三三年式野砲

三三年式野砲


 協力関係にあったフランスへ資金提供し開発した世界初の液気式駐退復座器装備のM1897野砲を海援隊がライセンス生産した七五ミリ砲。

 これまでは発砲の反動で大砲自体が後退し元の位置に戻す必要があったが、駐退復座器が反動を吸収するようになり、定位置のまま連射が可能になり発砲速度が毎分一五発に上がった。射程も8,550mと十分だった

 当時帝国陸軍が採用していた三一式野砲――開発者有坂少将の名を取って通称有坂砲が実戦での連射速度が一分当たり二~三発のみであり射程も短かった。

 そのため史実では日本の砲兵部隊はロシア軍の砲兵部隊に苦戦した。

 しかし、この三三年式野砲の配備により、射程、発砲速度共に工場。

 同時期のライバルであるロシアのM1900とM1903にも遜色なく性能は世界水準だった。


         発砲速度      射程

M1897 75mm野砲  毎分一五発    8,500m      フランス

三三年式野砲    毎分一五発   15,000m(最大)  海援隊


三一年式速射砲    毎分二~三発   6,500m     日本陸軍 通称有坂砲

M1900 76mm野砲  毎分八~一〇発  8,500m     ロシア軍

M1902 76mm野砲  毎分一〇~一二発 8,500m     ロシア軍


 三三年式野砲の有効射程が大幅に向上しているのは単脚式から複脚式にして砲尾が脚にぶつからないようにしたので仰角をあげる事が出来るからだ。

 また砲身砲架に乗ったので左右への修正幅が大きくなり、いちいち大砲全体を向け直す事が少なくなり、修正に幅が出来た。

 以上の理由により長射程化、迅速な修正と連射が可能となり、アウトレンジからの連続砲撃も可能になった。

 各戦役で使用され、帝国陸軍でも採用される。


 しかし、発砲速度の向上は弾薬の大量消費につながり、ただでさえ砲弾保有数、そして砲弾生産数が致命的に少ない日本軍では弾薬不足に陥った。

 そのため、弾薬の確保に手間取り十全に威力を発揮したとは言えない。

 また、七五ミリは敵の野戦陣地を破壊するには威力不十分であり、陣地破壊のために大量に撃ち込むことになり、これも弾薬の大量消費、欠乏に繋がった。

 一五五ミリクラスを使用すべきだったが、自動車の大量投入できないこの時代では輓馬による牽引のみしか輸送できないため、重量増加に繋がる安易な大口径化は不可能であり七五ミリで抑えるしかなかった。

 この欠点は戦後、改良が進められることになる。


 しかし、日本砲兵の近代化、弾薬十分ならば砲兵の練度も相まってロシア軍を撃破する原動力になった点、特に戦場への投入に間に合った点は大きく評価すべきであり、名兵器と呼んで良いだろう。


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https://kakuyomu.jp/works/16816700426733963998/episodes/16816927861712033961

 

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