはわかった。幻術だ。スコップの柄を魔法で折れるのなら、続く一撃はもっと威力を出せるはず。そうではなかったということは、これも暗闇とおなじ、目くらましなのだ。
スーリの推測どおり、スコップの柄は曲がっていなかった。しっかりと構えなおし、老婆を挑発する。
「そっちこそ、こんな目くらましじゃなくて魔法を使いなさいよ。このあたりの魔女の総締めみたいな口ぶりだったくせに」
「馬鹿にしてくれるじゃないか、小娘。……だけど、これはどうかね?」
魔女バーバヤガが呪文をとなえて指をふった。
――なにかが来る!
スーリはとっさに、スコップを顔の前に出して衝撃をふせいだ。ぱしゃん、と思ったよりも軽い衝撃を顔に感じる。
「……水?」
驚いたのもつかのま、顔にかかった水はみるみる質量をまして、繭のようにスーリの頭部をくるみこむ。
「けっけけ! くらったな!」
老婆は勝利の笑い声をあげた。「大好きな家のなかで溺死しな。願いがかなって、嬉しいだろ?」
それから、ふと首をひねった。「かまどと井戸は、生活魔法の初歩の初歩。それができないということは……やはり魔女ではないのかねぇ」
言い返す余裕はなかった。顔のまわりを水が覆っていて、息ができない……。引き離そうともがくが、文字通りの水は指のあいだから逃げるばかりだった。
とっさに息をとめたが、すぐに限界がきそうだ。なにか方法はないのか。この水頭巾を顔につけたまま、術者の老婆を攻撃するとか――いや、さきに酸素を使いきってしまいそう。ほかには、ほかには……
なにも思いつかない。いよいよ非常手段かと、スーリが身体をこわばらせたそのとき。
「ぎゃーっ」
水の壁ごしに、老婆の悲鳴がくぐもって聞こえた。同時に、ぱちんとはじけるように水の術が消える。
水中から解放されたばかりで、空気を求めてあえぐことしかできない。……水面の鯉のようにぱくぱくと空気を取りこんでから、スーリはようやく目の前に向きなおった。
「ギイィィィエエアァ!! ガアァァァーッッ!! ゴア゙アァァァーッッ!!」
地獄のサイレンかと思うようなすさまじい音で、なにが起こったのかすぐにわかった。バサバサバサッといういさましい羽ばたき音と、あたりに舞う羽毛がそれに続く。
「ダンスタン!」スーリは相棒の名を呼んだ。「さすが騎士、すばらしいタイミングね!」
「なんなんだいこのイカれたガチョウは?!」
くちばしで激しくつつかれながら、老婆が叫んでいた。「おやめ! あたしはキャベツじゃないよ! つつくんじゃない!!」
鳴き声のうるささもさることながら、エサをつつくダンスタンの勢いはすさまじく、剣士の突きにも匹敵する。魔女バーバヤガも、それを痛感していることだろう。スーリはようやく落ち着きを取り戻した。
「スーリ! 無事か!?」
そしてそこにようやく、ジェイデンがやってきたのである。
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