終章 パチャクティ、さようなら

それから、数日後のことだった。製鉄所の入口前にパトカーが一台止まった。

「失礼いたします。警察ですが、ちょっと皆さんにお伺いしたいことがございまして。」

「はあ、なんだ?警察がなんでわざわざこっちへ来るんだよ?」

と、製鉄所の玄関からなんの断りもなく入ってくる刑事たちに対して、杉ちゃんはでかい声で言った。

「ちょっとちょっと、いくら警察と言っても程があるよ。許可もないのに、他人の家に入ってくるのは、まずいんじゃない?」

と、杉ちゃんは言ったが、刑事二人は、製鉄所の中を、キョロキョロ眺めて、何かを探しているようである。

「何を探しているのか、教えてもらえないかな!」

と、杉ちゃんがいうと、

「この建物に、檜垣ミチという女が働いていますね。旧姓は、確かミチ・エイと言うはずです。ペルー人のチョロの女です。」

と、刑事の一人が言った。

「ちょっと待ってください。チョロという言葉は差別用語で、やたらに使用してはいけない言葉ですよ。それを言うなら、お二人が、なぜこっちへきたのか、教えていただけませんか?」

応接室にいたジョチさんが出てきて、警察に抗議した。

「それに、パチャクティは、ケチュア人でチョロとはまた違います。一緒にしないで貰えないかな?」

と、杉ちゃんが言った。

「パチャクティ?あんなインカの英雄と一緒にするような女じゃありません。あの女は人殺しであり、先日も電車内で事件を起こそうとしたことも、捜査でわかってるんだ。すぐに彼女を取り調べしたいのですが、今すぐ出して貰えないでしょうか!」

もうひとりの刑事が、杉ちゃんに言った。

「人殺しって、なんでそんなこと言うんですかね?一体なんの事件を調べているんですか?まず、それを話してもらわないと、彼女をそっちへ渡すわけには行かない。」

と、杉ちゃんがいうと、

「あなたがたは、金毘羅神社で男性が殺害された事件をご存知ありませんか?」

と、刑事は聞いた。

「そんなものしらないよ。僕のうちにはテレビがないもん。新聞だって読んでないし、なんのことだかわからない。」

杉ちゃんは正直に答えた。

「はい。それでは説明しますが、11月9日の金毘羅神社の境内で男性の遺体が見つかりました。遺体の身元は持っていた免許証から、檜垣悟さんだとわかりました。彼の身の回りの人間関係を調べて見たところ、彼の前妻であって、正式には離婚が成立していない檜垣ミチが、まだ、事件の起きた日に何をしていたかはっきりしていないんです。それを、お伺いしたいんですよ!」

「アリバイってやつですか。」

ジョチさんは腕組みをして答えた。

「その日ならミチさんは、買い物に出ていたと聞いていますがね?」

「それを証明できる人はおりますか?」

と、刑事はでかい声で言った。

「そんなこと、本人が1番わかっていることだとおもうけどな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「本人ではだめなんですよ。いいですか、ミチは、一番腕のいい売春婦と言われた女ですよ。相手を騙すことくらい、お茶の子さいさいだ。」

と、刑事はいった。

「はあ。一体パチャクティさんは、どんなやつだったのかなあ。」

と、杉ちゃんは聞いた。

「ええ、ペルーからやってきて、長らくソープランドで売春を繰り返していたようですが、日本人の売春婦を凌ぐほどの人気ぶりだったようです。源氏名は、末摘花。」

「末摘花ねえ。」

と、杉ちゃんはいった。

「末摘花といえば、源氏物語のなかでは、一番評判悪い女性だったぞ。」

「まあそうなんですけどね、ミチは、その名前と、売春の腕の良さのギャップから絶大な人気を持っていたようで、他の売春婦から妬まれることも少なくなかったようで。それで、彼女は、むりやりソープランドをやめさせられたりしたことは、何度もあったようです。もちろん、既婚女性が売春婦になるとなりますと、よほどの訳ありでないと、なりませんがね。」

「はあ、そうなのね。それで、パチャクティは、どういうわけでその、檜垣という人と結婚したんだろう?」

と杉ちゃんが言うと、

「つまり金目的ですよ。あの女性にとっては、夫を愛する気持ちなどなかったということです。あの女性は、結婚するたびに、大量のお金をペルーに送っていることもわかっています。なぜ、そうしているのかは不明ですが。日本で売春する以上に金が必要だったのでしょうか?」

刑事は、形式的にいった。多分、警察だから、そういうことがすんなりといえるのだろうが、一般の人から見たら、すごい驚くことである。

「そういうことがわかっている以上、檜垣ミチを重要参考人として、引っ張りたいんですが、今日は外出でもしているんですかね?戻ってきたらすぐ連絡をくださいませんか。檜垣悟という名前を知っているはずですから。よろしくおねがいします。」 

刑事は、当たり前のように杉ちゃんたちにいった。ふたりとも、どうしたら良いのかわからないという顔をしていたが、

「取り敢えず、彼女本人に話しをしてみましょうか。何かわけがあるのかもしれないですしね。」

と、ジョチさんが言った。

「そうだねえ。」

と杉ちゃんもいうが、いつも事実はあるだけだと主張する杉ちゃんとは、違ったかおをしていた。

「じゃあ、我々はここで失礼しますが、くれぐれも、檜垣ミチが戻ってきたら、連絡をくださいませ。すぐに彼女にお話をお伺いしたいのでね。」

と言って警察は帰っていったが、杉ちゃんもジョチさんも、これから大変な事が起こるのではないかと、不安な顔になった。

数分して、ミチさんが由紀子と二人で帰ってきた。手には大量のちり紙とシッカロールを持っている。どれも腐るものではないけど、介護用品としては必需品であった。そんなものを大量に買ったような女が、殺人の疑いをかけられるなんてことはあるんだろうか?

「ミチさん。ちょっといいですか?」

ジョチさんは、ミチさんに、声をかけた。

「はい、何でしょう?」

いつもと変わらずミチさんは、答えを返すのであるが、

「あの、すみません。ミチさん、今日警察が来たんですよ。あなたが殺人の疑いをかけられているという。もしかしたら、心当たりがあるのでは無いですか?」

と、ジョチさんは、そう言ってみた。ミチさんは、静かにちり紙の箱をおいて、

「ええ。もう隠し通し続けることもできませんよね。」

と、小さい声で言った。

「それじゃあ、やっぱり!」

由紀子は思わずいうが、

「ミチさん、隠さずに話してください。あなた、売春を繰り返しながら、どうして本名が檜垣ミチさんであることも、ご主人が居ることも黙って居たんですか。」

と、ジョチさんは、ミチさんに話を続けた。

「ええ、法律手続き上はそういう事になっています。まだ、正式に離婚が決まって居るわけではありませんが、、、。」

ミチさんは、そういうのである。

「はあ、つまり、ドメスティックバイオレンスみたいなことでもあったのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「そういうことじゃありません。お金が必要だったんです。」

と、彼女は答えるのである。

「お金が必要?それは、なぜですか?」

布団に寝たままの水穂さんが、ミチさんに尋ねた。

「どうしても、いわなきゃならないことでしょうか。」

ミチさんは、申し訳無さそうに言う。

「いや、隠したままではいけないよ。なんで、そういう事をしでかしたのか、ちゃんと教えてもらいたいな。なんで、お前さんは、そういう犯罪をやったんだ?僕、理由を隠されたままでいるのは、好きじゃないのよ。」

杉ちゃんが、ちょっと語勢を強くしてそう言うと、

「実家にお金が必要で、それでどうしても送らなければならなかったのですが、そのためには、どうしても、体を売るとか、そういう事が必要だったんです。そうでないと、私達は、生きていかれない。」

と、ミチさんは答えた。

「相手の気持ちとか、そういうことは考えたことはなかったの?そうやって、お金のためには体を売るのも厭わなかったのに、この間の平尾さんのことだって、受け取ってあげるべきだと私は思ったのよ。」

由紀子は、ミチさんにそう言ったが、なんだかあれだけ、水穂さんに優しくしてくれたのは、全部猿芝居だったのか、自分たちは騙されていたのかと考えると、ちょっと複雑な気持ちでもあった。

「そういうことだって、考えたことはなかったの?ただ、お金のためだけに、ああして、動いてたの?」

ミチさんの目に涙が浮かんだが、本当に悲しくて泣いているのか、それとも別の気持ちで泣いているのか不詳であったため、由紀子は、悔しかった。

「水穂さんにも、あれほど優しくしてくれて、あれだけ看病してくれて、私、あなたの事を、ずっといい人だと思っていたのに、こんな事になるなんて、、、。」

「いえ、いいんですよ。由紀子さん。僕達は、そういう標的にされても仕方ありません。最も僕が金銭的に富裕なわけでないので、仕掛けたことは成就しないと思いますけど、でも、そういうことにされても仕方ないですよ。それは、ミチさんもよく分かるのではないでしょうか。でも、そうせざるを得なかったんでしょうね。」

水穂さんは、なにか納得したように言った。その水穂さんの許してあげていることが、由紀子は歯がゆかった。

「まあ、たしかに、こういう身分だし、お金をだまし取る標的になってもいいですよ。僕は、あなたが、一生懸命犯罪をしているのはよく分かるから、それはもう仕方ないことだと思います。」

「うーんそうだけどね。でも、水穂さんのような人でなかったら、ミチさんのやっていることは、許しては貰えないぞ。それは、わかっているだろうな?」

水穂さんの話に、杉ちゃんが口を挟んだ。

「ましてや、殺人をするなんて、絶対、許されることじゃない。命の重さなんて、見てみればわかることだろう。」

「そうよ。相手の人だって、家族が居たり、ほかに悲しむ人がいるかも知れないじゃないの。それに、水穂さんにお金の目的で近寄ったなんて!」

由紀子は思わずミチさんを怒りの目で見た。

「そうですね。でも、ミチさんの思っていることはなんとなくわかります。それは、そういう身分であれば、多かれ少なかれ、思うことです。僕も感じた事が無いわけじゃなかった。身分さえ、普通であればああして幸せになれるんじゃないかってことは、何度も思いましたし、そういう人たちを、ひどい目にあわせて、今まで差別された事を、復讐したいと思ったことだってなかったわけじゃありません。ミチさんは、日本でも自分と同じ思いをしている人が居ると言いました。正しく同じですよ。みんな、だれでも、順位をつけて、自分はまだ大丈夫だって思いながら生活しているんです。でも、それが保証されない民族だって居るんですよね。僕も、ミチさんもそのとおりでした。」

ミチさんは、水穂さんに自分の気持ちを代弁してもらって、それで嬉しいのだろうか、それとも、悔しいだろうか。由紀子は、思わず

「どうなのよ。水穂さんに甘えてないでなにか言ったらどうなの!」

と強く言ってしまった。

「まあ、その辺りはおいておきましょう。人種差別の問題は歴史が古すぎて、僕達にはどうにもなりませんよ。それよりも、ミチさん、警察は、あなたを檜垣悟さんという男性を殺害したと見ているようですが、それは本当のことなんでしょうか?」

と、ジョチさんがミチさんに聞いた。ミチさんは、ええ、と一言言った。

「じゃあどうして、殺害に至ったのか、教えてもらえるかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「あの人は、お金よりも、私と生活しようということを望んでいて、離婚して慰謝料を支払うことを断ったからです。私は、殺害しようと思ったわけではありません。あのとき、檜垣に呼び出されて金毘羅神社に行き、彼に戻って来るように強くいわれて、振りほどこうとして、石段から落ちただけです。」

と、ミチさんは答えた。由紀子は、ミチさんが、自分のした殺害を、なんとなくはずみに置き換えようとしているのではないかと思った。

「それだけと言っても、あなたは人の命を奪ったのよ。」

由紀子は思わずそれを言った。

「そんなつもりなんてまったくなかったんです。ただ私は、お金が必要だったから、それで自分の体も売って、必要のない結婚をして、そうするしかなかったんです。」

「そうだけど、やっていいことと、悪いことはちゃんとあるのよ!」

ミチさんの言い方に由紀子は頭にきた。

「そうかも知れないけど、時にはそれを超えないと、できないことだってあるでしょう。理由はどうであれ、ミチさんはそれしかできなかったんですよ。きっと誰かに相談とか、そういう事もできなかったんでしょう。理由はケチュア人だったから。それだけですよね?」

水穂さんだけが納得したような感じでそう言っているのが、由紀子は余計に腹が立つのだった。

「でも、ミチさんが、してくれたことは、とても犯罪者がするようなことじゃありませんね。なんであのとき、彼を放置せず、影浦先生のところへ連れて行ったりしたんですか?心が曲がっていたら、そういうことはできませんね。なにかわけがあるんでしょう。」

ジョチさんは、ミチさんにそう聞いた。偉い人でなければできない質問でもあった。

「それは、水穂さんが逝ってしまうのは本当は嫌だったからではありませんか?あなた、本当は、逝っては困る人が居て、その人にお金を送っていたんでしょう?それは誰ですか?血縁の方ですか?それとも配偶者とか、そういう人ですか?いずれにしても、水穂さんを影浦先生のところに連れて行くことができるんだったら、あなたは、必要以上に思っている人が居て、放置することができなかったのでは?」

「ミチさん、お願い、答えて!」

ジョチさんが質問すると、由紀子は急いで言った。

「私の、たった一人の肉親です。」

ミチさんは、小さな声で答えた。

「私を、ここまで育ててくれて、私が、学校に行きたいと言ったら、自分が学校をやめて働いてくれました。私が、ここまでやれたのは、その人のおかげです。でも、高山事故に巻き込まれて、家には帰ってこれたけど、、、。もう死なせるしかないといわれたこともあったんですが、、、。それでも私は、その人に、ずっと居てもらいたくて、そのためにお金が必要で、、、。」

「そうなんだねえ。まあ確かに、炭坑節があるほど、日本にもあるけどさ、だけどね、それで他人をどうのってこととは、また違うものだよね。」

杉ちゃんはとぎれとぎれに言うミチさんに、そういった。由紀子もそう思っていたが、ミチさんにはそこまで強い意思があったということを考えると、そうとも言い切れないのではないかと思ってしまった。それだって、一般的なというか、それ以上の愛情でもあるからだ。

「そうですね。炭鉱事故はいろんな国家で起きてますからね。それに、炭鉱のような場所は、どうしても利益を優先で、作業員なんて二の次という事もあるでしょうね。」

ジョチさんは、今の社会情勢を踏まえてそういう事を言った。

「だけど、やっぱり、ミチさんがしたことは。」

由紀子は、ミチさんに言った。

「ええ、ちゃんとわかってるわ。いくらどんな民族であっても、やってはいけないことってあるから。」

ミチさんは、涙を自分で拭いて、にこやかに笑った。

「仕方ないと思うけど、やってはいけないことをしてしまったの。だから、ちゃんと、しでかしたことは、ちゃんと、罰を受けることが必要よね。」

「ええ、そういう事を日本語では償うというのよ。不思議なものね。償うと読むけれど、人が表彰されるときの賞を書くのよ。それはもしかしたら、人ができる最高のことだから、そうしたのかもしれない。」

由紀子は、ミチさんにしっかりこれを伝えたかった。

「ごめんなさい。私、しっかりしなきゃいけないわよね。ちゃんと、警察に行って、謝ってくるわ。」

ミチさんはそう言っているので、由紀子は、もう一度、日本語を教える必要があるなと思った。

「ミチさん、警察に自首しましょう。謝ることばかりじゃない。警察に自ら行くことを、自首するというの。それは、日本でちゃんと設けられている制度なのよ。よく反省して、できることをして、償って。」

由紀子は、彼女を車に乗せてあげるのはこれが最後だと思った。ミチさんに手を差し出し、そっと歩いて製鉄所の廊下を歩いていくのだった。ミチさんは、わかりましたとだけ言って、由紀子にそって歩いていった。

「そうなると、パチャクティもこれでさようならかな。じゃあな、また、どっかで会おうね。バイバーイ!」

杉ちゃんが、わざと笑顔を作って、彼女たちに向かって手を振っている。そういう事ができるのは杉ちゃんだけだろう。これから先、彼女は犯罪者として、裁かれるのであろうが、どうか、彼女が抱えていた事情に、寄り添ってくれるような刑罰を望みたいと、杉ちゃんもジョチさんも思っていた。

「やっぱり、どこの世界にも、ああして不利な立場になる人は居るんですね。なんていうんですかね。少数民族といいますか、なんと言いますか。そういう政府の発言が行き届かない人が、どこの世界にも居るんですよ。」

水穂さんは静かにそういった。

「そうやって、納得できるのは、水穂さんだけじゃないかな。いくら、ミチさんが言った理由が本当だったとしても、少数民族への人種差別があったとしても、ほとんどの人は、ミチさんがしたことにしか、目を向けないだろうよ。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんは、

「そうですね。それをなんとかしていくのも、政治に関わる人の、課題なのかもしれませんね。」

と、小さくため息を付いて言った。

外は、ちょうど晩秋になろうとする、秋の夕暮れであった。もう暗い闇のほうが、勢力を伸ばしているのに、力の弱った太陽が、わずかばかりの光を立てている。という表現がぴったりの空模様であった。だんだん、夜が長い冬が本格的に始まっていくのだろう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パチャクティ 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る