きょうを読むひと
狂フラフープ
きょうを読むひと
どこかに経を読むひとがいる。
はじめは近くで葬儀でもやっているのかと思ったのだが、それだとあまりに近所に死人が多いことになる。
いくら感染症が流行っているとはいえ、日がな一日ひっきりになしに読経の声が聞こえるほどにこの地域は壊滅的な打撃を受けているわけではない。
在宅仕事の息抜きに音の出所を追ってみると、犯人は意外なほど近くにいた。
感染防止のための保育園休園を受けて、暇つぶしに買い与えた安物のタブレットと、それを見つめる我が愛娘、ゆきである。そういえばこのところ、母はスピーカー越しの子供の歓声や幼児向けのダンスの合いの手を聞いていない気がする。
確かに動画サイトを与えた子どもが緊急車両なり知育動画なり、最終的に同じ動画を延々と見続けるようになる類の話は耳にしていたが、まさか自分の娘の行きつくところが仏教経典であるとは夢にも思わなかった。
とはいえわたしとて仮にも仏教徒の身である。
これを気味が悪いと取り上げてしまうのも罰当たりなような気がして、結局のところ子供の自主性を尊重する、という方針で放置することとした。
まあ、そもそも妙に思うのは出所が不明だったからというのも多分にある。
種さえ割れれば幽霊の正体見たりというやつで、もはやそれほど気にもならない。仏教系のカルトに繋がっている可能性も頭をよぎったのだが、アップロード者は誰とも知れず、タイトルも動画説明文も空欄でおすすめの動画にはキッズ向けの動画が並んでいるばかり。ここからどうやって良くない情報にアクセスするかはわたしにだってさっぱりわからない。心配するだけ無駄というものである。
そのうちゆきが読経に合わせて、舌っ足らずに真似て経を口にしているのが聞こえて、習わぬ経を読み始めたか、と思ったのも束の間。数日もするとわたし自身の口から、何の気なしに口ずさんだリズムとしてあの飽きるほど聞いた経が出てきていた。気付けばわたしまで門前の小僧と化していたというわけである。
そうして生活の中にそのリズムが溶け込んで、そのままさらに数日が経った。
ー ー ー
その日も朝起きてからずっとゆきは経を唱えていた。
朝食の後始末をして、洗濯物を干して、外出用に装いを変える。今日は友人と会う約束がある。問題はゆきだ。
気軽に預けられる先もなく、この歳の子に留守番させるわけにもいかない以上、ゆきを連れて出掛けるほかない。ないのだが、自分ではすっかり慣れてしまったとはいえ、抱っこされながら経を読む園児が世間的にはどう見えるのかぐらい想像はつく。
飴でも舐めさせていれば黙っていてくれるだろうか、と考えを巡らせていたところ、とても良いことに気が付いた。
ゆきは画面を見ていないときは経を唱えないのである。これにて全て解決と上機嫌になるあまり鼻歌で経を唱えそうになり、自分の重症ぶりを改めて認識した。
友人の奈次と会う約束をしているのは、自宅からバスで二駅ほどの喫茶店である。
待ち合わせの時間にいつも遅れてくるのは彼女の悪い癖だが、息を切らせてドアをくぐる奈次に気付いたとたんに駆け寄るゆきの姿を見ると、浴びせる小言も思いつかない。
彼女の家からはずいぶん遠いこの店を毎回選ぶ理由を、奈次は学生時代に仲間内でよく通ったからと言ってくれる。
同情にはもう飽きた。
娘とふたりきりのわたしがそれなしに生きてはいけない身分であることを自覚しているからこそ、人前では生活のために可哀そうな母娘を演じてしまう。
だからこそ純粋に気の置けない友人として接してくれる奈次がありがたい。甘えるのは母親の仕事ではない、と思いつつも居心地の良さのあまり、ついつい頼ってしまう。
まあ、言い訳をするとこれは甘え上手のくせして甘やかし上手の奈次も悪い。子持ちでもないくせにゆきの扱いにも慣れたものだ。ゆきを膝の上に乗せて一緒にメニューをめくる姿を他所様に見せれば、部外者はわたしだと皆が思うことだろう。
それからしばらく花を咲かせていた他愛もない会話が途切れたのは、ゆきがクリーム塗れの手で奈次のスマホに興味を見せたからだ。
さすがにそれは見過ごせない。
ゆきを遮る必死のディフェンスを見て、奈次は笑いながらゆきの小さな手を紙ナプキンで拭うと自らのスマホを生け贄に差し出したのだが、ゆきはそれを自分のタブレットと同じように扱えるものだと思っていたのだろう。一通りスマホをいじり回すうち、思い通りにならないことを悟ってぐずりはじめてしまった。こうなってしまえば、爆発するのはもう時間の問題だ。
一応持ってきていたゆき用のタブレットを鞄から取り出す。
「ちょっとごめん。これ聞かせると大人しくなるから」
できればこんなところで読経を垂れ流したくはなかったが、大泣きされるよりはましだ。それにこのまま放っておけば握りしめたままの奈次のスマホに癇癪をぶつけてしまうかもしれない。
「買ったの?」
「ゆき用にね。子供をネット漬けにするのは良くないとは思ってるんだけど、どうしても手が回らなくて」
ゆきちゃんはなにがお気に入りかな、と目線を会わせて奈次がタブレットを覗き込む。
タブレットからいつもの経が流れ出す。
いくら相手が奈次でも、ちょっと引かれるかと身構えた。
「へえ、きれいな讃美歌ね。なんていう曲名?」
なにを言っているのだこいつは、と思った。
人間もあまりに理解が追い付かないと処理落ちして動きが止まるらしい。
讃美歌ではない。
讃美歌ではない、と思う。わたしはこれを疑う余地もなく経であると思うのだが、説明することができない。
そもそも、考えてみればわたしはなぜそれを経であると思ったのか、説明できない。
釈迦の名も阿弥陀仏の名も登場しない。観音菩薩も法華経も色即是空も空即是色もない。それどころか定まったリズムも、音の高低もない。
「……いや、どう聞いても讃美歌じゃないでしょ」
「そうなの? じゃあ、聖歌?」
わたしには讃美歌と聖歌の区別などつかないが、いくらなんでも経とそれらの区別くらいはできる。それは当然奈次とてそうだろう。
「奈次、落ち着いて聞いてね。わたしには、これはお経に聞えるんだけど」
奈次がわたしと似た顔をする。
わたしはこれを経であると理解し、讃美歌であるわけがないと感じている。奈次は同じものを聞いてこれは讃美歌であり、経であるわけがないと主張している。
あまりに平行線をたどる議論に、意を決した奈次が近くの席の男性を捕まえて聞かせたのだが、彼はこんなものはよくある怪談の類ではないか、と断定した。
まるで狐につままれた、とはこのことだろう。
わたしも奈次もなにをどう切り出していいかわからず、解散の時間までぎこちなく時間を潰すと、わたしは逃げるようにそそくさと席を立った。
帰り道、ゆきはタブレットを離さず、バスの車内には例の動画が小さく響き渡っていた。
例の動画だ。わたしはもう、これを経だと断定できない。
周囲の人間にはどう見えているのか、わたしには想像もつかない。
ー ー ー
奈次と別れて家路をたどる間、頭を離れなかったことがひとつある。
膝の上でタブレットを抱えるこの子にとって、この音はいったい何に聞えているのか、という疑問だ。
家の玄関まで話を切り出せなかったのは、わたしに勇気がなかったからだ。自分の一番安心できる場所でもなければ、恐ろしくてその疑問を口にできなかった。
ゆきの靴と上着を脱がせて片付ける。
「ねえ、ゆきちゃん。何を聞いているの?」
さりげなく、なんでもないように尋ねたつもりだった。きっと、なんでもないように尋ねることができていたと思う。
だから、ゆきはなんでもないようにその質問に答えてくれた。
「パパ」
ただ一言。
言葉足らずなゆきの答えは、わたしを打ちのめすに十分すぎた。あまりの衝撃に立っていることすらままならず、その場にへたり込む。
そうか。
そうだろう。よくよく考えれば、その返答は想定しうるものだったに違いない。
経、讃美歌、怪談。どれも死後の世界を連想させるものだ。あの動画は見る人間にそれぞれ異なる形で認識される。あれは、人間それぞれに異なるこの世ならざるものの姿を見せるのだ。
そして、まだ死というものをうまく飲み込めていないであろう年齢のゆきにとっては、もう二度と会えない場所へ行ってしまったとだけ言い聞かせられた父親の存在こそ、彼岸の認識そのものなのだろう。
今度はなんでもないように振舞えた自信がない。
「パパは、なんて言ってる?」
ゆきは答えない。
軽く首をかしげると、両手に抱えるタブレットをわたしに差し出してくる。
「ママもパパとお話ししたいの?」
受け取ったこのタブレットを、わたしは叩き壊して捨ててしまうべきなのだろう。
履歴を消すだけでも良い。検索に引っ掛かりようのないこの動画には、たったそれだけで二度とたどりつくことができなくなる。
「ゆきちゃん、ちょっとだけ良い子にしていてね」
けれどわたしはそれをできなかった。
死んだ夫と話せるかもしれない。
頭に浮かんだその考えが、わたしの精神を冷静とは程遠い状態にする。やるべきでない理由がいくらでもある。けれど、その全てより大きな欲求がわたしを動かしてしまう。
ゆきを廊下に取り残したまま、わたしは自分だけリビングへ這い進む。ドアに寄りかかり、自分の体を重石にし、荒い呼吸をしながらタブレットの画面を食い入るようにして見つめる。
そういうものとしか思っていなかった経のリズムに、何かの意味を見出そうとする。耳をすませば、これがいくつかのなにかが混ざったものだとわたしには発見できた。
そのひとつひとつを聞き取ろうと、聞き分けようと全ての意識を集中する。
声を探す。
わたしの知る声を、意味ある言葉を、混じり合った音の中から拾い上げる。
真っ暗だったはずの画面に、ぼんやりとした景色が滲むように見えてきた。
もうわかる。聞こえるのは、見えるのは、向こう側だ。
境界が見える。
境を読むことができる。
ここを越えなければよい。境の内側に身を置いて、そこから必死に向こう側を探る。
境を読む。
向こう側を探る。
手探りに、遅々として、けれど確実にわたしは向こうに手を伸ばす。
懐かしい気配があった。
来るなと拒絶された気がした。
絶望と落胆と、足場を失ったような浮遊感がわたしを襲う。
それから、唐突な理解が訪れた。
熱に浮かされたような焦燥は、希望と共にはるか向こうに失われていた。
わたしはなにをやっているのだろう。
最後の言葉が聞けずとも、あの人が望むものなど、ゆきとわたしの幸せを置いて他にあるはずもないのに。
わたしひとりの身ではないのに。わたしの助けなしには生きていけない幼子を連れているというのに。
いつしか陽はすっかり暮れかけ、薄暗いリビングはひどく肌寒く感じた。
何かが抜け落ちたように重い身体を引きずって、ゆきには届かない高さにタブレットを仕舞うと、そのままソファに沈み込んでわたしは意識を手放した。
ー ー ー
目が覚めた。
身を起こすのも億劫なほど疲れていたが、ゆきのご飯を作らねばならないことを思い出して、わたしは気力で起き上がった。
ゆきはどこにいるのだろう。
音のする方へ顔を向けると、ゆきが誰かと話しているのがわかった。
よかった。けれど誰と話しているのだろうか。
目をこすっても、かすんだ目ははっきりとしない。
ゆきが話しかけているのが床に置いたタブレットであることがわかる。けれどおかしい。ゆきでは手の届かない場所に仕舞ったはずなのに。
「ゆき?」
身体が重い。
わたしはソファから床へと滑り落ちると、座り込んだままゆきににじり寄って、こちらに背を向ける肩へ手を伸ばした。
その手が空を切る。
息が詰まった。
今、何が起きたのかわたしは半ば理解している。目がかすれて、距離を測り損ねたのだと頭は自分に言い聞かせようとする。けれど理解している。
手が届かなかったのではない。届いたのに、触れなかったのだ。
境が見えた。
ゆきは向こう側にいる。
恐れていたことが起きたのだ。どうしてわたしはゆきからこれを取り上げることが出来なかったのだ。
後悔と恐怖で喉が震える。けれど母親の感情が娘に伝わらないように、平然を装ってわたしはゆきに語り掛けた。
「お願い、ママの言うことを聞いて。良い子だから」
祈るように、すがるように、か細い声で助けを求める。この声がゆきに届いていないとしたら。このままゆきを失ってしまうとしたら。恐れに心を砕かれて、わたしはもはや、泣き出す前の小さな子供と同じだった。
「ねえママ、」
ゆきがわたしの声に応えた。
まだ声が届くということが、何にも勝る救いに思えた。
けれど妙なのは、こちらを向かないことだった。
わたしが声を掛ければ何をしていても、動画に釘づけられていてさえ嬉しそうにこちらを向くゆきが、こちらを向かない。
タブレットを抱え上げ、画面を見つめたまま、ゆきはわたしへの言葉を口にする。
「ふたつもいっしょにしゃべらないで」
きょうを読むひと 狂フラフープ @berserkhoop
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