1・少年は大都会へ旅立つ


「なぜだ! 二週間前にこの一等寝台車の予約を入れたんだぞ。ここにその控えもある。それなのにどうして、うちの息子がこの個室を利用できないんだ!」


「だから、この予約は無効だと何度も言っただろう!」


「ならばこの、控えに押された予約証明のサインや日付スタンプがニセモノだとでも言うのか? このカボチャ頭が!」


生来の怒り肩をさらに険しく立たせている父が、国営鉄道の職員と激しく怒鳴りあっている。

その後ろ姿をアンリ・パルデューは、ホーム上で荷物番をしながら、疲れ切った表情で眺めていた。

麦藁色の髪は、今朝は櫛も入れられなかったから、キャスケット帽で深く隠して。いつ怒鳴り合いが終るのだろうかと、小柄な少年は牛乳瓶の底のように厚い魔法仕掛けの眼鏡のレンズを、溜め息まじりで磨いている。

眼鏡を外した下の瞳の色は、まるで夏の終わりに実ったばかりのハシバミの実のような、きれいな緑色だ。


革命歴三十年、芽月・ジェルミナールの七日、午前九時半──シテ・ドゥアン中央駅では、都市間急行「イロンデル号」が、最新式の理学魔法機関を搭載した車体を誇らしげにプラットホームに横付けしている。

その一等寝台車の乗降口で、父と国営鉄道職員との口論が起こっているのだった。

どんよりと曇った上空には軽気球が浮かんでおり、魔法仕掛けの機械人形が「今こそあなたの忠誠心が試される時です。愛国精神をもって進軍国債を買いましょう」と、ひっきりなしにわめいている。

目の前を通過してゆく貨物列車は、軍需工場から出荷されたばかりの新品ピカピカな迫撃砲を何十門と積んで、敵国ドルンベルガー帝国との戦闘が繰り広げられている東部戦線へと向かってゆく。

プラットホームの待合室に張られたポスターも、「いでよ、救国の勇者! 少年志願兵募集中」だとか「看護婦、緊急募集。勇敢な女性たちよ、従軍し前線で勤務しよう」だの、そんなのばかり。

 戦争の影響で、臨時の軍事列車が優先されるこのご時勢では、時刻表どおりの運行など望むべくもない。

実はこの時点で、パルデュー親子が故郷の村を旅立ってから、すでに丸三日が経過していた。

予約した都市間急行列車の出発に間に合わせるため、無理して首都シテ・ドゥアンにたどり着いた昨晩だって、駅の宿泊所の簡易ベッドの上で一夜を過ごしたほどだ。長旅に慣れないアンリの身体の中に、疲れは溜まりに溜まっている。


「大体、こんな子供が一等寝台車を利用するなんて、贅沢だ! この戦時下だ、なにごとにおいても耐え忍ぶことを、親ならまず教育しろ!」


「誰が教育論を語れと言った! いま話しているのは、寝台個室の予約の件についてだ!」


 もういいよ、お父さん。僕はアウステンダムに行けるなら、三等旅客車でもかまわないから──アンリが、そう父親に話しかけようとした時だ。

大声で怒鳴りあっている二人の背後に、黒い外套をまといトランクを提げた、いかにも文化人的雰囲気の黒髪の青年が立ち止る。


「失礼。この車両の寝台個室を予約した者ですが、なにか問題でも?」

 

と、長身痩躯の青年は、乗降口を塞いでいる二人に声を掛けた。

「大有りだ」と職員も父も同時に叫んで、口角に泡を飛ばしながら事情を説明しはじめる。

ひととおり話しを聞いて、黒い外套の青年はおもむろに口を開いた。


「ああ。おそらくその予約重複の原因は、私にあると思います。一度予約を取り消して、その後すぐに、同じ列車を再予約したので。窓口の職員方が混乱するのも無理はない」


 青年が、いかにも紳士的態度な物腰でそう言うので、頭に血を上らせ口論していた二人も勢いを削がれた。

「それで、そちらは何名でこの部屋をご利用になられるのですか? 」


当方は同行者に急用ができてしまい一人旅なのです──と、黒髪の青年が言うのをアンリは聞いた。

都市間急行「イロンデル号」の一等寝台車の、個室はそれぞれ二名用に作られている。それを承知の上で、皮製の旅行鞄を提げた青年はこう続けた。


「そちらも一人旅だとおっしゃられるのなら、私は相部屋でも構いませんが」


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