第54話 あれ? きみ誰だっけ?

 しばらくふたりは握手をしたまま見つめ合ってていた。

「今日は本当にありがとうございました。オサムさんがいてくれたから頑張れました。本当に感謝しています・・・。」

 ルミはそう言い終わると大粒の涙を流していた。

「何言ってるんですか。俺は特別なことは何もしてないよ。ただルミちゃんを推している、ただのファンのひとりだから、俺みたいなファンはルミちゃんには大勢いるんだから、俺なんか”誰だっけ?”位のひとりだから。これからも最高のパフォーマンスをルミちゃんを待っているみんなに見せてあげてね。だからこれ位で泣いてちゃだめだよ。」

 そんなルミを見てオサムは優しく声を掛けた。

「そんな! ファンのひとりなんて・・・。」

 ルミは涙を流したまま顔を上げオサムの顔を見て声を詰まらせていた。

「そう。ファンの中のひとりです。」

 オサムは笑顔を見せ、ポケットからハンカチを取り出してそっとルミの前に差し出すと、ルミはそのハンカチを受け取った。

「これこの前の・・・。」

 そのハンカチを見てルミはいち度はおさまりかけていた涙が再びこみあげてきてしまったようだ。

「これ以上オサムさんと話してると私・・・。」

 ルミはオサムに背を向けハンカチで涙を拭きながら、この前のオサムの言葉を思い出していた。

(「ルミちゃんはアイドルなんだよ。大勢のファンの前で最高のパフォーマンスを見せなきゃ。」)

 ルミは大きく深呼吸してから再びオサムの方を向き、表情を整えてからオサムのことをまっすぐな目をしてみてきた。

「今日はありがとうございました。私これからも頑張ります。」

 

 オサムもルミの目を見てルミの気持ちの変化に気付いたようだ。

「うん、そうだね。頑張ってください。今度の握手会も必ず行きますから。」

 オサムは安堵の表情を浮かべて明るく言っていたが、何故かその直後から少しずつオサムの態度に変化があらわれ始めて、急にもじもじしだし表情もさっきまでの凛とした感じから、いつもの(以前の)オサムに戻ってしまったような顔になってしまった。

「あのう、最後に・・・、最後にひとつだけ・・・お願いしてもいいですか?」

 かなりおどおどしたような、恥ずかしそうな感じでにオサムはルミに尋ねると、ルミは笑顔に戻って聞いていた。

「いいですよ。何ですか?」

 ルミはいいといったものの、オサムの態度は変わらずもじもじしたままでいて、言葉もうまく出てこない様子だった。

「あのー、あ、握手・・・、握手してもらっても・・・いいですか?」

「ぷっ。何ですか、それ。」

 さっき握手していたにもかかわらず、変なことを言ってきたものだから、ルミは思わず吹き出しながら、不思議そうな顔でオサムの顔を見ていた。

「いやー。な、何かさっきまでは気が張っていて、いつもの自分じゃないみたいで・・・、な、何でもバリバリできてたっていうか何て言うか・・・、で、でもそのせいでさっきまでのことあまり・・・覚えてないんですよね。それで・・・、今は全て終わって・・・、良いのか悪いのかいつもの自分に戻ってるみたいで・・・。」

 オサムはよくわからないことを言うと、ルミは不思議そうな顔のまま聞いていた。

「そのー、で、ですから、い、いつものと言うか・・・以前の自分で・・・、そうそう! ルミちゃに・・・ ”あれ? きみ誰だっけ?” ぐらいに思われる、ただのファンのひとりとして握手がしたいんです。」

 完全に意味のわからないことを言っていた。

「えー、よくわからないですけど、そんなことあるんですか? もう知らない。」

 ルミは後ろを向いてしまった。

「ごめんなさい。」

 オサムはいつものように動揺して慌ててしまっていると、ルミは振り返った笑顔を見せた。

「嘘ですよ。でも握手は今度にしましょう。次の握手会に取っておきましょう。私はいつものオサムさんも好きですから。」

 ルミは笑顔のままオサムの元から走り去ってしまった。

(そんな、せっかく勇気出して言ったのに・・・・。)




「木村さん遅いじゃないですか。いつもは一番乗りなのに。早く行きましょう。」

 沢田はオサムを見つけると大きな声で話しかけてきた。

 オサムと沢田は駆け足で握手会の会場に向かい、手荷物検査を済ませて会場内に走って入ると、ふたり同時に驚きの声を上げて立ち止まってしまった。

「えっ!」

「これって・・・、凄いですね。この前の握手会とは大違いですね。」

 沢田が言っていたのは、前回の閑散とした握手会会場から大きく変わった、大勢のファンで混雑した会場内を目にしたからであった。

「木村さん、これは沙由ちゃんと美里愛ちゃんがいた時と同じくらい、いやそれ以上にファンが集まってませんかね。」


 向日葵16はあずまや武蔵台店を皮切りに、順調にあずまや各店舗でのイベントを成功させていき、大盛況のまま全店制覇を成し遂げていた。これはオサムの武蔵台店で行ったアイデアが認められ、各店でほぼ同じ取り組みがされていたことによるところも大きかったようだが、もちろんそれはグループの実力があってこそだと考えられるのだが。

 その後向日葵16のあずまや全店制覇は一部ネットニュース等に取り上げられ、ネットで向日葵16を知った新しいファンも増え、一度は離れていたファンもそれを見て再び戻ってきていたこともあり、さらに先日のあずまや各店舗でのイベントで獲得した幅広い年代の新しいファンも加わって、大きくのファンを獲得できたことが、今回の握手会の大盛況へとつながっていたようだ。


「木村さんルミちゃんのレーンもかなり混んでいますね。」

 ルミのレーンにできた長い行列を見ながら沢田が言うと、急いでふたりはその行列の最後尾についた。

(ルミちゃん凄い人気だな。やっぱり見てる人は見てくれてるんだな。この人気は当然だよ。)

 オサムはそんなことを思いながら、ルミのレーンを少しずつ進んで行き、ようやく次の次が自分の番になる所まで来ると、緊張度が急上昇してしまっていたようだ。

(やばい、なんか緊張してきちゃった。どうしよう・・・。何回もルミちゃんには会っていたのに、やっぱりあの時の俺は・・・。)

 オサムの緊張が丁度MAXになったとき、ルミのレーンの係員から声を掛けられた。

「次の方どうぞ。」

「はっ、はい。」

 オサムはひっくり返った様な声で返事をしてルミのブースに入ると、そこには前に会ったときよりも、何倍にも輝いて見えるルミの姿がそこにあった。

「こんにちは。」

 ルミは笑顔でオサムを迎え入れたが、オサムの緊張はついにMAXをも超えて、どこまで行ってしまっていたのかわからない位の緊張感に包まれていた。

(アイドルの”神宮ルミ”だ・・・。)

 今さら何を言ってるんだ位に、オサムは変なこと考えて、以前の本来の自分に完全に戻ってしまっていた。

「こんにちは、いつも応援して…」

 オサムはいつもの決め台詞を言い始めると、ルミがすぐに言葉をかぶせるように再び挨拶して来て手を差し出してきた。

「こんにちは。」

「・・・こ、こん、こんにちは。」

 ルミはオサムの目を見て最高の笑顔を見せながら、悪戯っぽく言った。

「あれ? きみ誰だっけ?」

 オサムはその言葉で何故か少し落ち着きを取り戻して、自ら両手を伸ばしルミの手を握っていた。

「僕は・・・・・。」


(完)

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あれ? きみ誰だっけ? FLAKE @pieson1201

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