ふと

暗井 明之晋

ふと

 肌寒くなり、日の傾きが早まってきては、冬がチラチラと顔を覗かせている秋の終わり。

 私はある1人の女性を思い出す。


 その日、いつもの通りにカウンセリングをしていた私は、15時過ぎにはその日最後の客と話し終え、最後に話していた喫茶でウーロン茶を飲んでいた。

 ちょうど半分ほど飲み、一息ついた頃。後ろに座っていた女性が話しかけてきた。

「すいません。もしかしてお悩み相談とかやってますか?お話だけでも聞いて欲しいんですが。」

そう言って女性は話しかけてくる。

 そう言ってきた女性にはいい話がない。私は聞こえなかったフリをしてやり過ごそうとした。すると

「あの、すいません。少しでもいいんで。」

女性は私の席の通路に来て、私を見下ろしながら語気を強めそう続けた。

「すみません。私がやってるのはカウンセリングで、お悩み相談とかそういうのはまた違くて」

「でも、話を聞くというのは一緒ですよね。お願いします話だけでも。」

女性は私の言葉を遮り更に繋げた。だから私もこう繋げた。

「すみませんが、私のカウンセリングは普通の悩みとは違うんです。私のは人の不可思議な事象やトラウマを聞くものなんです。DVだとかネグレクトだとか。そういったのは役所か、探偵に行ってください。」

あまり仕事内容は言いたくなかったが、どうせこの女性とはこれきりだと思ったのか、私はつい荒げながら話してしまった。さぞ女性も意味わからんといった顔をしてるのだろう。そう思い彼女の方へ顔を向けた。

 しかし、それを聞いてもなお女性はそこに佇み。唖然とするどころか、顔に少し笑みを浮かべながら口を開いた。

「私もそういった体験なんです。ずっと聞いていたんですから、何も考えずに話しかけるわけ無いじゃないですか。」

そう言いながら、まだどうぞも何も言ってない私の対面に座り話を始めた。


 女性の名前は、石崎美穂。目測で身長は155ほどで痩せ型。顔に特徴というものは無く。胸も尻もあるわけでは無い。どちらかと言えば貧相だった。

 石崎は普段、建築事務所で事務作業の仕事をしており、週休は2日。趣味は廃墟や心霊スポットを巡ることらしく、休日となればそういった場所に訪れていたらしい。その日もまた廃墟に行っていたそうだ。

 そこの廃墟はかつて健康ランドとして栄えていた場所で、露天風呂や内湯、サウナと分けられていた。宿泊するスペースも備えられていて、とても大きな廃墟だった。

 主な入口は2つで、メインロビーと露天風呂脇の従業員口。石崎は従業員口から入り中を散策していたらしい。中には先述した以外にも大小様々な宴会場。旅劇団が芝居をするホールなどがあり、順番に回っていったが、特に何とも無く。ただの廃墟だった。

 露天風呂もサウナも回り、残るは内湯のみ。先に1階の女風呂に向かう。脱衣所があり、奥には上へ続く階段と、恐らく休憩スペースだと思われるテレビが見える。階段を上がり浴場に入ってみるも、あの風呂場独特の反響と古いカビの香りが漂うだけ、すぐに出て階段を降り休憩スペースへ。構造的には1階ではあるのだが、地下のような雰囲気でいささか不気味。でもただそれだけだった。

 女風呂を後にし、そのまま2階の男風呂に向かった。構造は大した変わりはなく。休憩スペースが無く、大浴場と脱衣所が隣接してる感じだった。

 本当に変わりが無いため出ようと思ったが、妙に浴場が気になる。

 浴場のドアを開けると、女風呂よりもキツいカビの香りがする。窓がないからか余計不気味だ。中に入ってみるが、やはり変わったところは無い。出ようと思った時。

"ひた ひたひた ひた ひたひたひた"

足音がする。不規則な足音だ。しかし次の瞬間

"ひたひた びたびたびたびたびたっ"

足音が大きくなったかと思うと

"びたびたっばしゃーん"

水に入った。いや飛び込んだような音がした。もちろん水なんて無い。だがしっかり水の音がする。

"ばしゃばしゃっ ばしゃっばしゃぱしゃぱしゃ"

徐々にだが水音が弱くなっていってる。

 ついには水の音が1つもしなくなった。

 怖くなりその場からすぐに出る。

 階段を降り左に進むと正面ロビー。そこへ向かおう。そう階段を降りながら考え左に曲がろうと向く時に、奥の廊下に何かが映る。一瞬だったし、怖かったから気にせず走る。

 そのままロビーを横切った時、ロビー奥の事務所が暖簾で隠れているのだが、暖簾の下に足が見えていた気がする。がそれも怖いから無視をする。

 正面ロビーの自動ドアを手で開けながら思考を回転させるも頭が回らない。ようやくこじ開け足を外に出した時、横の靴箱ロッカーに女性がいた。気がする。でも今度はさっきと違う。女性だと分かった。でも怖くて横を見れない。とにかく車まで走った。

 車に乗ってエンジンをつける。シートベルトを回し発進しようとした時。後部座席に女性がいた。今度は確実に見えた。運転中に何かあると怖いため後ろを向いて確認する。お約束だがいない。とりあえず車を出すことにした。

 そして国道を走らせ家に向かう。だが途中、信号待ちなら対角の信号機の下。曲がるときには外だけども車の後ろ。とにかく視線の端というか、視線を動かす時にスッと女性が映る。

 ただ映るだけならまだいいが、心なしか徐々に大きく、視線に入ってきてる気がする。

 そうこうしてる間に家に着き、部屋に入ってすぐ寝てしまった。

 翌日も起きてから寝るまで、家にいようが、外出していようが女性が映る。

 テレビを見てれば、視線をすぐ横に写せばというところ。人と話していればその人のずっと後ろに。なんでもなくても、反射してる鏡や、窓、光沢のあるものに急に映り込む。

 次の日も次の日も。もうずっと映るらしい。挙句にはなんとなく映っていたのも、視線を上げたり。考え事をしているといつのまにか映っている。

 この頃は常に視線の中に入っているような感じだった。

 そんな日々を過ごしてるうちに、数日が経った。そして今日。今この場でこうやって話していると石崎は語り終えた。

 いったいその女性はなんなのか。おそらく霊的な何かだろうか。もしくはこの女にどこか穴が空いているのか。そんな考えを浮かべては繋げてをしていると

「どうですかどうですか。これどうすればいいですか。」

石崎は身を乗り出し私の目を見ている。

 話は分かった。その正体も何となく見当がつく。だが肝心なことが抜けていた。

「石崎さん。あなたはどうしたいんですか?」

彼女のして欲しい対処だ。気にならなくして欲しいのか。女性を消して欲しいのか。それとも女性がどんな性質で何をするのか知りたいのか。いったいどうすればいいのか聞くと石崎は

「本当は消してほしくて。」

石崎は笑みを浮かべながら、つらつらと言葉を繋げている。

「もう最近夜も眠れなくて。前まで何もなかったんですよ?でも最近目を瞑るとあの水の音がするんです。もがいて水面を叩く音。そして徐々に力が無くなっていくのか静かになるんです。でも静かになったら今度は逃げ場がないじゃないですか?だから目を開けないといけなくて。」

滑らかに言葉を発しながらも、石崎からどこか人の気がなくなっていく気がして、私は遮ろうとした

「あの、石崎さん。」

「いや分かっているんです。分かっているんですよ。自宅だから逃げ場じゃないかって。いくらでも逃げられるって分かるんです。言葉では分かります。でもこれは経験してる私でないと分からないですよ。もう本当に」

「石崎さんどうすれば」

「怖くてしょうがなくて、いや幻聴っていうのも分かるんです!分かってるんです!でも凄くリアルなんですよ。あの場所で聞いたような音なんです!反響してるんです!そうなるともう自宅はあの場所なんですよ!なんで分かんないかな!」

ダメだ。これはもうダメだ。

「石崎さん!」

仕方なく私は彼女の肩を上から押さえ呼びかけた。ビクッと身を震わせ、石崎は言葉を飲み込んだため

「じゃあ私はどうすればいいんですか?何をすればいいんですか?」

そう顔を近づけ、目と目をあわせ、ゆっくり聞いた。

 すると彼女は、僕の顔を両手で掴みゆっくりと口を開いた。

「本当は消して欲しいんです。もうずっと居るんです。私の視線の中にずっと映っていて。」

石崎の手から石鹸の香りがする。

「こうしてる間にも貴方の目に写る私の後ろに。さっきから話してる時も貴方の後ろに。町を歩いていると前から歩いてきて通り過ぎる。そして次の路地からまた出てきて通り過ぎるを繰り返される。」

彼女は目に涙を溜めている。そして手がとてもヒンヤリとする。

「霊媒師とかにこの2日間通ったけどダメで、どうしようもなくて。もう、もう。」

そう言い終えると、石崎は私の顔から手を離し

「ダメだ。」

急にそう放つと、喫茶から走って出て行った。ダメだと発した声は石崎のものではなかった。そう考えながら入口へ向かう。すると

"ああああああぁぁぁあぁぁああああ"

という断末魔が聞こえる。

 表に出ると、右目にペンと左目に親指を突っ込みながらよたよたと歩いてる石崎がいた。

"ああぁあぁ ざっざっざざっ

  ぁあぁあ ざざっざざっざっざっ

    あ…あぁ ざっざざっ…ざざっ"

よたよたとそこらに血をこぼしながら石崎は歩いている。そして次の瞬間

"あぁ…ああばぁっが"

車道にいつのまにか入っていたのか、鈍い音と共に言葉にならない言葉を発して、石崎はトラックの下敷きになっていた。

 私はトラックの下から石崎をゆっくり歩道へと引っ張り出した。

 見るからに助からない状態であるが、救急車と警察を呼んでいる最中、石崎は何か言葉を発していた。だが次第に静かになっていった。代わりに気の抜けた呼吸の音が聞こえる。

"ひゅーふっ ひゅーふっ ひゅー ひゅー"

しかしそんな呼吸も救急車が来る少し前には聞こえなくなっていた。

 


 結果として、石崎美穂は私の目の前で亡くなった。

 私にとって初めて看取った人間だからか。失礼ながらも親しく話した女性だからか。未だに何気なく思い出すことがある。きっと何もできなかったからというのもあるだろう。

 だが最近思うのは、これも一種の呪いなのではと思っている。

 石崎はあの廃墟で、足音と水に飛び込む音を聞き、それを皮切りに、気づくと女性が見える様になり、最後は女性が見える事が苦痛だからか、自ら目を閉じ亡くなった。

 私も目の前で起きた惨状を、何気なくボッーとしたり、前をトラックが通り過ぎると思い出す。歩いているとメガネのフチに影を感じたり。最近ではあの呼吸の音や事故の音を、寝ていて思い出したりするのだ。

 そのことを踏まえると、恐らくだが伝染している。気がする。

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