1. 仲直り

 

 柚木宜ゆうきなりがその夢と現実を体験してから、半年以上が過ぎた。


 キーン コーン カーン コーン—…


「えーではね、キリがいいので今日の授業はこれまでにします。が、紙飛行機折るなりして、各自今日説明したことを復習してくださいね。はい、号令。」

 きりぃーつ、と間延びしたクラス理事の声がかかり、生徒たちはバラバラと立ち上がる。


 きをつけー、れい。 ありがとーございましたー。


 ゆるゆるな声で授業が終わり、生徒たちはまた机に戻り力尽きる。宜がちら、と後方の席を見ると、友人も同様に眠りについているようだった。


 ほ。


 週の最後の授業終わり。早くなった鼓動を感じながら、いそいそと帰る支度を始める。次第に廊下が騒がしくなり、ゆっくり動き始めたクラスメートたちを横目に宜は教室を出た。


「ゆずきー。」

 ドクッ


「お、小野川。おつかれ。」

「おつかれ。ほんと、おつかれ…」

「……どうしたの。」

 さっきまで眠っていたはずでは、と焦る宜の隣で、マッシュヘアの友人は、だってよう、と不満そうに声を漏らした。


「更地主、すぐ名指しするから眠くても寝れねぇんだよう。」

「じゃあ、起きてたの?」

「いや、飛ぶ原理の説明で紙飛行機出してたとこしか記憶ない。」

「序盤じゃん。」

 へへ、とごまかし笑いすると、彼はんーっと伸びをした。なお、更地主は彼らの物理の教授のことを指す。


 隣を歩きながら、宜は階段を下っていく。授業終わりの騒がしさが通り過ぎていく。彼は頭の中で、必死に次の話題を探した。


 やがて階下に降りると、『玄関の門番』と呼ばれる木彫りの巨像の前にたたずむ、巨漢の生徒が見えた。小野川もそれを見つけたらしく、たんたんと下っていく。


「ほんじゃ、またなー、ゆずき。」

「うん、気をつけてね。」

 彼が巨漢と合流して廊下の奥へと消えるのを見送り、玄関に入った。


 よし、今日は上手く話せただろう。疲れた。


 上履きを履き替え、玄関のピロティを抜ける。彼の長い前髪越しに、夕日が差し込んだ。


 —と。


 ビュッ!!!


「うわっ!?」

 突然、何かが唐突に降ってきた。思わず引き下がった彼は、恐る恐る足先の数センチ前を見る。紙飛行機が落ちていた。眩しい夕日に照らされて目がくらみそうなほど、真っ白だった。


 あ。


 さっきと異なる音で心臓が鳴る。宜は紙飛行機を拾い上げると、右側の翼に深紅のシーリングスタンプがついているのを確認した。そして、大事にコートのポケットに入れ、すぐさま校舎に引き返した。


 靴を履き替え、人の流れに逆らって階段を上ってゆく。さっきまでいた三階にたどり着き、教室棟の反対にある明るい渡り廊下を進み、南館へと向かっていく。左手に美術室があり、その前を過ぎて右手の引き戸の前に着くと、宜はその横の「写真部」と書かれた小さな木板をフックから外し、後ろに掛かった鍵を手に取った。


 ドアを開け、前室を抜けて狭い部室の電気をつけた。


「煌さん、相談来たよ。」

 いつものように、使われなくなった水道前の丸椅子に座っているでかい人形に話しかけた。声優になった写真部の卒業生が訪問した際に持ってきたという、彼女が担当したキャラクターの人形だ。


 宜は壁際に重ねられた丸椅子の上にカバンを置き、筆箱を取り出してパイプ椅子に座った。パソコンとプリンタが置かれた机の上に、先ほどの紙飛行機を出す。暗室は写真部の審査会以外に人の集まらない部屋なのでエアコンもない。彼は肌寒い空間の中で目を瞑り、コートの上から胸元に手を当てる。


 すぅ、ふうー。


 深呼吸をひとつ。彼がユービンズとしての仕事をする準備が、やっと整った。目を開け、白い紙飛行機を解体する。

 

『ルピンさんへ

 はじめて相談をします、猫田と申します。

 僕には、大好きな人がいます。その人は、今、友達と喧嘩をして、落ち込んでいます。早く仲直りして、笑顔でいてほしいなと思います。僕には、何ができると思いますか?                                                         

                                猫田秋 』


 なんとなく、口調が幼いように感じた。伝えたいことが簡潔にまとめられているが、猫田氏が自分とそれほど年が離れていないように彼は感じた。

 

 ……さて。何ができるか、か。

 宜は右手を丸め、人差し指の側面を顎に当てる。喧嘩をして落ち込んでいる大切な人。その笑顔を取り戻すためにできることか。


 ふと、彼は自分が小学生の時のことを思い出した。彼には低学年の頃から仲良くしていた二人がいた。しかし、二人は些細な事で仲違いになってしまい、その日を境に三人で教室でつるむことや休日に遊ぶことが少なくなってしまった。幼い宜は何とか二人を仲直りさせようとしたが、いい考えは思い浮かばない。そんな状態が二週間ほど続いたある日の帰り道、三人はばったり会う。すると、宜は気まずそうな二人の様子を見て泣き出してしまった。――


 ストップ。普通に黒歴史。


 宜はうへぇ、と声を漏らし、机に突っ伏した。まさか喧嘩している二人の前で相談者を泣かせるわけにいかない。「大好きな人」とどういう関係なのか、喧嘩相手の友人は猫田氏の友人でもあるのかも書かれていないから、場合によっては変質者扱いされてしまう。


 宜は質問のために紙飛行機を相談者に飛ばし返したいといつも考える。しかし、件の夜に届いた「注意書き」の紙飛行機には、複数回にわたる文通は禁止であると書いてあった。


 彼は、顔を机から離して天井を見上げる。


「うーん……。今の俺だったら、あの時どうしていたかな。」


 たしか、二人が喧嘩した時に俺はいなくて、片方から愚痴みたいな感じで知らされたんじゃなかったけな。どちらかは忘れたけど、その聞いたことのない吐き出すような口調と、いつもあった平穏が突然なくなったことにすごく動揺したのを覚えている。俺は二人を友達だと感じているのに、二人はお互いをそう思えなくなってしまってた……。


 いや、違うか。その時謝れなかっただけで、二人はまだお互いを友達だと感じていたよな。だけど意固地になって、無口なまま過ごしていた。


 ――俺だって悲しくて辛かったけど、二人の方がよっぽど苦しかったよな。それに気づけなかったから、俺はあの時泣いてしまったんだ。本当に泣き出したかったのは、二人の方だっただろうに。


 宜は視線を天井から前方に移した。電源のついていないパソコンのモニターに映る自分は、暗い世界にいる。もし、幼すぎた俺のような状況に、猫田氏がなっているとしたら。


 カバンに手を伸ばし、ペンケースとクリアファイルから便せんを取り出す。


 そういえば、「注意書き」の中には、「読むとき・書くときは焦らない」というものがあった。そう、大事な人が平穏じゃない時も、焦ってはいけないのだ。それが次の問題を引き起こすこともあるのだから。

 

 真下に四葉のクローバーが描かれた緑の縁取りの便せんに言葉を綴ってゆく。届くように。届いた言葉を活かせるように。


 綴りながら、宜は思い出す。泣き出したそのあとのことを。自分が引っ越すまでの、三人で過ごした日々を。

 

 

 最後に、「大丈夫です。」と綴り、相談員としての名前「楓」を記した。


  いったん筆記用具をしまい、文を読み直す。あ、今回返信希望の期間指定されていないから今日中に書かなくてもいいんだ、と宜が思い出すのはいつもこのタイミングである。


「持ち帰った方がもっといい返信考えられるよなぁ……ま、いいか。」

 これが俺の考えです、と一人つぶやきながら、確認のとれた手紙を折り、紙飛行機を作った。


 おわりの儀式は特になく、彼は片づけを済ませて荷物と紙飛行機を持ち、暗室を出て鍵を元の場所に戻した。


 廊下の電気が自動でつく。目の前の美術室は暗く、渡り廊下に戻ると窓に自分が映っていた。彼はいつもここから紙飛行機を飛ばす。窓を開けると、空の先が美しく彩られていた。日はまだまだ短い。


「やっぱり、ここの景色が一番綺麗。」

 右手に持った紙飛行機を見つめる。この子は今から空を抜け、この世のどこかにいる猫田氏に届く。手紙が届く現場を見たことはもちろんなく、相談者から返信が届いたこともないが、宜はカードの言葉を信じ、再び祈る。どうか、届きますように。


「いってら、しゃい。」

 掛け声とともに手を離した。すぅ、と紙飛行機はほうき星の様に飛んでいき、夜空に溶けていった。

 






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