1-8.灰になっても消えないもの

  ♢♦♢  ――ジェイデン――


 ジェイデンは村に戻ったのではなかった。


 スーリには「老女の身もとはまだわからない」と言ったが、娘とおなじように老婆もまた村に存在しないことは、すでに確認していた。だからフィリップ伯に兵を借り、急いでスーリの家へと向かったのである。

 老婆と娘がともに嘘をついているのなら、考えられるもっとも高い可能性は犯罪だ。さらに、ほかにも仲間がいるとしたら? スーリの家には書籍や薬品類など、金に換えられそうなものがたくさんある。女たちが強盗の引き込み役であることを、彼は疑ったのだった。


 そして、スーリには事実の一部をふせたまま、家の前に兵士を数名残して、彼と本隊は近くに隠れて待っていたのである。


 こちらに疑われていることがわかれば、かれらもなんらかの動きを見せるはずだ、というのがジェイデンの読みで、それはいちおう当たっていた。


 ほどなくして見張りに立っているはずの兵士がうつらうつらと舟をこぎはじめた。必要なら三日でも徹夜できる屈強な男たちなので、異常と言えた。だが家のまわりに賊の気配はない。様子を見るべきか突入するべきか決めかねていたところで、スーリのガチョウが庭を爆走し、裏口から突入して――ええいままよ、とジェイデンたちもあとに続いたのである。


「スーリ! 無事か!?」


 兵士たちをともない、大きな音を立てて入ってきたジェイデンの目に入ったのは、部屋のなかをふわふわと漂う羽毛。そして、勇ましく羽ばたきながらグワッグワッと鳴くガチョウと、その脚に蹴られている老婆の姿だった。


「ローストにしてやるよ! このいまいましいガチョウが! おやめ! おやめったら!!」

 魔女の悪態があたりにうるさく響いていた。


 ジェイデンは老婆を捕縛させ、城へ連行するようにと命じた。あわただしい音が続き、そして家のなかは静かになる。


「娘のほうはどこへ行ったんだ?」

 尋ねると、スーリがそっけなく答えた。「知らないわ」


 その言葉には、なにかを隠しているようなかたくなさが見てとれた。が、ジェイデンは深く追求することはせず、部屋のなかを見まわした。ガチョウの羽が舞い、スープ皿は砕け、床は汚れてところどころ黒く焦げている。

「きみのガチョウに後れを取ってしまった。……ずいぶん奮闘したみたいだね」

 ふと、書き物机の近くに落ちている手紙に目がとまった。拾いあげようとすると、

「さわらないで。弟からの手紙よ」ととがめられる。なかなか、警戒心をといてはもらえないらしい。


 その後しばらく片付けを手伝い、清潔そうな布を探し出してきてスーリに手わたした。

「けっきょく、あちらのご婦人のほうも魔女だったというわけか」とつぶやく。

「ただのボケて狂暴な老婆かもよ」

 顔や髪をふきながら、スーリはため息まじりに続けた。「それにわたしは魔女じゃないと、なんど言ったら……」


 ジェイデンがその後をとった。「薬草医だね。薬草医のスーリ。外に出るのが嫌いで、休みの日は予定を埋めたくなくて、ハーブと本と甘いペストリーが好き。ガチョウを一羽、飼っている」


「そ……そうよ」

「冷たく見えるけれど、病人には親切だし、放っておけないところもある」

 ジェイデンは話しかけながらスーリに近づき、彼女の肩についた羽毛をはらった。「……ほら。なんども会うと、それだけおたがいのことがわかるだろう?」


「それは……わたしは……」

 スーリはなにかを言いたそうに、もぞもぞと身じろぎした。「わたしは、おたがいのことを理解しあいたいわけじゃない」とでも言いたいのだろう。王宮で生きていると、ちょっとした言動から相手の本心を読むことに慣れてしまう。スーリは自分で思うほどには感情を隠しきれておらず、そこがかわいい。本人に言うと怒られることを学んだので、言わずにおくが。


「薔薇、燃えてしまったの」

 言いだしにくそうに顔をそむけて、彼女はジェイデンに打ちあけた。「その……ご……ご……」

「『ご』?」

「ゴムの木は、熱帯に生える多様な属の一般的呼称で……」もごもごと不明瞭につぶやく。


「ははは」

 ジェイデンは思わず笑った。腹をおさえて、身体を折るほどの勢いで。人に頼ったり謝ったりするのが苦手だとは思っていたが、まさか、これほどとは。


「な、なんで笑うのよ?!」

 スーリが目をつりあげる。その目は薄い灰色で大きくて……

「きみはほんとうにかわいい」

 あ、けっきょく言ってしまった。

「はぁ!? 今のさっきで、いきなりなんなの?! 頭がおかしくなったんじゃないの?!」

 そして、やっぱり怒った。


「はぁ……」

 目じりからこぼれそうな涙をぬぐいながら、ジェイデンはようやく身体を起こした。やれやれ、嫌われないうちに早めに退散しよう。長居するより、毎日顔を合わせるほうが親密さを増してくれると彼は期待しているのだ。


 早く帰ってほしいからか扉まで見送ってくれるスーリに、ジェイデンは宣言した。

「薔薇はまた持ってくるよ。つぎは二輪、そのつぎは三輪」

「なぜ?」

「おれのことを意識してほしいから。薔薇を見たら、思いだすだろう?」

「意外に姑息な理由なのね」

「マメなことで売ってるんだ。三男坊の処世術だよ」


 それを聞いたときの、彼女のイヤそうな顔ときたら……。帰り道も思いだしては、馬の背でくっくっと笑うはめになった。


  ♢♦♢  


 王子が去ると、スーリは家を簡単に片付け、戸締まりをした。床材の修繕は、明日以降の課題だ。それに、食品も買い足さないと。


 だれもいない、彼女ひとりの家。この家はスーリがどうしても手にしたかったものの象徴だ。おだやかで心満ちて、だれにも傷つけられることなく、孤独で。この平穏を、彼女はだれにも奪わせるつもりはなかった。


――その孤独を、自分からやぶる日はくるのだろうか?

 スーリにはわからなかったし、あえて考えないようにしていることだった。イレギュラーから生まれる幸福な出会いよりも、孤独と平穏のほうが望ましかった。今はまだ。


 付近にもうだれもいないことを念入りに確認してから、暖炉の前にそっとひざまづいた。

 残ったわずかな灰を手のひらにのせて、小さな声である言葉を唱えた。老婆が知っているという、その錬金術師のように……。


 薔薇はよみがえった。


 つやつやと深紅に輝く花弁に顔を近づける。芳香ほうこうとともに力が彼女のなかに流れこみ、なじみぶかい感覚で彼女を満たした。

「こんなことができるより、いまは薔薇が長持ちする方法を知りたいわ」

 スーリは口もとにおだやかな笑みを浮かべた。そして、水さしを探すためにキッチンへ戻った。




【第一話 終わり】



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引用(『1-6.バーバヤガ』内)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『パラケルススの薔薇』国書刊行会、1990

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