2-8.これは……あの指輪です

 クルムの職場を見せてもらえないかと頼むと、フィリップは快諾してくれた。

「私の部屋だから、自由に見てもらってかまわない。ただ機密にしたいものもあるから、ジェイデンについてもらうということでいいかね」


 しかたがないのでスーリはうなずいた。ジェイデンが、そのクルムを連れてくる。朝訪ねてきたときから三時間も経っておらず、じゅうぶんに休めたとはいいがたそうだった。

「寝ていたほうがいいわ」

 スーリは医者としてそう声をかけたのだが、クルムは首を振った。「フィリップ伯もそう言ってくださいましたが、みなさんにお手間をかけて、私だけ寝ているわけにはいきません」

 その顔はさらに青白くなっていて、スーリの眉をひそめさせた。


  ♢♦♢


 城主であるフィリップの部屋は、広い一室を衝立ついたてや家具で仕切って生活空間をわけてある一般的なつくりのものだ。宝飾類もふくめてほぼすべての持ちものが、この一室に置かれている。部屋の前は兵士が交代で守っているし、この部屋に入室を許されるのは従僕や侍女のなかでもひと握りということだった。


 スーリはクルムといっしょに指輪を探すことにした。ジェイデンは、ほかの使用人に話を聞きたいらしく、衝立ついたての奥で家令と話しこんでいた。彼のコミュ力を思えば、適任だろう。


 机まわりや書類は触らないでほしいということだったので、まずは奥の寝室へ向かう。

「わたしがなくしものをしたときは、だいたいベッドのまわりにあるわね」

 髪留めにペン、書きつけ用の手帳、ブラシに焼き菓子。かつて自室のベッドと壁のすきまから出てきたものに思いをはせつつ、スーリはかがみこんで指輪を探した。が、整えられたシーツや寝具の下にも、壁のすきまにも、床の上にも、探しものはなさそうだ。


「フィリップさまは、あまり寝室で時間をお過ごしになられませんから……」

 と、クルムが言う。たしかに伯は、スーリのような自堕落な時間をベッドで過ごすタイプには見えない。


 寝室をほかのスペースから区切るように置かれている、キャビネットや長持ながもちが目についた。開けてみると、なかは几帳面に整頓されており、クルムの性格がうかがえる。伯の言うとおり、印章指輪より足がつきにくく金になりそうなものがたくさんある。ブローチ、ロザリオ、チョーカー……

「フィリップ伯は趣味がいいみたいね」

 派手ではないが目をひく美しさの宝飾類を見ながら、スーリはつぶやいた。


「はい」

 スーリの手もとを心配そうにのぞきながら、クルムが答える。「お若いころからたいへん美男子でいらっしゃいましたが、当時のものをいまも仕立て直して使っておられますね」

「女性ものもあるわね」

「それは、王妃殿下からたまわったものと聞いています」

 答えたクルムは、あわててつけくわえた。「閣下は、むかしからのものを大切になさるのです」

 人間関係にはうといスーリだったが、『王妃とフィリップ伯の不貞疑惑』を印象づけたくないのだろうということは想像がついた。もちろん、スーリ自身にはなんの興味もない。


 引き出しをはずして奥に手をつっこんだり、ビロードの下敷きをはがしてみたり……。おそらくはクルム自身もやったであろうことをスーリもやってみた。衝立ついたてのほうから、ちらちらと視線を感じる。貴族でもないあやしい女が主君のもちものをあさっているのだから、警戒されるのはしかたのないことだった。いっしょにいるクルムまでも、居心地が悪そうにちぢこまっている。 


 宝飾類のスペースはキャビネットの一角をしめており、すべて調べるのにそれほどの時間はかからなかった。隣のキャビネットの調査にうつったスーリは、ほどなくして勲章類の置き場に気になるものを見つけた。複雑な星型の勲章から針がのぞいている。ピンが外れているのだろう。


(危ないわね)

 と思い、針を留め具にもどそうとして――なにかが邪魔になってもどせない。裏を返すと、留め金になにかがはさまっていた。指輪だ。

 なんの変哲もない、太い金の印章指輪シグネットリング。事前に聞いたところでは、フィリップ伯が持つ印章指輪は二本あり、一本はつねに身につけている。つまりもう一本が、なくなったその印章指輪ということになるのだが……でも、まさかね。

(そんなに簡単に見つかったら苦労はしないわよね)

 おそらく、印章は飾りもので、ただの指輪なのだろう。あるいは、勲章の付属品かも。

「ねえクルム、いちおう聞くけど、これ……」

 スーリが差し出した指輪を、クルムは手にとってまじまじと見つめた。あまりにも長いこと見つめているので、時間が止まったかと思うほどだった。


「これは……これは……あの指輪です」

 全力疾走のあとのように荒く息をつきながら、クルムは言った。「フィリップさまの印章指輪だ」


「まあ! ほんとうに?!」

 スーリもまた驚く。まさか、こんなに簡単に――しかも、もともとあるはずの場所の、すぐそばで――見つかるとは思ってもいなかったからだ。

「失せものは、ほかの人が探すとあっけなく見つかるっていうけど、ほんとうねぇ。星型の大きい勲章があるでしょ? あの裏の留め金にはさまってたわよ」

 そう言って、当の勲章を指さしてみせる。

 拍子抜けしてしまうほどあっけないが、なんにしろ、見つかってよかった。喜ばしい気持ちでそう告げるが、クルムの返答がない。


「……クルム? どうしたの、あなた……真っ青よ」

 

「ここは何度も探したはずなのに」

 クルムの唇は恐怖にわなないていた。「もちろん、六星大勲章も。これは伯が陛下からたまわったもので、もっとも大切な……留め金がはずれる? そんなはずは……」


 その目は大きく見ひらかれ、このまま息が絶えてしまうのではないかと思うほどあえいでいた。

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