一方通行の交差点

K-enterprise

雪は白く、溶けて色づく

 容器にお湯を入れ、蓋を抑えながら居間に移動しソファに落ち着く。

 蓋の隙間から、熱い蒸気が出汁の香りを弾き出す。

 空腹を満たすだけのつもりだったが、味覚はずいぶんと期待しているみたいだ。


「あれ、お父さん、帰ってたんだ」


 娘の祥子が居間に顔を出して声を掛けてくる。


「おう、ただいま」

「お帰り、って何、カップ麺?」

「ああ、コンビニで買ってきた、赤いきつね」

「もう、こんな時間に。スープ飲み干しちゃダメだよ?」


 祥子はキッチンでインスタントコーヒーを作り、俺の向かいに座りテレビのスイッチを入れる。


「勉強、煮詰まってるのか?」

「んー、そう言うわけじゃないんだけど、ただの息抜き」

「まあ、無理すんな。年が明ければ試験はすぐそこなんだ」

「へいへい、あ、この女優さん、久しぶりに見るなぁ」


 祥子は俺の話も聞かず、テレビを見つめる。

 芸能人が、人生の中で印象に残った食事を紹介する番組だった。

 そこにいるゲストの女優、確かに、久しぶりに見る。


「この人って、お父さんと同じ世代?」

「ああ、同い年だな」

「即答? さてはファンだったとか?」

「さあな」


 俺は小さく笑いながら紙の蓋を剥がす。

 ふわりといい香りが広がる。


 ふと、真っ白い雪原のイメージが広がった。

 香りって、記憶を刺激するんだよな。


「うっそだー」


 食事に集中していると、祥子がいぶかしむ声を上げる。


「?」


 咀嚼中だ。顔を上げ、視線で問いかける。


「聞いてなかった? あのね、この女優さん、記憶に残る食事がさ、緑のたぬきなんだって。庶民アピールがすごくない?」


 テレビではちょうど再現シーンが映し出されていた。

 一面の雪景色の中で、女優役の女と、軽薄そうな男が、キャンプ用の携帯コンロとケトルで雪を溶かして沸かし、一つのカップ麺を食べていた。


「でも、これはこれでロマンチックかな?」


 恋人と雪原の上で食べるカップ麺。

 祥子は、そんなシチュエーションによって当初の印象が変化している様だ。


「実際には、雪を溶かして沸かすのは大変だぞ? お父さんもスキー場で同じことした経験があるけど、ちっとも沸騰しなくて、結局はロッジでお湯をもらったんだ」

「へえ、それってお母さんと?」

「まあな」

「じゃあさ、お母さんが生きてたら、この女優さんみたいに、カップ麺が記憶に残る食事になってたりして」

「どうだろうな。だったら嬉しいな」


 テレビの向こう、スタジオの中で彼女は緑のたぬきを食べていた。

 それを見ながら俺は赤いきつねを食べている。


 まったく、何十年も経って、当人同士が再現するとはな。


「お父さん、なんで笑ってるの?」

「いや、別に」

「それよりさ、私、この女優さんに似てると思わない?」

「お前の方が美人だよ。俺の遺伝子が足されてるんだから」

「何よそれ、イケメンアピールウザいんですけど。さってと、休憩終わりっ」


 祥子は笑いながら席を立つ。


「ほどほどにな」

「やだよ。やるからには徹底的に! それじゃ、おやすみなさい」


 コーヒーカップをそのままに、覇気をみなぎらせて彼女は居間を出て行く。

 俺との会話の中で、何が祥子のやる気に火を付けたのか分からない。

 でもそれは、いつかどこかで見た情景に良く似ていた。


「夢を諦めない頑固さは、母親譲りみたいだよ」


 俺の声なんか聞こえないはずなのに、テレビの向こうで祥子に良く似た女優さんが、俺を見ながら微笑んだ。




――― 了 ―――

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