理由


 生協の二階には、軽い食事も摂れるカフェのようなスペースがある。

 昼時からは、まだほど早い時間帯。午前中だからというので、いまだ身体も脳もよく動かない。のっそりとした動きで食堂の門をくぐった。

 一階は、ごく普通の食堂である。国立大学クオリティといえばいいのだろうか。建物やテーブルの古さを掃除でなんとか誤魔化しているような感じだ。それに対して二階は、木を基調としたデザインで比較的オシャレな空間である。都会的な若者も、わざわざ駅前のカフェに行かずに済むだろう。

 先輩は、一番隅っこの席に座っていた。

 太陽が南に上がってくる時間帯。大きな窓から光がさんさんと入ってきて、実に暖かい春の陽気である。

「おはよう」

 いつもの無表情さは変わらない。

「おはようございます」

 向かいの席に座る。先輩の目の前からは、カフェインの匂いが漂っていた。

「俺もコーヒーもらえますか」

「広津留君。ここのやり方知らないの?」

「そりゃあ。新入生ですから」

 すると倉知先輩は、ちょっと考え込むしぐさをしてから口を開いた。

「高校のときには行かなかったの?」

「俺は真面目な生徒だったので」

 笑いながら、いう。ムサノーにほど近い中城高校は、いまどき珍しい私服の高校だ。昼休みに学校を抜け出して、食堂に浸りこむクラスメイトも散見された。俺は活発性のある人間じゃなかったので、細々とコンビニで買った菓子パンを食べていたが。

 食券で買うのよ、とのアドバイスに従い、一旦表の券売機で目的のボタンを押す。ほどなくして番号が呼ばれ、俺は無事コーヒーを手にすることができた。実に簡単で手短な順序だった。

 再び席に着く。先輩と会うのは、数日ぶり。例の事件の後処理に俺は携わっていないので、その後の顛末は不明だ。ニュースでチラリと「暴行グループ一斉検挙」の文字が目に入っただけで、あまり気にも留めなかった。この中城市で一日に一人の学生はお縄にされるような現状で、いちいち気にしていたら日常の生活がままならなくなる。

「お咎めはなかったわ」

「戦闘防衛みたいなものでしょ」

「そうもいかない。神川さんの命令を無視したわけだし。緊急時とはいえ、住宅街で発砲してしまった。責任を負わされても不思議じゃない」

 先輩は、カップをおもむろに両手で包み込む。まあ今回は、それ以上に『朱禮塵』メンバーを捕らえた功績のほうが大きかったはずだ。それに免じて、という取引があったのか。いずれにしろ、平和的解決に落ち着いたようで俺はひとまず安心した。

「で」

 先輩は、上目遣いで見つめる。

「覚悟はできた?」

「なんのですか」

「ウチの会に、入るっていう」

 ああ、その件か。いまさら、だ。もうすでに腹は決めている。

「先輩が誘ってきたんでしょう」

「そうね。それもそうだったわ」

「バイトとサークルを両立できるなんて、これ以上ない魅力です」

 俺は小さく笑った。コーヒーに、ちびりと口を付ける。舌が痺れそうなくらい味が濃い。不味いと口から出すのはすんでところで我慢した。

「断る理由もないっていうのが、俺の理由です」

「それだけ?」

「もちろん、金への欲求もありますけど」

 妹のためだ。とにかく金がいる。ロクに兄貴らしいこともしてやれていないし、稼いだ金をあげるのが一番だ。

「当然だけど」

 先輩は、一段と声を潜めていった。

「三億円の獲得も。君の脳にかかってる」

 夢のような額だ。途方もない。イメージがぽんと浮かんでこない。それでも彼らは身をかけて札束を狙っているのだと思うと、尊敬を意を表してしまう。

 倉知先輩のコーヒーを飲む表情は、小さく、けれど確かに笑っていた。



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デスペラードと都市金塊   蓮見 悠都 @mizaeru243

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