戦闘


 大通りを避けて、神川は車を回す。あとの二人は置いて行ってしまった。致しかたがない。時間の問題だ。史跡広場の方面から、サイレンの音が重なって聞こえる。警察も動き出したか。

「あの三人はフェイクだ」

 車窓の景色が次から次へと変わるなか、俺は力を振り絞って言葉を出す。

「いままでの『朱禮塵』は人目を避けた場所で犯行を行った。まさか、今日もそれを踏襲しないわけがない。史跡広場にいた三人は、おとりです」

「囮って……目的は?」

「一つ目。警察及び捜査陣を攪乱させるため。二つ目。犯行場所を特定されにくくするため。三つ目。警察をたぶらかすため。さっき、清瀬――さんがいっていたでしょう。警察は『朱禮塵』メンバーを一年野放しにしたままで、非常に神経質になっていると。だが今回、ネットの情報にまんまと騙されて別の場所に向かおうとした」

 清瀬のことを悪くいうつもりはない。少ない情報のなかで最善を尽くした結果だ。連続事件が今回で毛色を変えてきて、はまってしまったのは同情せざるを得ない。

「被害者となるのは、おそらくムサノーの採掘サークル」

 先輩はじっと目を逸らさない。

「どうして?」

「入学式で配られた、サークルのビラありますよね。そのサークルの一つに、今日のこの時間帯を新歓体験会として提示してあるサークルを思い出しました」

 息を呑む音が聞こえる。まさか、俺も意識的に覚えていたわけじゃない。入学式の、あの一瞬の情報を、脳を動かしたことでぶり返した記憶だ。

「あと、ビラを配っていた一人が、さっきすれ違った『朱禮塵』のなかにいました」

「え……それは」

「つまり、ムサノーのなかに内通者がいた。そいつが『朱禮塵』に体験会の日時と場所を流した」

 内通者が所属している採掘サークルは? と倉知先輩は訊いてきた。覚えていた名前を伝えると、納得したように何度も頷く。内部分裂が進行して、崩壊寸前のサークルらしい。

「広津留君が見たビラのなかに、中城公園の場所も記されてあったと」

「そういうことですね」

「神川さん」

 鋭い目つきでバックミラーを見据える。

「彼らは場所を突き止められるとは思っていない。いまは油断しているはず。我々が冷静になって対処すれば、必ず捕らえられます」

「分かってる。小癪な連中だよ」

 神川のハンドルを握る手には、力がこもっていた。

 先輩は、ベージュのコートの裏でゴソゴソと手を動かしている。鉄が擦れ合うような音もする。何事か、と熱い顔を少し動かして確認した。

 俺は血の気が引いた。背筋が凍ったと表現してもいいかもしれない。先輩が握っていたのは、黒塗りの銃。リボルバーと名の付く回転式拳銃であることは、明々白々だった。

 俺の視線に気付いたのか、倉知先輩は隠すまでもなく銃を見せつけてきた。

「偽物よ」

 安堵の息を、もたれかかったまま深く吐いた。

「よくできてますね」

「本物の改造銃だから、ね」

 ふざけんな。

「もっとも、実物と比べて威力も格段に落ちた物よ。当たっても、皮膚が擦り切れる程度。その代わり、電気ショックが与えられるように改造してあるけど」

 とんでもないブツだ。俺は恐れおののいた。

「広津留君、92式といわれればピンと来ない?」

「ああ……」

「ムサノーの学生が作ってたものなのよ。まあ、それがきっかけで大学の恥さらしにもなっちゃったけどね」

 そんな話も聞いたことがあるような、ないような。いや、ダメだ。思い出そうとすると、脳がオーバーヒートする。俺は相槌を打つだけでこの場を留めておいた。

 



 大通りから路地裏に入る。神川の運転は安定していて、入り組んだ四つ角をくねくねと曲がっていた。あたりは暗く、街灯だけが頼りである。それでも歩行者が少ないおかげで、速いペースを保っていた。

 やがて、一角が開けた場所にたどり着く。車の壁を越えて、うめき声が聞こえてきた。

「見つけた」

 倉知先輩が呟いた。

 俺はサイドウィンドウに頬を付けて、中城公園を見渡す。予想通りだ。赤い服を着た集団がキャンプファイヤーのように円をつくり、中の人をいたぶっていた。腹を蹴る、胸倉を掴んで頬を殴る、煽り囃し立てる。陰湿な嫌がらせのようで、いいようもないほど不快な感情に襲われた。

「倉知ちゃんは」

 と、神川がいう。「手を出すなよ」

 後ろを一切振り向かなかった。先輩は口を開きかけたが、なにかを感じ取ったのか、「はい」とすぐに返事をした。リボルバーの銃口は床に下ろされた。

 神川は一人、公園に歩いていった。『朱禮塵』のメンバーが気付く。奴らは逃げない。それどころか、新たな対戦相手を歓迎し身震いしているようだった。

 俺も、野暮なことをいうもんじゃないのは分かっている。だが、敵の数は気力体力ともに若盛りの学生が十数名。とても訊かずにはいられなかった。

「あの人は……勝てるんでしょうか」

 先輩は視線だけを俺によこした。

「見てなさい」

 それだけいった。

 神川はゆっくりと、道路との境目を渡る。相手方も何人かが、じわじわと近寄ってきた。そのうちの一人、赤いスカジャンを着た男が、

「誰だてめぇは」

 ガムを噛んでいるような、粘着質な声を出した。

 何も聞こえていないように、神川は黙っていた。一言も声を発さない。事態に気付いた仲間が、公園の入り口付近に寄ってくる。まずい、このままだと囲まれてしまう――。

 次の瞬間、神川は近づいた男を一人、腹にどでかい拳を食らわせた。正面からまともに食らった男は、目をひん剥き、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。

 さっ、と仲間のなかに動揺が生まれる。そのなかを引き裂くように、神川の声が響いた。

「悪いな。礼儀がなっていなかったからな」

 俺から見える神川の顔は、遠くからでも分かる、酷く怒っていた。




 そこからは、 一方的な展開だった。

 神川が防戦一方、数の暴力でなぶり飛ばされた――わけではない。その逆だ。向かってくる敵という敵を投げ飛ばし、ダウンさせ、ノックアウトさせる。身体の使えるところをすべて使い、そしてそれらすべてを武器に変えるといわんばかりの全能性だった。 

 拳で頬をパンチし、肘でエルボーを食らわせ、体勢が崩れたところの隙を突かれたと思ったら、その伸ばした腕を掴んで曲げる。そして頭突きを食らわし、ノックダウン。血と肉を通わせる生々しい戦いだったが、神川の戦い方は美しさが備わっていた。

 剛よく剛を制しながらも節々に相まみえる柔軟さが、その美しさを生み出しているのだった。

 戦場のように倒した敵の屍が、地面に横たわっている。ある奴は公園から逃げ、ある奴は地面で寝始めている。立ち上がっている『朱禮塵』のメンバーは、残り二人。神川は肩をいからせて、腰の引けた生き残りの攻撃を待ち構えていた。

「あ、まずい」

 先輩は口をついた。

 俺もあっと声を出してしまった。神川の背後。むくりと立ち上がった男が、近づいてきている。よくよく見れば、俺が見たムサノーの内通者の男であった。

 神川は気付いていない。二人の生き残りは、笑いそうな頬を必死にこらえている。赤いロングコートを着た男は、ふらふらと身体を這わせながら、背を向けている神川にもう一メートルもないほど接近した。

 があぁっと、男が襲いかかる。

次の瞬間、空気を切り裂く銃声が轟いた。

 静かな、夜の住宅街。耳を塞ぐほどじゃないが、俺の心臓は跳ね上がった。

 赤いロングコートを孕みながら、男は崩れ落ちる。カラカラ、と地面に弾が落ちる音が聞こえた。

 車から降りたすぐそば。立ち上がった先輩の伸ばした腕の先には、リボルバーが握られていた。無慈悲な表情である。敵の獲物をただ仕留めたかのような、冷静さを保っていた。

 怖くはない。だが俺は、いままでとはまた違う警戒心を、この先輩に対して持った。人を撃つのに躊躇わない人間であると。

「おおっと……」

 神川は倒れた男のもとに跪いて、身体をまさぐる。赤いロングコートを無理やり剥いだ。

「すみません」

 先輩は、頭を下げた。神川は無言のまま首を振り、

「気にすんな。倉知ちゃんの判断は間違ってない」

「はい。ですが」

「いいって、いいって。それより、救急車を頼むわ。まともに食らってるし」

 てきぱきと神川は指示を出した。自分のハンカチを取り出し、左肩のあたりを抑えている。「皮膚は貫通しない」と先輩の言葉通り、血は出ていなかった。夜が更ければ、発射した銃弾もすぐ見つかるだろう。

 俺は一部始終を眺めていたから分かる。男が襲う寸前、神川が振り向いて防御の態勢を取っていたこと。そのときには、すでに銃弾が発射されていたこと。

 スマホを耳に当てる先輩。その横顔を、俺はどんな顔で見ていたのか。

 額に手をやった。熱は、ほとんど引けていた。

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