叶わぬ星の夢を見る

朱華

追憶



 風の音がする。



 ***


 轟轟と炎が燃え盛っていた。

 人々の表情は苦悶に喘ぎ、その腕は、炎から逃れようと天に伸ばしていた。


「助けてくれ」

「熱い、熱い」

「苦しい、苦しいよぉ」

「死にたくない」


 様々な声が炎から上がった。

 その炎は人々だけでなく、彼らの住む小さな小さな村全てを焼き尽くしていた。

 まるでその村のみを焼き尽くすように円を描き、激しく燃え盛っていた。

 木製の家はすぐに焼け、石造りである村長の家は赤く変色していた。

 王都から酷く離れ、森に囲まれた辺鄙で小さなその村の炎は、三日三晩収まることは無かった。


「‥‥‥」


 そんな村の様子を、見ている人間がいた。

 その人間は足元に大きな白犬と、肩にはこれまた大きな鴉をとまらせていた。

 村から逃げ延びた人間であろうか。

 それとも、たまたまこの地に辿り着いた人間であろうか。

 答えはどちらも否である。


 __彼女こそが、この村に炎を放った張本人であった。



 ***



 身体が鉛のように動かない。



 ***


 __クソみたいな人生だったな、とメラメラと燃える炎の熱さを肌で感じながら女は思った。

 頬が焼けるほど熱く、人々は炎によって骨まで溶かされて行くのに対して、少女の心はまるで氷のようだった。

 今だって自分で村に火を放ったのにも関わらず、まるで他人事のようにその灼熱をぼんやりと眺めていた。


 女は国でも有数な召喚士の家系の生まれであった。

 しかし、才能があったとは言えず、女はあっさりと家族に存在しない者として扱われた。捨てられもせず、けれど世話もされず、女は恥ずべき者として扱われた。地下の薄暗い部屋に多くの召喚指南書と共に閉じ込められ、誰にも触れられない日々を過ごした。

 慰めてくれるのは、たまたま森で仲良くなった白犬と大きな黒鴉だけ。動物だけが女にとっての癒しであった。


 最初は両親に見てもらおうとそれ相応の努力はした。けれど。


『それがどうした?お前の兄と姉はそんな初期召喚術、1歳の時に取得していたぞ』

『アナタって本当に才能がないのね。それに比べて__』


 ‥‥期待するのをやめた。

 父や母にとって、女はすでに不要な存在であった。なぜなら、彼らには女以外の優秀な息子と娘がいたからだ。

 __ではなぜ、女はこの世に産み出されたのだろうか。

 その答えを、女は自身の誕生日に知ることになる。


 女が15の誕生日の時、普段は開かれない鋼鉄の扉がゆっくりと押し開かれた。

 召喚指南書に埋もれて眠っていた女は、その光の眩しさに目を覚ました。

 そこには両親と兄と姉がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。

 そして、「15歳のお誕生日おめでとう」と声を揃えて言ったかと思えば、女を部屋から引っ張り出した。

 突然の出来事に女は目をぱちくりと瞬かせる。


 __夢だと思った。


 女の手を引く母の手は温かく、父も兄も姉も、まるで大切なものを見るかのように女を見ていた。普段は女を見もしない家の召使いも、今は女に向かって柔らかな視線を向けていた。誰かとすれ違う度に「誕生日おめでとうございます」と祝福された。

 それがとても嬉しかった。

 ずっと祝われるとは思ってなかった誕生日。それがどういう訳か、今日は皆に祝われている。これが夢だと思わずになんと言うのだろうか。

 女は両親への期待は諦めていたが、家族からの愛情を諦めた訳ではなかった。私は望まれて生まれたのだと信じたかった。

 母に手を引かれ辿り着いた先は、円形に蝋燭が並べられた仄暗い部屋であった。中央には大きな角を持つドラゴンのような骸骨が鎮座している。骸骨を中心にして、赤黒い召喚陣が床にも壁にも天井にも描かれており、陣を描いた材料であろう鉄の匂いが充満していた。


 __夢だと思いたかった。


 女は脳内にある召喚指南書の棚をひっくり返し、ドラゴンのページを探る。

 ドラゴンはドラゴンでも、人に災厄をもたらす毒の邪竜のページだ。


 円形に並べられた蝋燭。

 ドラゴンの骨。

 部屋を覆う程の多くの召喚陣。

 そして__15歳の人間の魂。


 女はすぐにでも逃げ出そうと踵を返す。

 しかし、腕を母に掴まれて逃げられなかった。

 ギチギチと締め上げるように腕を掴まれ、女の細い腕に爪が食い込んでいた。

 抵抗虚しく、女は引き摺られるように骨の前に連れていかれる。


『やめて!!母様!!やめて!!』


 女の悲鳴が部屋にこだました。

 母の腕を引き剥がすのを諦め、女は父達に助けを求めようと振り返った。

 が、父達の表情を見て女は絶望した。


 にやり、と口元が三日月のように歪んでいた。叫ぶ女を見て、女の家族は愉快そうに笑っていた。


『お前はこの日のために生まれてきたのだ』


 この上なく幸せそうに、父は言った。


 嘘だ、嘘だ。

 ならば私は、死ぬ為だけに生かされていたと言うの‥‥?ドラゴン‥しかも邪竜召喚の触媒として、死ぬために__。


 はらりと女の目から涙が溢れ出た。

 それと同時に、女の腕から流れ出た血がドラゴンの骨に触れた。血と同じ赤黒く光が部屋を包み込む。

 母が、父が、兄が、姉が高らかに笑う。

 あははは、うふふふと甲高い声が女の脳内を殴り付けた。脳に酸素が届いていないのか、視界がゆらゆらと揺れた。

 ショックで思考はまとまらないが、するべき事は分かっていた。

 _”召喚指南書の2914ページ、「召喚中断は召喚陣の一部を欠くべし」。

 浮かれる家族を尻目に見ながら、女は自身の血で濡れたドラゴンの骨を抱え、窓に向かって放り投げた。

 バリン、とガラスが割れる音が部屋に響く。後ろから悲鳴にも似た絶叫が聞こえるが、女は無視をした。

 思った通り、愚かな家族は窓ガラスにも召喚陣を敷いており、ガラスを割った事によって召喚は中断された。召喚陣の赤黒い光を、割れたガラスから差し込む太陽の光がかき消した。

 女は割れた窓ガラスに足をかけ、その高さに怯えること無く飛び降りる。


『ビアンコ!』


 待っていましたと言わんばかりに女の眼下には白犬が待機していた。白犬に衝突する前に、大鴉が女の服の襟を掴み、衝撃を和らげる。無事に白犬の柔らかな身体に着地し、白犬は女を乗せて風の如く駆け出した。

 割れた窓から身を乗り出し、こちらを怒鳴り散らす家族を尻目に見ながら、女は目を閉じた。



 ***



 身体中が燃えるように熱かった。



 ***


 目を覚ますと、女は見知らぬベッドに寝かされていた。家の硬いベッドとは違う弾力のあるふわふわなベッドの感触に、女は何故か泣きそうになった。

 顔を横に向けると、白犬のビアンコと大鴉のネラが心配そうに女を見つめていた。


『おはよう。目が覚めたんだね』


 扉の奥から1人の女が顔を覗かせた。

 名をスコール。王都にほど近い街で働く、回復魔法が得意な医者であった。


 __この出会いが、女にとって大きな転機になった。


 行き場のなかった女は、スコールに必死に頼み込んで彼女の弟子になった。女は、召喚術よりも回復魔法に才能があったようで、その才を順調に伸ばしていった。

 回復魔法だけじゃ魔力が持たないから、と薬草によるポーションやそれに準ずる薬品作りも彼女から教わった。

 スコールの元で普通の女の子らしい生活と感情を取り戻していった女は、それはそれは幸せな日々を過ごした。


 そして3年後、18歳になった女はスコールの元を旅立つことにした。

 医者として1人前になった女は、その力でもっと世界中の人々__特に治療が満足に行き届いていない辺境の村__に行って、その者達の力になろうとしていた。

 当然の僕、私達も一緒だよね!と言い張るように相も変わらず白犬のビアンコと大鴉のネラは女の傍に居た。

 女の旅立ちを街の皆は悲しみ、そして喜んだ。女の旅立ちを祝おうと多くの者が女に祝福と餞別を捧げた。

 そんな彼らの様子を見て、女の心はこれ以上ないほどに満たされていた。『行かないでくれ〜』と言いながら女に餞別をあげる男を呆れたように見つめながら、スコールは女に声を掛けた。


『もっとここにいていいのよ?』

『ありがとうスコール。でも私、もっと沢山の人の役に立ちたいの』


 多くの人と祝福と言葉に押され、女は街を出た。



 ***



 ひゅうひゅうと、喉が細い悲鳴をあげていた。



 ***



 端的に言うと女は迷っていた。

 深い深い慣れない森の中、女は同じ道を行ったり来たりしていた。

 かれこれ3日ほど、女は森の中をさまよっていた。

 ビアンコもネラは何度も辺りを見てくるよ、と提案しているが『最後まで私一人で頑張るから!』と女は頑なだった。

 道中の村で買わされた周辺地図をぐるぐると回し、自分もぐるぐると辺りを見回す。


 __やけに高かったんだよこの地図!


 しかし、どう考えても解決策が浮かんでこなかった。はあ、と女はため息をつき、ビアンコとネラは己の活躍の場が来る!と期待しそれぞれの足と羽を落ち着きなく動かした。

 期待通りに女はビアンコとネラを見た。


『ビアンコ、ネラ、やっぱり__』

『あら、こんな森の奥でどうしたのですか?』


 ガサガサと草木をかき分ける音と鈴のような声が聞こえた。後ろを振り返ると輝くような絹のような金髪をもつ美しい女性が立っていた。

 名をルーチェ。この近くの村で花屋を営む村の人気者であった。今日も店に出すための花を見繕いに、森の中を散策していた。

 女は実は‥と照れ臭そうに、自身が森で迷っている事を打ち明けた。


『まあまあ!それは災難でしたね。是非わたくしたちの村にいらっしゃいな。歓迎するわ』


 ルーチェに導かれ、女は彼女の村に案内された。ルーチェが住む村はかなり小さく、まるで村人全員が家族のような状態であった。

 村人は皆、余所者である女を訝しげに見つめたが、隣にいるルーチェを見て温かく迎え入れた。

 村長も、医術の心得がある女を快く迎え入れてくれた。できればずっとここにいて欲しい、とも。女はずっと村にいることは難しいと思った。しかし、隣にいたルーチェが悲しそうに口を開いた。


『この村はとても小さいでしょう?お医者様が来る機会も滅多にないし、行こうにもお医者様がいる村までは2、3日もかかるの。だから、わたくしもあなたがここにいてくれればとても嬉しいわ』


 うるうると瞳をうるませ、ルーチェは女に懇願する。ついには村長までもがどうしても!頼む!と懇願し始め、とうとう女は折れた。

 ルーチェは恩人だし、少しくらいはいいかな‥と女は心の中で不貞腐れている自分を納得させた。


 女に与えられたのは、ルーチェが営む花屋の近くにある小さな小さな小屋だった。ルーチェは申し訳なさそうに『ここしかなくてごめんなさいね』と言い、女は『大丈夫です』と笑顔で返した。人の役に立てるのなら、どんな小さなところでも大丈夫だ。と続けて返した。


 ‥‥ルーチェは大層な村の人気者だった。

 彼女の家に人が途絶えることなんてないし、いつだった彼女の花屋からは幸せそうな笑い声が響いていた。

 最初は余所者だからと近付かなかった村人も、ルーチェの必死の説得により、ぽつりぽつりと女の元に人が来ることが増えた。

 女の回復魔法にかかったことが無い村人は女を『魔女だ』と囃し立てるが、女は耳にも入れなかった。

 なぜなら、ルーチェが自分の事のようにその村人を怒ってくれるからだ。

 毎夜毎夜、人が途切れたのを見計らって、ルーチェは女の小屋に顔を覗かせる。そして、そっと白魚のような手を傷だらけの女の手に重ね、毎日女を励ましてくれた。


『ごめんなさい。皆、外の人に慣れてなくて警戒してるの。いつもこうだから気にしないで』

『ねぇねぇ、お外の話を聞かせてくださいな。森の外は危険だからって、誰も連れて行ってくれないんです』

『ビアンコもネラも人懐っこいんですね。もふもふでとっても癒されます!』

『貴方は素敵な人だわ。わたくし魔法は使えないから、とても憧れちゃう』


 しかし、それをよく思わない人がいた。

 余所者の介入によって、自身が築き上げた村の調和を乱される事が許せなかった。余所者のせいで森の外に出たいと願う人間が増え続けていることが許せない。お前達は私の元で働き続け、その全てを私に捧げるのが役割だろうに。

 ルーチェもルーチェで目障りだ。村人全員に人気がある故にあの時は同調したが、本当は余所者なんて村に入れたくなかった。

 アイツのせいで、ルーチェのせいで私の優雅な老後生活は台無しだ!ただでさえ若い者が少ないのに、村の外に言ってしまえば、誰が私に食料を、労力を、金を納めると言うのだ__!


 窓の外からルーチェとその近くにある小屋を睨みつける。ぐぬぬ‥‥と唸っていたその人は、ある1つの案を思い付いた。最低最悪の案であったが、女もルーチェも消せるとっておきの案であった。




 __朝、女が目覚めるとなんだか外が騒がしかった。『ルーチェが、ルーチェが!』という声を聞き、女は急いで飛び起きた。小屋から出ようと扉に手をかけた瞬間、バタン、と向こう側から扉が勝手に開かれた。

 目の前には憤怒に顔を染める村長と、その脇を自警団の青年2人が固めていた。


『そ、村長さん‥?』

『早く探せ。この中にあるハズだ』

『はい』


 村長に言われるまま、青年2人はズカズカと女の小屋に押し入った。何をするの!と女は青年に手を伸ばそうとしたが、その腕をまた別の自警団の青年に掴まれた。ビアンコもネラも筋骨隆々の屈強なる男達に抑えられていた。

 状況が飲み込めないまま、女の小屋は青年たちによってひっくり返されていく。

 そして厳重に保管されていた小さな薬棚を見つけると、鍵を無理矢理壊し、並べられた小瓶を雑に掴んだ。

 __薬品に使う毒薬が入った棚だった。単体で使えば毒だが、他の薬草と調合する事によって様々な効力を持つ。値段は高額だが、安全な処理を施せばどんな薬にもなる。この国で働く医者なら誰もが知る万能薬だった。


 女の中から血の気が引いていくのが手に取るように分かった。

 女が目の前の光景に唖然としていると、小瓶を見つけた青年が村長に向かって声をかけた。


『ありました!』

『この色‥‥ヒュドラの毒か‥‥なんと、なんと惨い‥‥』

『毒!?毒ですって!?』

『まさかお医者様が‥』

『そんな‥』


 村長の背後から、村人の悲鳴が聞こえる。

 一体何が起こっているというのだろう。状況を理解しようと思考を巡らせていると、女を捉えている青年によって無理矢理立たされた。

 朝から聞こえたルーチェの名を叫ぶ村人の声、そして突然入り込み薬棚を荒す自警団の青年達。そして、ヒュドラの毒を見て惨いと言った村長の声__。結論に至ったと同時に、女はズルズルと村人全員の前に立たされていた。村人たちは怒りやら悲しみやら戸惑いやら、様々な表情を浮かべている。


 __待って、待って。

 心の中で静止を求めるが、口が乾いて上手く言葉が出なかった。


『ルーチェを毒殺した罪で、お主を投獄する』



 ***



 竜が、私を見ている。



 ***



 女は村長宅の地下牢に監禁された。

 すぐにでも殺されると思ったが、そうはならなかった。むしろ、殺されるよりも酷い仕打ちを受けた気がする。

 医者の能力だけを買われたその女は、村長の命令で村中を素足で歩かされ、病人の治療に当たらされた。病人の家に向かう途中多くの物をぶつけられたり、ヒソヒソと女を中傷する言葉を投げかけられる。

 ヒュドラの毒を元にして作られる薬品の使用は禁止され、回復魔法を使わされた。

 もちろん魔力の使用限度を上回り、満足な治療を施せなかった日には『役立たず』と足蹴にされた。

 ルーチェを慕っていた者も、慕っていなかった者も、全ての者が女を敵として認識した。

 問診を終え、今日も『役立たず』と罵られる。

 昔と同じ硬いベッドに横たわりながら、女は涙を流す。いや、正確には流そうとした。


 __涙は、とっくのとうに枯れていた。

 手足は擦り切れ、いつぞや誰かに褒められた白髪はボサボサになっていた。

 貴方の髪は雪のように綺麗ね、と頭を撫でてくれたのは誰だったっけ__。ああそうだ。すこーる、そうだ、スコール、だっけ。あれ、どんな顔してたっけ。声もどんなだっけ。あれ、あれ。

 霞がかった記憶を掴もうとするが、するりと呆気なく女の手をすり抜けた。


 痛い、痛い。

 足も手も、心も痛い。

 どうしてこうなったの?

 私、何か悪い事をした?

 ビアンコ、ネラどこにいるの?

 早く私を迎えに来てよ。

 ずっとずっと寂しいの。

 私を、1人にしないで。


 女の呟きは牢の暗闇に消える。

 自分の存在をなんとか繋ぎ止めるように、女は身体を丸くする。

 その日の朝、牢の前に捨て置かれた白犬と大鴉の遺骸を見て、女は絶叫した。



 ***



 悲しそうな目で、私を見ているの。



 ***


 もう何も感じなくなった。

 物を投げられても痛くないし、悪口を言われても心苦しくならない。どうでもいい、どうでもいい。上手く魔法が扱えなくて蹴飛ばされても、痛くなかった。

 むしろ笑う女を見た村人が『気持ち悪い!』と上げた悲鳴が、とても愉快で心地よかった。酷いなぁ、治してあげようと頑張ってるのは私なのに、気持ち悪いだなんて。


 牢に入る前、女には1つの日課が加えられた。それは死んだ白犬と大鴉の墓に手を合わせることだった。あの朝絶叫した女は渾身の魔力で牢を壊し、2人の墓を掘った。牢を壊された事に村長は驚いたのか、女に毎日の墓参りだけは許した。けれど、ルーチェの墓参りだけは許されなかった。


 その日、女は気まぐれに召喚陣を引いた。

 白犬と大鴉のことを思いながら、垂れ流れる自分の黒血で、うろ覚えの召喚陣を描いた。

 けれどやはり、召喚陣は答えない。


『ビアンコ、ネラ』


 枯れた涙袋から、なんとか涙を1粒絞り出す。その1粒が召喚陣に触れると、陣は淡く、そして控えめに輝く。

 女は驚いた。なぜなら、召喚されたのは見覚えのある白犬と大鴉だったからだ。

 奇跡かどうかは分からないが、魔力を持つ女に長年連れ添ったお陰で、白犬と大鴉は魔物に成り果てていたらしい。それとも、この森や土地の影響だろうか?いや、今は女の願いの力ということにしておこう。女は流れない涙を目いっぱい流し、2人に思いきり抱き着いた。わふわふ、かあかあとビアンコとネラも嬉しそうにそれに応えた。

 そして2人は、女に全ての真実を教えた。

 普通の白犬と大鴉だった時には伝えられなかった心の声を女に伝えた。


 __ルーチェを殺した犯人はやはり村長であった。

 老後を憂いた村長の哀れで愚かな殺害計画。

 医者しか持たないようなヒュドラの毒でルーチェを殺し、その犯人に女を仕立てあげた。けれど、病は怖い村長は医者である女の精神をギリギリまで追い詰め、飼い殺した。村の人気者を排除し、外界の知識を持つ余所者をも手懐け、村人を自分の思い通りに使う。

 エゴだらけの犯行計画を聞き、女は久し振りに心の奥底から笑った。


 ああ、愚かだ愚か。本当に愚か。

 村長も、その嘘を信じる村人も。

 信頼してくれると思っていた村人たちもルーチェを殺せば敵になる。結局女は村の仲間として認識されていなかったのだ。余所者はどこに行っても余所者なのだ。

 居場所を逃げ出した女にとって、この世界に居場所などない。


 居場所がないから、居場所が欲しかった。

 必要とされなかったから、誰かに必要とされたかった。

 役立たずだったから、誰かの役に立ちたかった。


 それが叶わないのなら、この世界に意味なんてあるんだろうか。

 __私を必要としない世界、そんな世界に、意味なんてあるんだろうか。


 女の行動は早かった。

 ビアンコとネラを引き連れ、堅牢な檻をいとも容易く捻じ曲げた。魔力はもうない。復讐の炎だけが今の彼女を突き動かしていた。

 地下牢から地上に続く扉も壊し、女は前進する。復讐の炎は地下牢をどろどろに溶かした。

 地上に出ると、そこには騒ぎを駆けつけた何人かの村人達と自警団達がいた。揃いも揃って、女を化物のような目で見つめている。

『ネラ』と暗い空に声かけると、大鴉は赤黒い液体が入った瓶を女に手渡した。

 女は懐から黒い布を取り出し、顔に巻く。


 ああ、ルーチェ。私の友よ。

 余所者の私に唯一手を差し伸べてくれた光の人。貴方の光に今、私も答えましょう。


 瓶のコルク栓を開け、赤黒い液体を地面にぶちまけた。びちゃびちゃと液体は土に吸い込まれ、そこから赤黒い煙を上げた。

 その煙は村人達を包み込んだ。次の瞬間、何人かの村人は口から泡を吹いて倒れた。

 女が歩けば、その毒煙も共に動いた。

 村人達は恐怖に顔を染め、それぞれの家に逃げ込んだ。

 逃がすまいと女は村人の家に火を放った。

 村人の一部は村から出ようと走るが、村から出る前に毒煙に襲われ結局地面に倒れ伏した。


「助けてくれ」

「熱い、熱い」

「苦しい、苦しいよぉ」

「死にたくない」


 女は笑った。

 村人達に嘲笑された分、女は燃える村人達を見て笑った。轟轟と復讐の炎は燃え続け、村人達を骨の髄まで燃やし尽くす。

 この炎は、全てを燃やすまで消え去る事は無い。魔力で作られた炎は、女の恨みと怒りを燃料として、三日三晩燃え続けた。



 ***



 ああ、どうか。



 ***



『すごいねぇ!キミ、これ1人でやったの?』


 後ろから声をかけられ、女は振り返る。

 そこには黒いローブを羽織り、フードで顔を隠した1人の人間が立っていた。

『だったら何?』と女は興味無さそうに燃え続ける炎を見ていた。もう地面しか残っていないのに、炎は燃える。

 しばらくすればこの人間も毒煙によって死ぬだろうと女は思っていたが、いつまでも生きているその人間に対して女は深い深いため息をついた。


『キミ、世界が憎いんだろう?その目を見れば分かるよ。全ての破滅を願う、いい目をしてる』

『‥‥だったら、何?』

『じゃあ私と一緒に世界を滅ぼさない?』


 バチッとウィンクをし、無邪気な表情でその人間はあまりにも醜悪な提案をした。

 軽い調子で言うものだから、一瞬女の反応が遅れた。目を瞬かせ、伺うようにその人間の目を見た。

 その人間の目は笑うように目尻を下げていたが、瞳はちっとも笑っていなかった。

 __無だ。この人間の目に何も映していない。

 それにこの人間の目を見ていると、自分の心の1番触れられたくない大切な部分を直に触れられている‥そんな気味の悪さもあった。

 けれど荒んだ女の心には、その無を抱く瞳が何よりも心を落ち着かせた。もっと見て、もっと触れて、もっと私を感じて。

 心の内の欲望が暴かれるような、そんな気味の悪さ以上の魅力が目の前の人間にはあった。


『ほんとは1人でやろうかな?とも思ってたんだけど、意外と退屈でさ。キミが良ければ仲間になってよ。

 __私がキミに、居場所をあげる』


 この人間は心が読めるのではないだろうか、と女は思った。それも心の内の内、本人すら自覚していない願望を見通すそんな力が。

 人間の提案はとても魅力的だった。


 ‥‥まあ、これから先の具体的な事は何も決まってなかったし。


 女はその狂った脳味噌で狂った提案を受け入れる事にした。

 女は破滅を願い、その人間も破滅を願った。どうせどっちもロクデナシだ。不要だと思ったら、道中で裏切りなりして切り捨てればいい。


『いいよ。貴方の協力者になってあげる』


 __女はそう言い、後に世界から魔王と呼ばれる人間の手を取った。

 その手は人間と言うにはあまりにも冷たく、魔物と言うにはとても温かくて。


 今思えば、いや、思わなくてもおかしな人間だったなぁと女は笑った。



 ***



 __私を憎んでください。

 許されないと思うのなら、骨の髄まで焼き尽くしてください。

 許すというのならその甘い毒で心の奥まで溶かしてください。

 頭を撫でてください。腹を蹴ってください。

 いい子だと褒めてください。役立たずだと罵ってください。

 愛してください。愛さないでください。

 私を必要としてください。私を不要だと切り捨ててください。


 __貴方と共に破滅の夢を見ましょう。

 夢に揺られて、共に終わりの唄を歌いましょう。全てが終わった破滅の果てで、私は死にたいのです。私を必要としてくれた貴方の隣で。私に居場所をくれた貴方の隣で。

 たった2人だけになった世界で、私は貴方と生きたいのです。死にたいのです。殺したいのです。愛したいのです。愛してみたかったのです。

 私、私ね。

 貴方に会えて、とっても__。



 ***



 **



 *



 __目が、覚めた。

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