今日が雨でよかった

田土マア

桜舞う四月


 天気予報が午後から雨を伝えた春風が心地よい四月。僕は彼女の朋子ともこと桜並木を歩いていた。最近、お互いが時間を作れなくて、なかなかデートの時間がなかった。

 今日は久しぶりにデートが出来ると喜んでいた。前日からランチ、デートスポットなど前調べをしていた。


 昼下がりに桜並木を歩いて、少し空腹を待つ。その後に食べるランチはきっと最高だろう。そんなことを考えていた。

 しばらくたわいもない会話をする。最近忙しくて大変だった、とか、昨日仕事で上司が面白い失敗をした。とか。そんな会話をしていると空には黒雲が迫ってきていた。


 桜が綺麗とはしゃいで前に走っていった朋子は、ふと僕の方を振り返る。タイミングを見計らったかのように空からは雨水がポツリポツリと降ってきた。その顔は少し曇っていた。朋子の口先が動く。


 僕は咄嗟に口元から目を逸らそうとしてしまう。朋子が何を口にしたいかを感じ取ってしまったから。

「もう私達、別れよう。 お互い大変だし、疲れるよね。 私だってもっと…。」

 ひどく悲しそうな顔をしながら何かを堪えるように朋子は話した。そして僕から目を背けるとまっすぐ歩いて行ってしまう。すぐに追いかけるべきだとも思った。それでもその場に立ちすくむばかりだった。

 今まで時間を作れず、朋子に退屈な思いをさせていた自覚や責任感を感じてしまい、追いかける資格なんて僕には無いと思う。


 降ってき始めた雨につられて、満開の桜も朋子に着いていくようにひらひらと舞っていく。気づけば流れていた僕の涙も、この春時雨に流されてくれはしまいか。そう考えた。舞っていく桜に僕の思いを乗せ、朋子が僕と過ごした日々、思い出、感情をいつか忘れて新しい出会いが始められるように。と僕は願うしか出来なかった。

 

 朋子がもし途中で僕の方を振り返っても、きっとこの雨のおかげで朋子は僕の涙に気づかないだろう。


−今日が雨でよかった。




 今日は久しぶりのデートで少し気持ちが浮かれていた。と同時に伝えなければいけない事も私にはあった。

 彼は今、仕事が忙しくてなかなか私との時間を作ることが出来ない。それは私も知っていた。だからこそ許してあげなければいけないことだと思っていた。もし今日のデートで彼と思い出話、最近あった楽しい話以外に仕事の話が出てきたら、私はどう接すればいいのだろう。

 ただ彼の愚痴を聞くだけなら私じゃなくても出来る。それは彼女である私以外でも出来る仕事、他の人にすればいい。彼女なんだからそれくらい受け入れる事も大事だと知ってはいる。でもそれを受け入れることが出来ないくらいに私の心は疲弊していた。


 いつもより早く起きて、化粧にも時間をかけたし、着る服にもこだわった。準備は万全の状態で家を後にした。


 桜が綺麗で少し上を向きながら歩いていると、躓きそうになった。そこに後ろから「大丈夫?」と声をかけられ、恥ずかしくなりながら振り返るとそこにいたのは彼だった。

「ごめんね、ちょっと待たせちゃった?」

「ううん、そんなことないよ」

 そんな少し恥ずかしい会話から今日のデートは始まった。

 前に会ってから何ヶ月か時間が空いたせいなのか、彼は私の容姿のことについては何も言わなかった。せっかく時間をかけたのに。


 それなのに、彼は仕事の話ばかり私に聞かせる。苦労自慢なら他所でやってほしい。せっかくの桜が台無しになってしまう。相当我慢した私の中のダムが溢れかえってしまう。少し気持ちを軽くさせるために「桜が綺麗だ。」と行って桜の木の下に駆けていく。

 そして振り返って彼に別れを告げた。その時の彼は既にその結末を知っていたかのような顔をして少しだけの笑みを見せた。


 その笑みが私は見たかったのだ。疲弊した顔なんかではなく、楽しく過ごした時に見せたあの笑顔が私は欲しかった。


 それを最後に見せるなんてずるい、と思いながら溢れそうになった涙を堪えた。

都合のいい雨に私は助けられた。たった一つに微笑みでさえ、私を弱くした。その涙を彼に見せなくてもよかったから。


 彼と過ごした日々はきっといつまで経っても、忘れることは出来ない。でも彼を嫌と思った感情や思い出はいつかこの春の風に流されていくことを私は願っている。


−今日が雨でよかった。

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今日が雨でよかった 田土マア @TadutiMaa

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