二章、迷路の街へ

 2、迷路の町へ


「世界は神が創造したが、ローランドの国土はローランド人が作り出した」

との諺があるほどに、ローランドの歴史は干拓の歴史でもある。

千数百年前──ここアウステンダムがある場所には、広大な遠浅の海が広がっていた。

この地に流れるアウステン川は、各国の交易船が利用する大河だが、そのいくつにも分かれて扇状に流れる河口は大型船が航行するには浅く、

その上、岩礁があちらこちらに点在しており、船乗り泣かせの地形を誇っていたのだ。

ある時、地中海から北海のノースデン諸島へと向かうヴァイキングの船が、嵐により難破し、アウステン川河口の岩礁のひとつに打ち上げられた。

しかし幸運なことに、岩礁からは滾々と真水が湧き出しているのが発見された。

大河の河口ではあるが、海岸沿いのこの地で飲み水というのは貴重だ。普通ならいくら井戸を掘っても、湧き出てくるのは塩まじりの泥水ばかりなのだから。

人々は真水の湧く岩礁の発見に喜び、船には、船乗りの守護聖人である聖クラース像が乗せられていたので、「すべては聖クラースがもたらした奇跡」と信じた。

岩礁は「聖クラースの島」と名付けられ、その上に教会が作られた。やがて堤防が周囲に築かれ干拓が進み、アウステンダムの町が誕生したのちは、「聖クラースの丘」と呼び名が変わる。

時代が下り、この地に住む人々が六十年にも及ぶ独立戦争を戦い抜き、はじめてローランド人の王が誕生するに至った時も、その戴冠の儀は、この丘の上に建つ聖クラース教会で行われたほどだ。

初代の女王クリスティーネ一世から十二代、約三百五十年に渡りロザムンド王家が統治するローランド──交易と植民地支配により栄えてきたこの王国の命運が、風前の灯と化したのは、三年前の春のことである。

現国王ヘルムートが原因不明の病魔に襲われ、海外での治療のため出国したその間隙を突くように、隣国ルブランスの大軍が平和協定を一方的に破棄し、蝗の群れのごとく押し寄せてきた。

そして首都アウステンダムは、宮殿の中庭に植えられている林檎の花が、つぼみから満開になる前に陥落した。

ローランド王国はたった七日間で、ルブランス共和国軍に電撃侵略されたのだ。

それは、この地で暮らす人々にとって、長い悪夢に似た季節の始まりでもあった。




アンリ・パルデューの目の前にそびえているのは、苔むした石積みの城壁だった。

城門の向こう側の、いまだ中世の眠りについたままのごとき古い町並みを目にして、少年は希望に沸き立っていた胸の想いが、急に萎えてゆくのを感じた。


「この門から先が、旧市街? ヘボン先生のお宅があるフリーヘン横丁って、旧市街の中になるの?」


道案内図を片手に、アンリはおもいきり顔をしかめた。今朝、アウステンダム中央駅に到着した時に味わった、あの新鮮な驚きの連続はなんだったのかと後悔したくなる。

なにしろ、アンリが降り立った中央駅の構内は、魔法機関の展示博覧会場そのものであったのだから。


「すごかったよなぁ、改札前のからくり仕掛けの大時計。コンコース広場にはガラス製の一角獣の大噴水や、きれいな熱帯魚が泳いでいる水槽も沢山あったし……」


 それは飛行船の墜落現場での惨状を、悪い夢の中の出来事であったかのごとく錯覚させてくれるほど、にぎやかでいて華やかな光景だったのだ。

アンリのようなおのぼりさんに、きょろきょろ脇見するなというのは、あの中央駅のコンコース広場ではまず無理だ。

そこには思わず目を奪われる、斬新で珍しい展示物が、最新式の魔法機関の力を誇示するように飾られていた。

そして一歩、駅舎の外へと足を踏み出せば、計画的に造られた新市街の規則的な街並みと、

ちょうど今の時期萌え出した街路樹の並木、蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路の美しさに、アンリは感動すらおぼえたほどだったのに。

三年前のルブランス軍侵攻時──このアウステンダムは、交戦した場合の首都機能の被害を深慮した市長が、敵軍を率いるメルヴェイユ将軍に対し和平交渉を行い、無条件降伏してしまった。

そのおかげで戦闘の爪跡はどこにも見られない。

市長がおのれの首を差し出して守った新市街地は、幼い頃から祖父に聞かされていたとおり、世界で一番美しい都市だった。


(なのにこの旧市街ときたら……! 僕が通っていた中等学校があった、クロマーニュの町とそう大差ない古めかしさじゃないか)


落胆のため息を、アンリは奥歯で噛み殺す。

 まだ目的地にたどりついてもいないのに弱音を吐いちゃダメだと、自分に言い聞かせながら苔むした石積みの城門を潜ってゆく。

使い魔憑きのアンリが足を踏み入れた城壁の内側には、正午をすぎたばかりだというのに、人影ひとつなかった。


(すれ違う人のひとりもいやしない)


 アンリは黙って足を動かした。モントレー山脈の中腹で育った自分にとって、こんな緩やかな傾斜の坂道、普段なら鼻歌交じりで上ってゆけるのだけれど。

 下降線をたどる一方の気分に同調して、だんだんと石畳へ向けて落ちてゆく眼差しとともに、両手に下げた荷物がひどく重く感じられてくる。


「よう、そこの眼鏡くん。ここいらでは見かけない顔だけれど、どこへ行くんだい?」

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