豪華なディナーを嵐の中で

「ヴィクトール・クロードヴィスさまと、そのお連れさまでございますね。確かにご予約承っております、どうぞこちらへ」


 美しい模様の布張りの壁に、臙脂色のカーペットを敷き詰めた床。陽光灯の明かりが、天井から吊るされたシャンデリアにきらきらと反射している。

 その上、予約席に用意されている食器は、最上級の白磁器だ。皿の両側には、手を触れて指紋を付けることもはばかられるような、磨き込まれた銀のフォークやナイフがずらずらとならんでいる。

 それだけでも田舎育ちのアンリは気後れして、どうすればいいのか分からなくなった。ツイード織りの上着に、麻のシャツ。

裾ボタン留めの半ズボンといった手持ちの服の中では一番上等なよそいきを着ているのに、それでもこの場では、おのれの服装は貧相でみすぼらしいような気がする。


「どうぞ、遠慮せずに。君の席はそこですよ」


 ヴィクトールにうながされ、優雅な曲線を描く猫脚の椅子に着席した途端、クリスタルグラスへと、給仕係がワインを注いでくれる。


ケイパーを散らした冷製スモークサーモン、フォアグラと茄子のテリーヌを添えて。

南太平洋産の青海亀のスープ。

ホワイトアスパラガスと、春蒔き野菜のベビーリーフのサラダ。バターソースと半熟卵のせ。

真鯛のポワレ、ポルチーニ茸とジャガイモのガレットとともに。

口直しの氷菓。

仔牛肉のグリル、青かびチーズのソースにて──といった料理が、次々とアンリの前に供される。


(こんな贅沢なご馳走、見たことも聞いたこともないよ……!)


王様の食卓に招待されたのではないかと勘違いしてしまいそうな、上品でいて洗練された晩餐の料理の数々を、アンリは夢見心地で口に運んだ

 ここ十数年、魔法機関の発達にともない、生鮮食料品の保存技術は格段に進歩した。

 けれど、今が旬のホワイトアスパラガスと、秋にならなければ川へは戻ってこない鮭が、同じテーブルの上に乗せられるなんて、アンリには初めての体験だった。

 だいたいテリーヌにされた茄子だって、露地の畑ではまだ種蒔き前のはずだ。デザートに盛りあわされた洋梨や葡萄も、シロップに漬け込まれ冬の間保存されたものではなく、みずみずしい生の果実を使用している。


(ひょっとして、これが噂に聞く『温室栽培』で生った実なのかな……?)


 こんな豪勢な食事を列車内で供されるだなんて──もしかしたらこの男は、自分が想像する以上の肩書きを持つ中央政府の高官なのかもしれない。

 そう思いながら、アンリは恐縮しきりな表情で頭を下げた。


「とても素晴らしい夕食をご馳走していただいて、ありがとうございました。本当になんてお礼を言っていいか……」


 食後の砂糖菓子をコーヒーとともに味わいながら、心底感謝する気持ちを素直に述べる。


「いや、気にしないで欲しい。私も、同行する予定だった母が、急に体調を崩して入院したりといろいろあってね。一人だけでの食事だと、気が滅入ってしまうところだったので」


 ヴィクトールはそう答えたが、その割には食事中、ふたりの間には、ほとんど会話らしい会話はなかった。

慣れないテーブルマナーに緊張しきっていたアンリは、出された料理を残さずたいらげるので精一杯だった。

少なくとも、自分からなにか楽しい話題を持ち出して場を盛り上げるなど、人生経験の浅い十五歳の少年にはどだい無理な芸当である。


「でも、僕はとても助かりました。家から持ってきた固焼きパンや干し肉も、もうそろそろ食べ尽してしまうところだったし。

手持ちの分を食べてしまったら、明日の朝の食事はどうしようかと悩んでいたくらいだったから」


 なにしろ、旅立つ末息子を心配して、父が確保してくれた旅行者用の外食配給券は、列車の乗り継ぎで一泊した首都、シテ・ドゥアンではまったく役立たなかったのだと、アンリは本音を漏らす。

 昨日の夜は駅の宿泊所に泊まったが、アンリはみじめな思いをしながら、父と隣り合わせの簡易ベッドの中で、母が持たせてくれた焼き菓子や干し葡萄で空腹を紛らわせたのだ。


「コーヒーのおかわりはいかがでしょうか?」


 愛想の良い笑顔をふりまいて、銀盆を手にした給仕係が回ってくる。「では、もう一杯いただこうか」と、ヴィクトールが答えた時だった。

カタカタカタ……、テーブルの上の食器たちがタップを踏んで踊りだす。車輪の響きとはまったく異なる振動が、天井から吊るされたシャンデリアを大きく揺さぶりはじめた。


「……かなり、近くに雷が落ちたようですね」


 不安げな眼差しを、アンリが宙に漂わせる。雷鳴は、さきほど晩餐の途中から、堅く閉ざされた鎧戸越しにすら聞こえてくるほどの激しさだ。


「いや、落雷の音とは違う。これは機械的な連続振動だ」


 ヴィクトールは確信をもって断言すると、いきなり席を立ち、すぐ脇の窓に下ろされていたガラス窓を押し上げる。その行動を給仕係が慌てて制した。


「お客さま。列車の走行中に、勝手に窓を開けられては困ります!」


 その忠告を、ヴィクトールはまったく無視した。それどころか、ガラス窓に続いて木枠に嵌め込まれた鎧戸をも引き上げ、開けてしまう。


「お客さま。この悪天候では、窓ガラスが割れるなどの危険が考えられますので、どうか鎧戸を上げないようお願いいたします!」


 大粒の雨が吹き込む中、強風に髪を乱したヴィクトールが、窓から出した顔を上空に向ける。


「上に、なにか居る」


 その瞬間。落雷で一瞬明るく染まった頭上から、鯨のごとくに巨大な飛行体が、まるで雲の底が抜けたみたいに一気に高度を落とし、列車に接近する。

 紡錘形に形作られた金属フレームに外皮を張り、石炭ガスを充填した気嚢を詰め込んだ船体。

 そこから左右に翼が伸び、二発ずつ、計四発取り付けられた回転翼がひゅんひゅんと苦しそうな轟音を上げている。


「……飛行船?」


 しかも魔法機関によって回転翼の稼働率を格段に強化した、空軍の高速翼船だ。こんなに近くを飛んでいるのをはじめて見た──と、窓から顔を出すアンリは素直に感嘆の声を上げた。

だが、どうも様子がおかしい。強風にあおられ揚力が不足しているのか、すぐ脇の木立の梢に船底が引っ掛かってしまいそうなほど、高度がとれていない。その上、進行方向がほとんど都市間急行と同じ方角なのが厄介だった。

 高度を上げるか、さもなくば進行方向を変えろと、運転手がさかんに汽笛を鳴らして飛行船に警告する。

 けれど、相手はますます低空をうろつくばかりだ。


「このままだと、前方進路上に墜落するぞ!」


 車体が軋むほどの急ブレーキを掛け、列車は停止した。

 それを待っていたかのごとく、飛行船の回転翼から炎が上がる。紡錘形の船体は一度強風にあおられ直立すると、「く」の字に折れ曲がり、力なく線路上に墜落した。

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