2. 旅先
この現実には、知る人ぞ知る「ユービンズ」という相談室がある。と言っても、いわゆるゴーストレストランのように、相談室自体はない。相談員である「ルピン」はこの現実のあらゆる場所におり、公用語が共通していれば、世界各国の相談がルピンのもとに飛んでくる。どの国でも共通しているのは、相談者は紙飛行機で相談をし、それを受け取ったルピンも紙飛行機で返事を返すことである。ルピンを決める基準は特にないらしいが、強いて言うなら「悩んでいる人」であるそうだ。
上記はすべて件の夜、
他に紙飛行機に書かれていたことは、紙飛行機が決まった日時に来ないということくらいである。相談者が悩みに苛まれて送るためでもあるが、宜以外にもルピンがいること、紙製なので優れない天気の日には飛ばせないことなど理由は様々で、宜に全く相談が来ない時期もあった。
天気も悩みも気まぐれだから仕方ないよね、ってやかましいわと一人心の中でつぶやきながら校舎を出た宜に、冷たい風が吹いた。
ヒュッ
刹那、 風を切る音。顔を上げると、いつの間にか肩に乗っていた紙飛行機が頬をかすめた。
びっくりした、と宜は思いながらそれを手に取る。手のひらサイズの白い紙飛行機であった。彼は校舎に引き返し、暗室へと向かった。
なお、紙飛行機が平日に訪れる時は大体校舎を出るこのタイミングなので、彼はいつも降りてきたばかりの階段を上り直す。写真部、という名の帰宅部にはいい運動だと思いながら、彼は「写真部」と書かれた看板をのけ、後ろに掛かっている鍵を手に取った。
「煌さんー…、って、何それ。」
暗室に入ると、例の大きな人形の前に、段ボールが置かれていた。煌さんのポーチと同じくらいの大きさだ、何だろう。
「まぁ、あとで確認するか。」
いつもの重ねられた丸椅子の上にカバンを置き、パイプ椅子に座る。コートのポケットから届いた紙飛行機を出し、姿勢を正し、目を瞑りひとつ深呼吸をする。
——目を開け、そっと開封した。便せんの上に「勝俣文具店」と書かれ、枠外に桜の花びらが描かれていた。
『拝啓 ルピン様
はじめまして、相談があります。
私の趣味は、旅行です。幼い頃、お店が休みの時に両親がいろんな場所に連れて行ってくれたことがきっかけになり、大学4年間も国内外の様々な地域を訪れました。
しかし、この春就職して社会人になるため、今後は思うように旅ができなくなるのではないかと感じています。
そこで、この春休みを使って最後の一人旅をしたいと考えています。ルピン様は、どんな場所を訪れるのがいいと考えますか? この手紙が届いてから、一週間が経つまでにお返事をもらいたいです。どうぞよろしくお願いします。 敬具
伊坂 』
「旅行が趣味で、忙しくなる前の最後の旅先を考えたい、と……。」
にしても、これに拝啓とか敬具を使っている人に初めて出会った。全体的に丁寧で、字も美しい。
そう感心しながら、宜は折り目のついた紙を裏返した。どんな場所を訪れてきたか書いてあるかと思ったのだ。しかし、特に何も書かれていなかった。
彼はうーん、と唸りながら、丸めた右手を顎につけた。彼の考える時の癖である。
旅先のヒントがないこともそうだが、そもそも宜は旅自体にあまりいい印象を抱いていなかった。彼は大体、父親の実家や旅好きの母親が希望する場所まで自家用車で連れられるのだが、車にひどく酔いやすい体質で、酔ったら最後、到着するまで地獄の時間を過ごさなければならなかった。
そんな辛い思いをして、訪れて来たこれまでの旅先を思い返す。ここで、スマホとか学校の図書室でおすすめ旅行地とか調べればいいのに、と思う方もいるかもしれないが、無造作に調べることを彼はあまり好んでいない。それらはあくまで他人様の考え、俺の考えにならない、と割り切っている。だから、何事も一人で悩み続けてしまう。
それでも何かヒントはないかと手紙を読み返すが、ふと、便せんの上の「勝俣文具店」が目に留まり、スマホで調べた。さすがに知らない店については、悩んでも答えは出ない。
検索画面の最上部にそのHPらしきサイトが表示された。リンクを確認すると、彼が時々閲覧するクリエイターズサイトのURLが含まれていた。それを開くと、ページの上部に青年のアイコンが現れ、「勝俣文具店」という名前と商品欄の間に、一言メッセージが書かれていた。
『世界が目を覚ますような文具をお届けします。』
……世界が目を覚ます。
大げさなメッセージだな、と思う一方、彼は幼い頃に似たような言葉を聞いたことを思い出した。今までどこに隠れていたのか分からないような記憶が、彼の頭の中で流れだした。
酔うに酔った、ある家族旅行の行きの車内で、宜はぐったりとしていた。隣の座席に座る彼の妹が、心配そうに彼の頭を撫でている。もうろうとした意識の中、車は永遠に続くようなトンネルをやっと抜け、視界がぱっといきなり明るくなった。う、と眩しさで具合の悪さが増した。
もう限界だと彼が吐息をもらしたその時、「わぁ」と妹がかわいらしく声を上げた。
「なりちゃん、おひさまがめーさましてる!」
うまく言葉が理解できなかった。恐る恐る目をあけると、運転席と助手席の間から、朝日が差し込んでいた。頑張って顔を上げると、山々がそびえ立ち、麓に広がる街並みが美しく照らされていた。
きれい。
幼い彼の気分が、少しだけ回復した。
—―そうか、朝。
宜は思い出した景色が消えぬよう、急いでペンを取り出した。
旅好きが愛する朝の景色。きっとそれは、俺が想像できないくらい綺麗なのだろう。どんな苦しみも軽くなるくらいに、美しいはず。
姿勢を正し、四葉のクローバーが記された便せんに文字を綴っていく。
就活したことないけど、きっと辛いこともあるだろうし、就職後も旅の機会が少なくなって悲しくなるかもしれない。でも、大好きな朝の景色の思い出は、これからの伊坂氏の癒しになってくれるだろう。
その思いが伝わるように、伊坂氏の旅が素敵なものになるように。
そう祈りをこめ、彼は「きっと大丈夫です」と文をしめ、最後に「楓」と名を綴った。
文を見直し、セルフ校閲を終え、紙飛行機に折っていく。そういえば、と宜は思う。うちの妹は小さい頃、事あるごとに不思議な表現をしていた気がする。独特だけど、なぜか伝わる歌詞のフレーズみたいな。もしかしたら、そんな才能があるかもしれない。さすが。
などと勝手に嬉しくなり、意気揚々と荷物をまとめてカバンを背負ったところで、先ほどの段ボールが目に入った。ガムテープが切られていたのでそのまま蓋を開けると、中にはカイロがぎっしりと詰まっていた。
すっげぇ。部長が置いたのかな。卒業前の置き土産的な。
蓋の裏に「ご自由にどうぞ。」と書かれていたので、ありがたく二つ手に取る。もう一つは、無論愛妹に渡すつもりである。
消灯し、鍵を元の場所に戻していつもの窓辺に立った。窓を開けると、冷たい空気が入り込んできた。寒っ、でも空が綺麗。ゴールデンアワーって言うんだっけか。
宜はその美しい景色に届くように、手に持った紙飛行機をそっと持ち直す。
良い旅になりますように。
「いってら、しゃい。」
小さく声をかけ、紙飛行機を飛ばした。
春の楓 園内晴子 @always_enjoy
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。春の楓の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます