蒼という探偵
霜の降りた十二月の朝。
ベッドから起き上がり、眠気眼で室内用スリッパに足を通した瞬間、「ひゃっ!」と思わず変な声が出てしまった。
氷菓に足を突っ込んだかと紛うほどに、部屋の床が冷たい。
「誰か、靴下を懐に入れて温めてくんないかなぁ」
「信長かよ。おまえは」
声のした方を見ると、窓の外から黒猫が、あきれ顔でこちらをジッと見ていた。
「なんだ、黒猫か」
黒猫が喋るという珍事でさえ、昨夜の事件に比べれば、さほどでもなく思えてしまう。
わたしは「はぁ」と、自分の許容の広さに嫌気がさし、深く息を吐いた。
「昨夜はどうだったの?大猫様は?」
「ああ、大猫様のへそくりがなくなったから、みんなで探す羽目になったのさ。大したことはないよ」
黒猫は、ペロッと手の甲を舐めながら、本当に大したことのないようにいった。内心は面倒だったと思ってるくせに。
「大猫様って?誰なの?」
そんなことより支度しろ、とでもいいたげに、黒猫は貫くような視線をわたしに向けたまま、質問には答えず、玄関のある方角へ歩ていった。
ピンク色のクマのぬいぐるみ『田中熊吉』の横に置かれた、卓上時計がコツコツと忙しなく動いている様子を眺めていると、頭がズキズキする。
もう一度、「どーん」と口で擬音を発しながら、ベッドに背中からDIVE。
ここまでして、やっと通常運転に入る。
なんだか、昨日はほとんど寝ていない気がするが、今日は『奇々探偵団』へ報告に行く日だ。
初日から寝坊はよくないよね。
卓上時計に目を移すと、8時を指していた。
「報告、か」
洗面所で歯ブラシを咥え、ドライヤー片手に指で髪をとかしながら、昨日の事件を思い出してみる。
よくよく落ち着いて考えてみると、あんな奇妙な経験はしたことがない。
なんの疑問も違和感もなく、よくもまあ、あんな『猫のワンダーランド』みたいな場所へ乗り込めたものだ、とわたしごとながら感心する。
ネコに殺されかけたなんて、今考えると、ゾッとする事件だった。
結局、猫伯爵は『蒸発』してしまったし、ネコも伯爵と共に消えてしまったし、解決はしていない。
わたしは、手を止め、しばらくボーと考えた。
探偵日誌にどう書くかは置いておいて、問題は、
探偵団への報告をどうするか、ということだ。
奇々探偵団には、『洋館までたどり着いたはいいものの、猫伯爵は消え、街からさらわれた猫たちも伯爵もろとも煙のように、どこかへ消えてしまいました』と、報告すればいいのだろうか。
他に形容し難い事件であったことは明白なのだから、仕方がない。
思わず歯ブラシを咥えている口を跨いで、フーと鼻息が出る。
なんていったって、今回の依頼は「飼い猫探し」なのだから。肝心要の猫が消えてしまっては、元も子もない。
嘘の報告はできない。
妖怪専門の探偵団の団長のことだ、でっち上げの報告なんてすぐに、超能力みたいな力ですぐに見抜かれそうだ。
でも、果たして奇々探偵団の団長はそれで納得するんだろうか。
それがわかったのは、身支度を終え、奇々探偵団事務所へとたどり着いた時だった。
奇々探偵事務所。通称『ドラキュラ城』はその名通り、探偵事務所というより、少し豪華な古ヨーロッパ風の古城に近かった。
京都にはあきらかにあり得ない洋館風の建築に、毒々しい外観。
アパートが立ち並ぶ住宅街のなかにたたずむ古城のような外観は、何人もよりたがらない禍々しさを放っていた。
通勤ラッシュの朝だというのにそこだけぽっかり穴が空いたように、人波が避けて通っている。
こんなのでどうやって探偵事務所として成立しているのか、甚だ疑問でしかない。
「いらっしゃい」
入り口に着くと、妙に声の裏返った案内人が案内してくれた。トランペットがうっかり音をはずしたような、そんな声だ。
しばらく歩くと、革張りのソファーとデスクが見えた。壁にはシャーロック・ホームズが身につけている、あの探偵衣装が額に飾られていた。
「知ってるかな、シャーロックホームズのつけていたあの探偵衣装。じつはさ、カモ撃ちの服なんだ」
いきなり何の話しだ。
「だんちょ、そうじゃないでしょ、ほら」
黒猫が少し慌てたように、案内人もとい、団長の脚を小突いた。案内人ですらなかったようだ。
もはや隠したいのかなんなのか、ドッキリなのか。たちの悪い茶番なのかもよくわからない。
変人だということは、黒猫から聞いていたけれど、ここまで来ると一周まわって清々しい。
「ん...あ、そうそう!昨日はホントに、よくやったねぇ。猫伯爵の洋館崩壊後は、飼い猫は飼い主の元へ返されたみたいだよ」
団長は甲高い声でペラペラと続けた。
「猫伯爵はその後、行方知らずだけどまぁ、反省してるみたいだから許してやろうか」
なんだか話の先が見えない。
猫伯爵は、そもそもこの依頼の核じゃないの?「反省してるみたいだから」なんていう理由で逃していいものなのか?
わたしの不信感などよそに、団長は恐ろしく呂律の速い口調で、続けざまに「それに」といった。
「伯爵にさらわれたネコの数が予想より多かったから、カモ...じゃない、願客からの報酬は倍になったし、結果オーライだよ。まぁ、今回を教訓にしてこれからはSランクの依頼や事件には、手を出さないことだね」
このひと、カモって言ったぞ。客のこと。多分、本音だ。ていうか、お咎めは?なし?
「でもわたし、失敗して...」
「泣き言はなし!!よくやったね!って褒めてあげたでしょ?大丈夫、初日にしてはよくやってくれたわよ!!きっと前団長サマも喜んでるわっ!」
そういうと、団長は一箇所だけ金髪に染められた長髪をかきあげ、立派な王座、もといイスのひじ掛けに置かれた骸骨にチュッとキスした。
「あれ、前団長だったんだ」
黒猫が苦い笑みを浮かべた。
このひとの下で探偵をすると、いつか本人を豚箱にぶち込むことになりそうだ。と、わたしは直感で感じた。
「明日も早いから帰って寝ること、あ、猫伯爵の件ね!報告書なしでいいわよ!わたしの責任もあることだし。お弁当も作っておいてね。次は猫伯爵ほど優しい相手じゃないから気をつけてよ?」
..なんか、変だ。
団長がサイコパスの上に、じつはオカマだった衝撃など吹き飛んでしまった。
「依頼は依頼ボードから、自分で選ぶんじゃなかったんですか?」
「しばらくは、依頼が相応のものかわたしが吟味してアゲルことにしたのよ」
「団長がやるこたぁないですよ」
大人びた声が事務所内に響いた。よく通る、変声期が途中で止まった大人のような、少し幼い声だ。
「団長もひとが悪い...かわいい後輩ができたなら、連絡のひとつくらいくれたってバチは当たらない筈でしょう?」
振り向くと、長身の金髪の男が立っていた。
すらりとしてはいるが、脚や腕をみるに、体育系では無さそうだ。
「蒼...あなた、辞めたんじゃなかったの?」
「辞めた?」
わたしは驚いて思わず声をだしてしまった。
団長はため息まじりに「ええ」といった。
「手放すのが惜しかったんだけど、わたしも引き止めたのに出ていったのよ」
「いいんですか?新人の前でその話しして。いいってなら『あれ』も話しちゃいましょうか?」
一瞬、探偵事務所の中だけ時が止まったように、張りつめた空気が流れた。
しばらくして、緊張の糸が切れたように団長は、ため息をついた。
「いいわ。わかった、新人の娘とクロはあなたが面倒見なさい」と、団長がすこし早口にいった。
黒猫が「よかったね」というように、こちらを見上げてニカッとした。ていうか、クロって名前、あったんだ。この猫。
「あの...」
わたしが口を開くか開かないかの合間に『蒼』と呼ばれた金髪の男が「はい、撤収!」と高らかにいい、わたしの肩をグイッと引き寄せ事務所の出口へ競歩のような動きで歩いた。
「あの、よろしくお願いします」
肩を掴んでいる手をそれとなく剥がしながら、わたしは社交辞令的にキビキビと挨拶をした。
長身で金髪の男は、四条通りのアニメイトを見上げて何やらブツブツとこぼしていたが、わたしに気づいて「うん」といった。
「堅苦しいのはなしで行こうぜ。オレのことは蒼って呼んでいいし、その黒猫のことは『クロ』って呼びなよ」
足元に目をやると、黒猫...クロがニカッとこちらに向かって笑った。蒼がクロのこと知ってるって...何歳なんだろ、この猫?
鴨川の近くまで来ると、蒼はおもむろにガラケーを取り出し、カシャッと川に向かってシャッターを切り「お、いるいる」と、気のない声で呟くようにいった。
何がいるんだろう?
わたしが怪訝そうに見つめていることに気づき、蒼先輩は少し恥ずかしそうに「ああ、これ」とガラケーを振った。
「オレさ、カメラのレンズ越しじゃないと『視えない』んだよねぇ。恥ずかしいけど」
外国人や学生の行き交う橋の上から鴨川をムゥと凝視しても、何も視えない。もしかして、妖怪専門の探偵だから、幽霊とか見えるのがあたりまえ...!?
「そ、そうですよね!!!いますいます、視えます視えます!!ウヨウヨと!」
「...おまえ、視えないんじゃないか?」
蒼先輩は少し怖い顔をしたあと、くしゃくしゃになりかけたわたしの顔を楽しむように、笑った。
「そんな虚勢はらなくたっていいよ。霊感ていうのは、霊感の強い人間のそばにいればついてくるもんだからな...これからさ」
そういって、蒼先輩は京都の人混みの中へ消えていった。
解散、ということだろうか。
「何してんのさ、帰るよ」
そういって、クロは尻尾を丸めながら、鴨の大橋の小道に屯(たむろ)している黒猫の『猫混み』に消えていった。
やっぱり、京都は変な人間が多い気がする。
「わたしも、か」
思い出したようにつぶやき、三条駅のホームへ向かう階段を降りる。
乗車ホームに並んでいると、隣の列に立つ女性の頭上に緑色のモヤのようなものが蠢いているのが視えて「あ、」と思わず声が漏れた。
しかし、スーツを身につけた女性が目の前を遮った拍子に、緑色のモヤは視えなくなってしまった。
あの時、先輩がいいかけたこと、霊感と何か関係しているんだろうか。
蒼先輩のコトバが脳裏に焼きついたまま、わたしは電車に揺られるまま目を閉じた。今日は帰って、のんびりしよう。
明日もまた、忙しく慌ただしい、心躍る日々が待っているのだから。
「あたしも鍛えようかな。霊感」
奇々探偵団! 藍空ミリ @skyousuke
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