叶わぬ星の夢を見る


 目を覚ますと、私は地面に倒れ伏していた。

 ビアンコとネラが不安そうに私の傍に座り込み、冷えきる私の身体を温めようと必死になって身を寄せている。


 __負けたのか。


 そう直感した。

 普段は隠密や偵察に徹する私だったが、なんの気まぐれか今日は無謀にも勇者御一行様に立ち塞がった。

 その結果がこれだ。ざまあない。

 切り札として身体にしまい込んでいた邪竜は、最初はその黒炎を勇者達に撒き散らして善戦したが、結局は打ち破られた。

 希望とやら勇気やら、努力やら‥‥そんなもので私の夢は打ち砕かれた。

 そして夜更けに輝く1番星を見つめながら、私は魔王の仲間になった後の事を思い出していた。


 あの人と会ってから、私は色々な人をその手にかけた。

 まず初めは私の家族。村人達と同じように毒を撒いて火を放った。苦しんで苦しんで死んで欲しかったから、喚く家族__いや、家族だったものを縛り上げ、同じように地下に閉じ込めた。

 飯は腐りかけたパンを、ベッドは石のように硬いものを、明かりは目が慣れたらようやく見えるほど仄暗いものを。

「出してくれ」と嘆く父。

「もう許して」と命乞いをする母。

「こんなことをするならもう殺してくれ」と死を望む兄。

「こんなの狂ってるわ」と私の事を避難した姉。


 __馬鹿ね馬鹿ね!本当に馬鹿らしい!

 それが、貴方達が私にしたことなのよ。

 出してくれ?そう叫んだ私を貴方は出してくれたかしら?

 もう許して?そう言った私を思いきり殴りつけたのは誰かしら?

 殺してくれ?そう願った私を硬いベッドに縛り付けたのは誰かしら?

 狂っている?__貴方が、貴方達がそれを言うの?

 本当に愚かで無様で救われない。

 救われたいのなら、貴方達が信じる神様にでも祈れば?私は誰も助けてはくれなかったけどね。


 1人ずつ1人ずつ、使用人もその手にかけた。

 毒殺は飽きたから、別の殺し方を試したりもした。首を絞めてみたり、水につけてみたり、少しずつ刃物で身体を傷付けてみたり、糞尿の中に放り込んでみたり。

 __けどやっぱり、毒や麻痺による殺しが私は好きだった。長く長く苦しんで、「なぜ私が」なんて無責任な命乞いを聞くのがとても好きだった。何も分からず何も知らず、無知な人間の死に様が何よりも好き。

 世間を知らぬ無知の花。それの上から毒を垂らし、茶色く溶けて枯れゆく様を見るのが、何よりも。


 家族だったものをその手にかけたのは私の誕生日だった。偶然ではなく、あえてその日を選んだ。

 あの日と同じように精一杯の笑顔で地下の扉を開き、あの日と同じように奴らの手を引く。もう既に手を引く側を経験したことがあるにもかかわらず、「開放されるのか」と安堵する皆の表情は滑稽そのものだった。

 とびきり綺麗にした食卓に座らせ、服も以前と同じような小綺麗なものを身に付けさせた。食卓の上には私が手作りした温かなシチューが並べられていた。


「今日は私の誕生日なの。だから今日は特別よ?」


 そう言えば、奴らは口々に「お誕生日おめでとう」と吐き出した。上辺だけの挨拶に、私も上辺だけの「ありがとう」で返した。

「さあ冷めないうちに食べて」と促すと、奴らは獣のようにがっついた。礼儀も何もかも忘れて、食卓の真っ白なシーツを汚す目の前の生き物を見て、私は嬉しくてたまらくなった。

 その日の夜、家族全員、喉を掻きむしって死んだ。



 __その次は王都近くの街。

「もっと強い人間と戦いたいな」と願うあの人のために、空気に毒を混ぜた。

 王都近くの街に騒動が起これば、討伐部隊が組まれて強い人間と戦えるだろうというなんとも簡単チープな発想だった。あの人は世界を滅ぼしたいと願う悪人だったが、もっと強い人間と戦いたいとも思う狂人でもあった。


「ねぇ、あなた、■■■でしょ?」


 倒れ伏す人間が、私の足を掴んだ。

 所々の単語がノイズがかって聞こえないが、確かに私の目を見つめていた。

 医者なのか、回復魔法の使い手なのかは分からないが、彼女は毒の回りがとても遅かった。


「ねぇ、どうしてこんなことをするの?昔はそんな子じゃなかったじゃない」


 責めるような目で私を見た。

 何故かその人からはそんな目を向けられたくなくて、私は逃げるように顔を背けた。


「誰、貴方」

「師匠の顔も忘れちゃった?」


 そっと優しそうな笑みを私に向けた。

 毒が回って辛いだろうに。冷や汗を流しながら、必死に私の悪行を止めさせようと笑っていた。そして震える手足をなんとか奮い立たせ、彼女は私を思い切り抱きとめた。

 ずっと静かだった心臓が、大きな音を立てて動き出したような気がした。


「ごめんね、ごめんね。やっぱり無理にでも引き止めるんだった。きっと辛い事があったんでしょう?きっと耐えきれなくなったんでしょう?でも、役に立ちたいと願う貴方の気持ちを止めることが出来なかった。ああ、ああ、ごめんなさい。本当に、ごめ__」


 抱きとめる手から力が抜けた。

 腕と足はだらりとぶら下がり、彼女の全体重が私にかかった。口の端から血を流し、顔面を蒼白にし、苦悶の表情を浮かべながら彼女は事切れていた。

 私は震える手で、もう動くことがない彼女の身体を抱きしめた。少しでも温もりが逃げぬように、強く強く抱き締めた。


 __ごめんなさい。

 それを言うのは貴方じゃないのよ、スコール。

 私ずっと、貴方に言いたいことがあったの。

 昔は小っ恥ずかしくて口に出せなかったけれど、とうとう最後まで伝えられなかったけれど。


 ルーチェと同じ私の光。

 私を照らす美しい光。

 私の悩みを跳ね飛ばす、風のような人。

 ずっと覚えていた。スコール、スコール。

 私、貴方の事がとても好きだった。貴方の笑顔に私は何度でも救われた。

 けれど、貴方の涙を拭うには私は人を殺しすぎた。罪を贖えるという希望を抱く前に、私は貴方を殺したかった。

 世界を滅ぼすとは、きっとこういうことなんでしょうね。けれど私は、それも承知であの人の手を取った。


 私を思ってくれた大切な人。

 ありがとう。そしてさようなら。

 もう貴方の事を気にせずに、安心して世界を壊せるわ。夢とは、願いを叶えるとは、きっとなのでしょう。

 でもあれ、どうしてだろう。

 どうして、どうしてこんなにも。

目の奥が、熱いのだろうか。



 __あとは、辺境の村々。

 手当たり次第に燃やして殺した。

 隠密や偵察がてら、必要があれば闇夜に紛れて火を放った。あの時村を燃やしてから、私は毒以外にも炎で人を殺す事に執着した。

 そしてあの人は人々から魔王と恐れるようになり、ついには魔王より強い人間はどこにもいなくなった。世界は順調に灰となり、人の終わりも目前だった。

 だからだろうか。急に現れた勇者とやらに今までの成果を踏み荒らされて、私はなんとも言えない気持ちになった。

 魔王は「自分よりも強いかもしれない」とワクワクしていたが、私は恐ろしくなった。

 ‥‥もし魔王が倒されれば、私の夢はどうなるのだろうか。魔王を信じていない訳では無い。むしろ、信じているからこそ、魔王が倒されるというが恐ろしかった。

 居場所もなく愛もなく必要もされず役にも立てなかった私から、ついに掴んだすら奪われようとしていたのが許せなかった。


 けど負けた。負けてしまった。

 邪竜召喚の代償として私の身体は全く動かず、全身に刻まれた紋様からはじわじわと今でも血が流れ続けている。

 茶色い土をさらに黒く濡らし、どこまでもその染みを広げ続けていた。

 人を殺し続けた報いとは言わない。当たり前だとは思うけど、私は私なりに自分の夢を叶えようとしただけだ。裏切ったのは、不要だと捨てたのは貴方達ではないか。


 __ああ、そんなにこの世界が大切?

 欺瞞と裏切りで満ち満ちたこの世界が、命よりも大事?私はそうは思えないけれど。

 きっと素敵な人達に囲まれて暮らしてきたのでしょう?‥‥知りもしないのに捏造するな?ええ、そうでしょう。だって貴方達も私のことなんてこれっぽっちも知らないでしょう?


 __魔王の部下。毒を撒き散らし、歩いた後は全てを灰にする闇夜の魔女。そして、多くの人を殺した大悪人。


 今思い返せば、大層な名前を付けられたものだ。私になんて勿体ない、素敵な名前ですこと。私の事など知らなくていい。たった1人、私を見てくれる人がいれば、それで。


「‥‥っ」


 穢れた身体を引き摺って、私は彷徨う。

 契約者である私の命の灯火が消えるのに応じて、ビアンコとネラの身体もゆらゆらと黒い煙のように揺れていた。

 せめて君達だけでも、あの人の傍にいて欲しかったが、この世界はそんな願いでさえ叶えてくれないみたいだ。

 本当、馬鹿げている。心の底から嫌いだ。

 でも、不意に見上げた宵闇の空があまりにも綺麗すぎて。綺麗すぎて、憎らしくて、もっとこの世界が嫌いになった。


 私が居なくても、この世界は回っていく。

 むしろ私がいない方が順調に回っていくのだろう。


 __ねぇ、勇者様。

 私は貴方を呪います。

 私の夢を潰してでも前に進むのだから、どうかこの世界をより良いものにしてください。

 目の前で死に行く私を目に焼き付けて、人を殺めたことを実感してください。

 私という存在をこの世から奪い去った事を、どうか墓まで持っていって悔やみなさい。

 夢というのは、願いというのは、誰かの夢と願いを奪うもの。前に走り続けたとしても、時には振り返って、その後ろに積み上げた屍を見て悲しみなさい。

 思い出して、思い返してください。

 奪ってきたものに対して悲しむ貴方を、私は記憶の端で笑いましょう。


 ‥‥だからどうか、私を貴方の世界からも切り捨てないで。私をその手にかけたのだから、私の事を忘れないで。

 貴方が私を思い起こす時、それか、貴方が平和の為に打ち捨ててきた者を振り返る機会があったのならば。その時私は、貴方の記憶と心を蝕む毒として役立ちましょう。

 それが、哀れで、どうしようもない。

 1人の壊れた女からの、重く苦い呪いなのです。



 ***



「キミ、隠密とか偵察係とかでしょ?いつから戦闘係になったの?」


 ひゅうひゅうと細い息を吐き出しながら、地面にボロ雑巾のように倒れる私に、1つの声が降りかかった。

 もうほとんど見えない目で声の方を見ると、見慣れたあの人の顔が霞んで見えた。

 ビアンコとネラは、私を助けるようにワンワンカァカァと叫ぶが、あの人は表情を1つも崩さずに首を横に振る。

 そして、静かに私の隣に座り込んだ。

 表情は相も変わらず石のように動かないが、私はそれがとても嬉しかった。

 どうせ死ぬのだから思いの丈を全て吐き出してしまおう、と血で満たされた喉を無理矢理こじ開けた。

 ごぽり、と血が口から溢れ出る。毒に塗れた血は鉄の味以上に苦味が感じられた。


「私、不要になったら貴方の事‥‥裏切ろうと思ってたの」

「知ってたよ」

「けど、一緒にいるうちに楽しくなっちゃってさ。‥‥そう、楽しかったの」

「うん」

「それも心の底から。あんなに楽しいのは久しぶりだったから、私、もっと貴方といたいと思ったの」

「それがキミを利用したいだけのまやかしでも?」

「ええ、ええ。貴方が強い人を求めていたのは知ってた。敵味方関係なく、自分を昂らせる相手を探していた事は。でも、でもね。私、__とても幸せだったのよ」

「‥‥‥」

「たとえ貴方の野望が終わりや人という種の終焉だったとしても私はそれでも構わない。私だってこの世界の破滅を望んでいた。‥‥取り返しがつかないほど壊れていたのよ。私も、貴方も。だから嘘でも良かった。貴方の言動が嘘だったとしても、私が感じた幸福は変わらないもの」

「キミは‥‥驚く程に馬鹿だね」

「馬鹿で結構よ。‥‥ごめんね。貴方のこれからに着いて行けなくて」

「別に。本来は1人でやってた事だからね。今更キミが減っても変わらないさ」


 そう言ったあの人の顔は珍しく歪んでいて。

 私の死にあの人の感情が揺れ動いていることが、この上なく嬉しかった。

 ごぼりごぼりと絶え間なく喉の奥から毒血がせり上がってくる。

 震える手を何とか動かし、あの人の頬に私の手を添えた。何も言わず、私の手にあの人の手を重ねてきた。

 __ああ、やはり暖かい。


「私、私ね。

 __貴方に会えて、とっても幸せだった」

「‥‥‥‥‥知ってる」

「そう、良かった」



 ***



 全てが灰になった世界で私と貴方が立っている。地面は憎たらしいほど薄桃色の小さな花々に覆われ、その上からひらひらと灰が降り注いでいた。

 ‥‥美しい世界だった。

 私と貴方以外の生命はどこにも感じられず、ただ灰と花に埋まった世界を歩いていた。


 私のことなど目もくれず、目の前を歩く貴方。その歩みは一切の迷いなくどこまでもどこまでも歩き続けている。

 私はその歩みに追いつくのが精一杯で。何とかして追いつこうと、あの人の袖を引こうと手を伸ばす。

 もうすぐ手が届くと思った。しかし、袖に手が触れた瞬間、あの人は灰燼と化した。

 ひらひらと、灰色の粉が風に乗って飛んでいく。


「待って」


 足元の地が割れる。

 夢が、あの人が、どんどん遠ざかっていく。

 ___‥‥まあそうよね。

 私がこんな心地のいい夢を見て終わるなんて、世界が許すわけ無いものね。


 割れた地面の底に、は鋭い牙を生やした黒竜が今か今かとばかりに大口を開けて私を待っていた。


 __なら、せめて。

 あの人の願いが叶いますように。


 黒竜の牙に触れる前に祈ってみる。

 もう届くことは無いあの空の一番星に、どうか叶えてくれと呟いてみる。

 私の夢は潰えた。

 ならばせめて、あの人の願いを、どうか。















 __ぐしゃり、と耳障りな音が地の底に響いた。

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叶わぬ星の夢を見る 朱華 @hanezu00

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