第7話 第三音楽室

明くる日の朝。教室は朝練帰りの生徒の制汗剤の匂いで充満し、喧騒に包まれている。とても居心地の良い空間では無いので、朝は遅刻ギリギリに登校するのがルーティーンである。だが、今朝は例外である。理由は当然昨夜の出来事……自分の妄想の中の少女と全く外見が一致している少女が突然自分の部屋に上がり込み、"妄想の世界で、あなたと何度も会っています。"との書き置きを渡された。こんなことがあったら、朝は早く目覚めるし、いつも家を出る時間までゆっくり待つなんてこともできない。


「はよー」


来た。日野ミクである。転校二日目にしてホームルーム開始三分前に堂々登校。彼女に挨拶に、クラスのほとんどが反応している。スクールカースト上位に転校から丁度24時間ほどで君臨する彼女の姿を見てると、"根っからの陽キャは、小中高大ずっと陽キャで居続ける"という話は本当なのだろうと妙に納得させられる。教室の真ん中で、昨夜とはほとんど別人のように振る舞う彼女。結局、自分は夢でも見ていたのだろうか。とてつもない告白をされたが気がしたのも、ただ"気がした"だけか?


「うし、ホームルームを始めるぞ」


俺の感情とは裏腹に、朝はいつも通りに進んでいく。簡単なことなのに、後ろの席を振り返ることができない。俺は中途半端に臆病だったり、中途半端に勇敢だったりする。今はおそらく前者の部分が強く出ている。


「あの、昨夜のノート……見てくれたましたよね? 今日の放課後、話したいです。第三音楽室で待ってます、ほとんど人が来ないらしいから……」


「あ、はい……」


先手を打ったのは彼女、日野ミクだった。というか、今まで俺は何の手も打っていない。ただただ受け身のまま突風に流されているだけだ。




#####




来たる放課後。校舎5階の最北端。塗装が剥がれかけているピンクの扉は、見るからに重そうだ。錆びたドアノブには"第3音楽室"と書かれた木板が今にも千切れそうなタコ糸でひっかけられている。


「ここか……」


思わず、そう声を漏らした。こんな場所、普通なら卒業するまで入ることなんて無かっただろう。日野ミク。彼女が来てから、俺の"普通"は良い意味でも悪い意味でも崩れ去った。果たして、部屋の中で彼女に何と言われるのだろう。


ガチャリ。


ドアの向こうで、彼女は古びたピアノ椅子に座っていた。スマホをイジるわけでも、単語帳を見ているわけでもない。ただじっと、何もせず俺のことを待ってくれていたようだ。


……思えば、ここから俺の物語は始まったのだろう。ここ、第三音楽室で。

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