二人の日常とある旅行記 その6

    ♤


 旅館の応接室にて二位巫女神官のヴァリスネリアと話しをした後、俺は泊まっている部屋へと戻ってきていた。


 寝室では何やら物音がしている。

 クランはもう起きていて、着替えをしているのかもしれない。

 当然のこと、立ち入って確認などしないが。

 何度も肌を重ね合った仲でも恥ずかしいものはやはり恥ずかしいだろうし、恋人への敬意と礼儀を忘れてはならない。



 机の上に置いてあるお茶で喉を潤おしながら、部屋を見渡す。

 主室で寝ていたはずのヒルデの姿はない。

 おそらく彼女の生真面目な補佐官に連れていかれたのだろう。

 久しぶりに会ったせいか、ずいぶんと構って欲しがっていたようだが。

 良い旅館を紹介してもらったことも含めて、またお礼をしなければ。

 そう考えていると、寝室の戸が静かに開けられる。


「あなた様、おはようございます。ゆっくり寝てしまってすみません。」


 クランはノースリーブの白いニットの上着に黒のロングスカートという装い。

 いつもの見慣れた修道服とは違うが、清楚で新鮮な姿だ。

 相変わらず小柄な少女の大きな胸は強調されてしまい、肌の露出は肩や腕だけのはずが妙になまめかしい。


「あ、ああ。気にしなくていい。ちゃんとやすめたなら何よりだ……」


「うふふ、あなた様ったら、なんだか落ち着かない様子です。ほら、もっとわたくしを見てください。この衣装、旅行のために用意してみたんですよ。」


 そう言って手をお腹の前で組んでみせると、少女の丸みのある柔らかそうな胸や二の腕に視線が釘づけにされてしまう。

 それを知ってか知らずか、クランはにこにこと微笑んでいる。


 ……どうにもこの子には調子を狂わされる。

 惚れた弱みもあるが、クランの十六歳とは思えない魅力的な躰と、時折見せる無邪気さが男の庇護欲を刺激しているのかもしれない。

 湧き出るやましさをごまかすように、ヴァリスネリアとの再会があった事を話した。

 それと同時に、クランの師からかけられた言葉の続きが頭によぎる。


「……君はしかし、ずいぶんと謙虚な男だ。聖職者としては泰然自若たいぜんじじゃくであるべき姿だが、別に自分に自信がないわけでもなかろう。慢心をしない気概は認めるが、度が過ぎれば心の病にも繋がる。そんな君にひとつ言葉を送ろう――『自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのが最も確実な療法である』――憶えておきたまえ。」


 そうして明哲な彼女は気取った笑いをみせた。

 一連の会話について、才媛な恋人は逡巡してから口を開く。


「――あの方の言動には常に別の意図が存在します。今回、あなた様に顔を見せたことも以前の出来事の謝罪、わたくしへの橋渡しという名目の裏で、今後の展望を見据えた何かがあるのは間違いないでしょう。」


 少女は口元に指を当てて小首を傾げ、思惟に耽る。

 その憂いげな表情すら絵画のような美しさがあった。


    †


 わたくしはヒツギ様とともに北西部の観光地を見て回りました。

 彼と腕を組んで歩くと周囲の人から視線を向けられ、少し気恥ずかしくなります。


 この身に子を宿してから二ヶ月。

 まだ体型に大きな変化はなく、つわりは多少あるものの、もともと神鎧アンヘルによる恩恵で体調を崩すことがほとんどなかったので、今後もひどく悪化することはないかもしれません。

 ……いずれはこの神力も、お腹の子に託すことになるのでしょうか。

 その時、わたくしの躰がどのように変わるのかはわかりませんが――



 ふと、足並みを揃えていたあの人が立ち止まります。

 彼の視線の先には格式の高そうな宝石商の店がありました。


「クラン、少し中を見ていかないか?」


 わたくしは促されるままに宝石屋へと入ります。

 店内には所狭しとガラスケースがあり、その内側に彩りや形の様々な石が置かれていました。


「北西部の街は山に囲まれていることもあって、色々な鉱石や珍しい宝石が採れるそうだ。」


 解説をしてくれるヒツギ様。

 その中でも特に鮮やかな紅い石を指差して、わたくしに語りかけます。


「……この紅い宝石。君の瞳によく似ているな。」


 透明度が高く、眩い光を湛える紅玉に思わず目を奪われました。


「とても素敵だと思います。上品でありながら力強さもあって……」


 彼はわたくしの肩をそっと抱き寄せて。


「――クラン。俺は補佐官という立場上、宗教国家都市の最上位である巫女神官の君に、求婚することは許されない。君のお腹の子も……生まれれば孤児として扱われてしまうかもしれない。」


 神妙な面持ちで話す彼の横顔を見上げます。


「しかし、俺は愛する君とお腹の子の為に、この身をかけて守護まもると約束する。永遠を誓う指輪の代わりに、この宝石を贈らせてほしい。」


「……あなた様。」


 ヒツギ様の誠実さと忠誠を受け止めつつも、返す言葉が見つからなくて。

 気づけば、わたくしは彼の頬へキスをしていました。

 感謝と愛情を込めて。


「また二人で――いや、今度は三人で旅行に来れるといいな。」


 そう言って優しく頭を撫でてくれる彼に、わたくしは微笑み返したのでした。



二人の日常とある旅行記 了

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天蓋輪廻の夢想曲~トロイメライ 黒乃羽衣 @kurono-ui1014

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