捜索
五人もいるのだから大きめのバンにでも乗るのかと思っていたが、神川が運転するのはコンパクトカーといっていいサイズのものだった。清瀬が助手席、倉知先輩が右側、俺は左側の後部座席にそれぞれ座った。白岡はどうするのかと見ていたが、天井の閉開式を生かしてうまく胡坐を組んでいた。
車の中は、決して快適ではない。狭いのもあるし、何より悪臭が漂ってくる。ゴミを溶かしたような臭いだ。俺はなるべく窓にくっついて、外の空気と接触を図った。
大学の裏門から出て、そのまま中城駅方面に南下していった。たとえ夜でも、大通りは車の混雑が予想される。神川さんもそのことは分かっていたのか、くねくねと曲がる脇道のルートを選んでいった。先輩との合間に垂らされたハルバードの手持ち部分が、ゆらゆらと左右に揺れていた。
「倉知ちゃん」
清瀬がいう。
「新入り君に『朱禮塵』のこと話した方がいいんじゃない? 前情報なしじゃ、僕としても忍びない」
先輩は清瀬と俺を交互に見て、「そうですね」と俺のほうに身体を傾けた。
「『朱禮塵』は大学の垣根を超えた採掘集団だわ。この呼び名が正しいかどうかは、分からない」
「というと?」
「彼らは、採掘グループをターゲットに暴行を働く危険集団なのよ」
俺は鼻から息を吐いた。
「とんでもないな」
「元は、左翼系の政治集団だったらしいんだけどね。いつからか、街の治安を悪化させる元凶だとして採掘サークルを敵対視するようになった。実力行使を働き始めたのが、ちょうど一年ほど前。それ以降は、定期的に事件を起こしている」
「警察は?」
先輩は、かぶりを振った。
「暴行が済んだら、霧のように消えてしまう。構成員の証拠も掴めてない」
背筋の凍る話だ。さっきすれ違ったときは、獲物を狙っている真っ最中だったのかもしれない。
前に座る清瀬が、首を捻ってきた。
「ネットの書き込みを調べているんだけどね、中城駅から
写真が貼り付けてあった。本町中城駅に隣接する、かつて城の本丸が建てられていた場所。現在は建物の掘立柱だけが再現され、緑の生えた広場が子どもの遊び場としての役割も果たしている史跡だ。
確かに、赤い服を纏った三人の男の背中が映っていた。
この時俺は、図らずも目を細めてしまった。なにか違和感がある、と。それを思うつもりはなかったのだが。
車は、中城駅の横を通過する。ハンドルを握る神川が、ちらりと横を向いた。
「清瀬。本町駅でいいんだな」
「そうですよ。撮られた写真の時間は二分前。ま、確実に尻尾は掴めそうだ。車の速度ならば逃げられるのも容易じゃない」
俺の薄い記憶から思い返すに、史跡広場は三年前のゴールドラッシュ開始からの穴場スポットになっていた。土を掘り起こす採掘者があまりにも増え、現在は立ち入り禁止になっているはず。
何かが変だ。小さな違和感が、細胞分裂のようにぷつぷつと湧き出ている。それがなんの類か、何に結び付けられるのか、はっきりしない。食べすぎで胃もたれしたときのような、胸のあたりに張り付くような気持ち悪さだった。
「広津留君?」
はっと俺は意識がぶり返った。先輩が俺の顔をしげしげと眺めている。
「何か、あるの?」
「いえ……」
「もしかしたら」
倉知先輩は、こめかみのあたりを人差し指で叩いた。
「働かせてもいいタイミングなんじゃない?」
さて、どうなのか。
俺は小さく笑った。先輩のマリオネットにされている気分に、おかしくなってきたからだ。操られているなあ、と。俺ほど自尊心がない人間も珍しい。
「これって、もう俺の初仕事なんですかね?」
「やってくれれば」
「責任は負いたくないですよ」
「大丈夫」
倉知先輩の言葉には、一滴の躊躇もなかった。
「広津留君は間違えないはずよ」
俺はもう逃れられることはないのだろう。先輩にがらん締めにされている。べつに、いい。仕事だと思えば。そして、先輩から勘当されるほうがよっぽど後味が悪い。
「もう少し、情報をください。データがなければ、考えることもできない」
機械的にではない。先輩は、なんらかの感情を乗せて首を縦に動かした。
「『朱禮塵』の構成員は、ムサノーと一橋外語大、中央法政帝京多摩各大学。全部で三十人ほどで、高校生も一部いるみたいだけど、正確な年齢は分からない」
先輩は一旦俺の表情を見て、後を続ける。
「目的はさっきもいった通り採掘集団への暴行。一撃必殺で、立つ鳥跡を濁さない。被害者に共通性はない。アマチュアの採掘グループも襲われてたし、もちろんムサノーの採掘サークルも。強いていうなら、すべての事件が中城市内で行われてたってことかしら」
「ちなみに、以前の事件の場所は?」
「中城北、中城東……あと多摩川沿いもあったかしら」
「関戸橋の近くだね」
前から割って入ってきたのは、清瀬である。
「あと、東京競馬場近くでもあったかな。『朱禮塵』が特定の現場にこだわる傾向はないよ。もちろん、人目の付かない場所というのは一緒でね」
「あの。警察としてはどうなんですか? この連続暴行事件は」
「痛いところを突くね。ま、一年前から騒がせてる事件だし、近頃じゃこうしてネットの世界でもありがたい意見が増えてきてる。僕がわざわざ連絡を入れなくても、いまごろ本部は鼻息荒くなってるだろうよ」
組織に属する人間として、『報・連・相』を怠るとは。それについて意見する権限も勇気もないので、俺は黙っていた。
すると清瀬は、意味ありげな笑みを向けてきた。
「君は、口が堅いタイプかい?」
「口を滑らせるほどの話をする相手がいないタイプです」
「なおさら良いね」
清瀬は助手席の収納スペースから、ホッチキス止めした紙の資料を渡してきた。タイトルは「『朱禮塵』事件の概要及び諸資料」。ただの紙の束であるが、妙な重さを感じる。神川は何かをいいかけたが、すんでのところで口が止まっていた。
俺はページを開くのに、少し躊躇った。が、もうすでに種種雑多の糸でがらん締めにされているのは分かってる。それに、この若手警察官は俺を信用に値する人間だと見てくれたのか。
「いいんですか」
俺はもう一度、確認を取った。清瀬は親指で唇を触ったあと、いたずらっ子のような表情を見せた。
「君はすでに89の会の一員だろ?」
俺は脱力した笑みを漏らした。あのドアを開けた瞬間から、運命は決まっていたんだろうな。
目線を下に落とし、表のページを開く。最初に『朱禮塵』が起こした、いまから一年前の事件の詳細が記されてあった。時間はない。情報に目を通すだけで、次へ次へと読み進めていった。
ページをとにかくめくる。二件目、三件目、n件目……。事件現場写真や、被害者の氏名。怪我の度合い。大学ごとの警察がマークしている学生、元学生まで。ひたすら情報を目で追い、頭に落とし込んでいった。覚える必要はない。一瞬でも、目で見ることが重要だ。できるだけ多くのデータを集めることで、脳を動かすタイミングで効果的に働くのだ。
中城駅からほど近く、本町中城駅は少しだけ坂の上に位置している。例の史跡広場は、その道中だ。
「おい、いるぞ」
天井から声が降ってきた。白岡のハルバートが強く揺れる。力が入っているのが、垂れている手持ち部分を見て知れた。
道路の脇に、車が停止する。俺はガラス窓から広場を眺めた。掘立柱の合間に、先ほどの写真に収まっていた赤い服の人間が手持ち無沙汰な様子で突っ立っていた。
「三人……だけか」
清瀬が呟いた。拍子抜けした表情である。俺も、同じような感想を抱いていた。確かに赤いアウターで統一した人がいて、囲まれている被害者がいるのは見て取れた。写真でも確認した連中だろう。
しかし、他のメンバーはいない。まさか三人だけで襲撃したというのもあるまいし、現に俺は先ほど十人ほどの集団とニアミスしている。
優男の顔を曖昧に笑わせ、清瀬は髪を掻いた。
「まあ、ちょっと捻ってくるよ。紋所を見せれば、すぐ翻りそうだし」
気の利いたジョークなことだ。 清瀬はちょいと人差し指を動かして、天井からもう一人の先輩を呼びよせる。なるほど、一目ですぐ分かる抑止力として効果的だ。二人は揃って、史跡の奥へと向かっていった。
その最中に、俺はずっとわだかまりを残したままでいた。
おかしい。なにかが、おかしいと。俺はもう一度、窓の外を眺めた。人通りの多さに面している広場。三人の『朱禮塵』メンバー。以前の事件との比較。採掘サークル――。
俺は、右手をこめかみのあたりをに当て、目を閉じた。
いままでのデータ。訊いた情報。すべてを精査し、正しい判断を演算する。
そして脳みその前側を意識して、力を入れた。ぐぐっと頭のなかが動く感覚がする。本当に動いているのかは、分からない。実際にこの目で見たことがないからだ。
しかし、この感覚からして間違いないのだ。前頭葉の圧巻さが額のあたりに感じる。そう、勘違いではない。いま前頭葉の体積を膨れ上がらせていると。
『皇神の脳』――そう名付けられた俺の脳は、自由自在に脳の形を変えられるものだ。
人間の脳は、四つの部位に分けられる。前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉と。そのなかでも前頭葉は、動作、会話、そして論理的思考を
俺はいま、前頭葉を大きくして、論理的思考の能力を強めている。時間がかかる。そりゃ、そうだ。俺の記憶した無数のデータ同士をつなぎ合わせて、現実的に正しい結論を出すのだから。
40秒ほど時間が経過しただろうか。演算結果が出てくる。脳の奥底から出てくる。
グッと歯ぎしりをした。止めた息を吐き出したような、肺からの深い息を出した。口が震えている。耐えろ。強く歯を噛む。
「広津留君?」
倉知先輩が呼ぶ。運転席から、神川も覗いていた。
「おい、大丈夫か? 顔、赤いぞ」
「ああ……いつものことなんで」
「え?」
俺は座椅子に深くもたれかかる。自らの左手の甲を額に当てると、予想通りの熱さが伝わってきた。38℃程度か。39℃に行ってないなら御の字だ。
「広津留君」
もう一回、先輩が呼んだ。今度は語義がこもっていて、無表情さに少しばかりの憂いが乗っかっていた。俺はせりあがってくる息を整えて、いう。
「脳を動かすと、熱が籠るんですよ」
「それは……知らなかった」
「いえ、いいんです」
「おい、ちょっと」
神川の肉厚なが顔を覗きこんでくる。
「だいぶ辛そうだぞ。水か、熱さまシートか」
「大丈夫です。安静にしてれば、三十分ほどで平熱に戻ります。それよりも」
熱が額に溜まって、頭が働いてくれない。が、精査した内容はすべて覚えている。
「いますぐ車を動かしてください。場所は、中城駅北東の中城公園」
「どうして?」
先輩の問いに、俺は間髪入れず答えた。
「『朱禮塵』のメンツがそこにいるから、に決まっているからでしょう」
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