2-7.純粋な悪意
「つつましやかな戦利品だな」
エプロンの上にのせられたケーキのふた切れを、ジェイデンはそう評した。さきほど、城のキッチンから盗んできたばかりのものである。ふたりは人目につかない裏庭で合流したところ。貴婦人たちが
「あんなことをさせるなんて。ほんとうに信じられない。窃盗よ?!」
スーリはまだぷりぷりと怒っている。「捕まったら、どう責任を取ってくれるつもりだったの?」
空き樽に腰かけたジェイデンは、ほほえみながら顔を近づけた。
「責任を取ってもいいの?」
「……あなたの思う方法ではダメ」
「今日のスーリはするどいなぁ」
青年は気にしたふうもなく、エプロンの上からケーキをつまんだ。そのまま、流れるように彼女の口もとへ持っていく。「はい、あーん」
あまりに自然な流れなので、スーリは拒否することも忘れてすなおに口をあけてしまった。
タルトはアーモンドの香り高く梨の風味もさわやかで、ニワトコシロップのチーズケーキはクリーミーで濃厚。ペストリーはさくさくしており、上にはブラックベリーが載っていて……。
「……おいしい……包んで持って帰りたい……」スーリはうっとりとつぶやいた。
「よかった。その顔が見れるおれも役得だね」盗人王子が甘くほほえむ。
「あなたは犯罪者だけど、ケーキに罪はないもの」
せわしなく口を動かしながら、自分に都合のいいことを言うスーリである。
「アガサは糖尿で、デザートを医者に止められてるんだ。これも人助けだよ」
王子もまた、女主人にしれっと責任をなすりつけた。人がよさそうに見えるが、こういう端々に悪ガキだったころの男がかいまみえた。
♢♦♢
さて、遊んでばかりもいられない。
スーリのもとを訪ねてきたクルムは、半日の休みを取っているということだったので、そろそろ職場に出てくるころあいだろう。不眠の治療と考えるとスーリとしては二、三週間は休養をとってほしいところだったが、そうもいかないのが使用人の生活である。
菓子を食べ終えたふたりは(食べたのはスーリひとりだが)、フィリップの部屋に向かっていた。城内を歩いていると、通りがかる使用人たちがちらちらとふたりに目を向けるのが感じとれる。
ハンサムな第三王子が女を連れているのが気になるのか、それとも村でうわさになっている白魔女がめずらしいのか。わからないが、居心地のいいものではない。
ひとの群れのなかで暮らすということのデメリットを、スーリはまた感じずにはいられなかった。
歩きながら、ジェイデンが尋ねてくる。
「いちおう聞くけど、小物が足を生やして屋敷中をうろつきまわるような魔法はないよね? ものを隠す妖精なんかも?」
「わたしは薬草医で魔女じゃないと、なんど言ったらわかってもらえるのかしら」
スーリはわざとらしくため息をついた。
が、いちおうそれらしいことを答えてやる。
「ものを動かすような魔法がかりにあったとして、それだけの力があるなら、小物を右から左に動かして人を悩ませるよりも有益な使い道が100通りはあるわね」
ジェイデンは考える様子だった。「……たしかにね」
「城を見てまわって、どうだった? なにか気づいたことはあったのかな」
「見たところで、わたしにはなにもわからないわ。ただの薬草医だもの」
実際のところ、王子が考える以上のことがスーリにはわかる。だがもちろん、クルムの件で必要な情報とは考えなかったし、おくびにも出さなかった。
ただ、気になる点がないではなかった。そのことを思いだし、スーリは立ち止まる。
フィリップ伯にあいさつしたとき。
図書館を出て、キッチンへ行くまでのわずかな距離。
そこに、彼女にそそがれる視線を感じたのだ。
スーリは迷いながらも、そのことを説明した。
「貴婦人でもない、あやしげな女が城内をうろついているんだから、好奇の視線をあびるのは不思議じゃないわ。いまだって、使用人たちの視線を感じとれる。でも、あれはそうではなくて……もっと目的をもった視線だった」
「目的?」ジェイデンが問い返す。
――目的。なにかを欲し、執念深く見守るまなざし。バーバヤガの、あの暗闇のなかの瞳たちのような。
だが、それを説明することはできない。魔法やバーバヤガのことは、王子に知られたくないと思っていたので、スーリはあいまいな返答をした。
「ごくわずかにだけど、息苦しくなるようないやなものを感じたわ。あの視線のなかには、なにかがあった」
「……それはなんだと思う?」
その問いに、スーリは彼を見あげて答える。
「悪意よ。純粋な悪意」
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