星の子ら

不知恋舟

第1話 くらげ

 「大樹の時計」は俺たちにとって絶対で、世界の全てだった。一時間おきに鳴る、ごぉん、という重苦しい鐘の音が、時刻を告げて、それを合図に俺たちは生活していた。九時の鐘は始業の合図。十二時はお昼ご飯。十六時で授業はおしまい。そのあとは寮に戻って、夕ご飯を食べて、のんびりして眠る。故郷である「星の街」にいた頃とは、比べ物にならない良い暮らしをさせてもらっている。白くてすべすべした、綺麗な服を着せてもらえるし、毎日の食事も支給されるからお腹いっぱい食べられる。ふわふわのお布団で眠ることもできる。星の街ではどれも、特権階級にある人たちしか得られるものではなかったから、「星の子」に選ばれて、はじめてここにやって来たときには感動したものだった。

 まず、街では噂とそのずっしりした音しか聞いたことのなかった「大樹の時計」の、美しさにびっくりした。時間を口煩く伝えてくる頑固親父、というイメージだったのに、実際に見てみたら、学校のすぐそばに立っているから休憩時間にもたれかかってお昼寝をすることができる優しいお兄さんと言う感じだった。なにより、木登りをした時に見える空の真っ青な色が格別だった。三人揃って腕を回しても、一周できない太い幹も、安心感があってお気に入りだった。俺は、大樹の時計の下で過ごす、学校での日常が大好きだった。

「くらげ、しっかりお勉強しないと、今度こそ星の街に返されちゃうよ」

 しかし今、俺はその良い暮らしを剥奪される危機に瀕しているのだった。俺はさっきの終わりの会で叩きつけられた「最終通告」と書かれたプリントを前に頭を抱えていた。二週間後の期末テストで決められた点数を超えないと、学校を追い出されてしまう。前回受けた、この前の中間テストがあまりに壊滅的だったせいだ。寮では相部屋で、教室では俺の前の座席に座っている天空(ソラ)くんが呆れたように俺を見つめる。

 授業が終わってすぐの時間帯だけれど、教室に夕焼けは差し込まない。この学校が、森の中にあるからだ。一年中、四六時中、電灯が欠かせない。一番大きな「大樹の時計」をはじめとして、鬱蒼としたこの森は俺たちを学校に閉じ込めるようににょきにょき腕を伸ばしていた。この学校が「星の街」より劣っている唯一の点は、見上げた空があまりに狭すぎるというところだ。それでも、森に加えて、街を囲うように塀と有刺鉄線が鎮座するあの街には戻りたくない。いくつかの集落が存在できるほど十分な面積があったとはいえ、四角く区切られた星を見上げることだけが、あの街における唯一の娯楽だった。

「わ〜ん、やだよお。星の街には帰りたくない!」

「じゃあ勉強しよ、ね?」

 ソラくんが優しくにっこり笑うので、俺は仕方なく教科書とノートを取り出した。

 クロノスと呼ばれる時計仕掛けの人型機械が隆盛を誇り初めて、数百年が経った。計算能力・運動能力ともに劣る旧人類は、職業を奪われはじめ、困窮を極め、徐々に数を減らして行った。中でも俺たちの生まれた『星の街』では、人間の権利が極端に制限されていて──

「そ、ソラくん、続きなんだっけ!?」

 早速頭がこんがらがった俺は、必死にソラくんを問いただす。

「ええ、いや、そこからなの?まず四年に一度、街の男子の中から八人を選んで」

「それが俺たち『星の子』なんだよね!そっからが難しいの……」

「俺たち『星の子』のうち、選別の結果半分が『恒星』としてここから外の世界で自由に生きることができる。ここまでは大丈夫?」

「うん……俺、恒星になりたくて、星の子になったんだもん」

「で、残り半分も、大樹の時計の下で『時の子』として働く権利が得られる。どっちにしても、星の子になった時点で星の街からは離れられる。そんな中落第しようとしてるのが、くらげちゃん。思い出した?」

 ソラくんが何か言いたげにまたにっこり笑う。意地悪!とソラくんをひと睨み。

「思い出したけど難しいよ〜。教科書ってなんでこんなに難しい言葉で書いてあるの?」

「そんなに難しいかな……」

 ソラくんは俺と違ってとても頭が良くて、その上運動も得意だ。この前の中間テストでも、八人の中で一番点数が高かった。

「そりゃあソラくんは賢いもん」

「それ以前にくらげはもっと勉強しなさいよ」

 俺が口を尖らせて反論しようとすると、教室のドアが勢いよく開いた。

「まだ残ってたんだ?もうそろそろ飯の時間だぞ」

「火花くん!もうそんな時間?呼びに来てくれてありがとう」

 火花くんは、男の子なのに肩まで伸ばして、赤いリボンで一つに結んだ黒髪を揺らしながら、鍵のついた輪っかを指先で弄ぶ。俺たちのリーダー的存在である火花くんは、いつも教室の戸締りをしてくれている。俺の補習だったり、水晶くんと白金(しろかね)くんが二人で残って紙飛行機を飛ばして遊んでいたりするのを、いつも迎えに来てくれる。

「ソラも残ってたんだ。仲良いねえ」

「いや面倒みないと、この子本気で強制送還されちゃうから」

 教室に鍵をかけて、薄暗い廊下を三人で歩く。何度通っても、真っ白い内装に、グレーの影が落ちている様子は怖くて慣れない。俺は思わずソラくんの腕に抱きついた。ソラくんは呆れたように「くらげは怖がりだねえ」と笑った。

 学校から森の中を歩いて数百歩のところにある寮に着いた瞬間、ごぉんと大樹の時計が鳴った。うおーギリギリ、と火花くんがつぶやいた。

「お。くらげくん、またギリギリの居残り勉強?」

 ロビーで何か怪しい工作をしながら、俺たちを出迎えてくれたのは水晶くんだ。青みがかった不思議な瞳が、こちらを見てにんまり笑う。手先が器用で、運動神経がとてもよくて、寮や学校で起こる事件の九割に水晶くんが関わっている。今日は太い木の枝をリボンで縛って、小さなシーソーのようなものをこしらえていた。

「三人いるのに、なんで決め打ちで俺なの」

「違うの?」

「……そうだけど」

 火花くんがたまらずと言った具合に噴き出した。俺が頬を膨らませると、ソラくんが慌てて話題を変えるように水晶くんに質問した。

「それは何?」

「んー?これからある靴飛ばし大会に向けての仕込み。白金(シロ)と樹と今日の唐揚げ賭けてるから」

「おいおい、あんまバカやりすぎんなよ。ティーチャー・クロノスにまた書き取り百回させられるぞ」

「火花くんは世話焼きだねえ。ティーチャーは寮まで来ないから大丈夫だよん」

「にしても程々にしろよー」

 火花くんが嗜めるように言いながら、自室のある二階へと階段を登っていく。ティーチャー・クロノスは、俺たちに授業をする、文字通り先生みたいな存在だ。水晶くんと白金くんと、あとたまに樹くんはよくいたずらをして叱られている。俺は良い子にしてても、なんだかんだ怒られているけど。

「よっしゃーできたー!これでシロと樹ぶっとばしちゃうぞ!」

 そう叫んで立ち上がると、ヘンテコな形をした木製の装置を手に、水晶くんもお部屋に駆け戻ってしまった。たぶん白金くんと樹くんを呼びに行ったんだろう。もうすぐご飯の鐘が鳴る時間だ。

「くらげ、俺たちもお部屋戻ろっか。急がないと唐揚げ取られちゃう」

「うん……」

 俺の話聞いてくれるのは、ソラくんだけだなあ、と思った。とそのあと夕ご飯の時間に一つも唐揚げを確保できなかった俺に、唐揚げを分けてくれたのもソラくんだけだった。

 その夜、同じ部屋のソラくんが寝静まったあと、俺はそっとベッドから起き出して、部屋の窓から月を見上げた。森の中にある寮からは、高いところにある月が辛うじて見えるくらいだけれど、眠れないときはお月見をするか、月が見えない時も、薄く漏れてくる光を浴びるのが定番だった。

「俺、ちゃんと『恒星』になれるのかなあ……」

 自由と労働。「恒星」と「時の子」では、どちらの倍率が高いかわかりきっている。形式上、時期が来たらどっちになりたいかを表明する志願表の提出があるけれど、ほとんどの星の子は「恒星」を志願する。だから、最後の試練を勝ち抜いて選ばれないと、「恒星」にはなれない。選抜方法は直前まで明らかにされないけれど、今の俺の成績じゃどんなやり方でも難しいってことはわかり切っている。俺は絶対に「恒星」に選ばれて、外の世界に出て、母さんと姉ちゃんと、また幸せに暮らさなきゃいけないのに。

 四年前、十二歳のとき、星の子の募集があった時、母さんと姉ちゃんは行きたがる俺を止めた。俺はその頃から頭があんまり良くなかったし、元気はあったけれど、決まったルールで運動したり、それを競ったりっていうのは苦手だった。

「私たちのことだったら気にしなくていいから、くらげはこの街で、元気に生きていればいいんだよ」

 ほとんど傾きかけた、ぼろっちいお家の中で、それでも母さんは笑ってそう言ってくれた。星の子に選ばれた男子の家族は、二人まで外界で暮らすことが許されるということは、街のみんなが知っていた。

「俺は俺のために、星の子になって、母さんと姉ちゃんに、幸せに暮らしてほしいんだよ」

 わあっと泣き出したのは姉ちゃんだった。お金持ちのお家が、外界の居住権欲しさに、俺たちみたいな貧乏な家の女の子を無理やり娶って、子供をたくさん産ませるということが、当たり前のように起こっていた。特に姉ちゃんは美人だったから、何度も危ない目にあっていた。

「そもそも試験に合格できるかもわかんないけど、やれるだけやってみたいんだ」

 それで、奇跡的に選抜を突破して、俺は今ここにいる。俺が星の子になったから、一足先に母さんと姉ちゃんは外の世界に出ることができた。それで十分だと思っていたけれど、やっぱり俺は、もういちど二人に会いたい。自由な世界で、大きな青空と星空が広がると言う世界で、家族で暮らしたい。俺が選抜を突破したことを、街のみんなが奇跡で、偶然で、たまたまだって言った。俺もそう思う。だからもう一回、最終選抜で奇跡を起こして──

「眠れないの?」

 気付いたら、目を覚ましたソラくんが隣に立っていた。俺より少し背が高いソラくんを見上げると、薄い月明かりが、ソラくんの眠たそうな目を照らした。

「ごめん、起こしちゃった?」

「泣いてるみたいだったから」

 言われて、自分が涙を流していることに気がついた。自覚したらどんどん止まらなくなってきて、大粒の涙がぼろぼろ落ちてきた。慌ててソラくんが、パジャマの裾で涙を拭いてくれたけれど、びしょびしょにしてしまった。

「大丈夫?テストのこと心配なの?」

「テストもだけど、なんか、全部、心配なの。俺ちゃんと、『恒星』になれるかな?母さんと姉ちゃんに、会えるかな……」

 こんなこと言ったら、勉強も運動も一番できる、ほとんど「恒星」に選ばれるの確定って、みんなに言われてるソラくんには、呆れられちゃうかな。そう思ったのに。

「夜って、そうだよね。俺も不安なことあるよ」

「ソラくんでもそうなの?なんでもできるのに?」

 ソラくんは困ったように笑って頷いた。

「でも、くらげは絶対大丈夫。大丈夫だよ。俺と一緒に頑張ろう」

 ソラくんはそう言うと俺をぎゅうっと抱きしめて頭を撫でた。その手つきがあんまり優しくて、いないけど、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなって思って、そしたらまた涙が出てきて、俺はしばらく、ソラくんの腕の中でわあわあ泣いていた。それでソラくんの、どくんどくんという心臓の音を聞いていたら、不思議といつのまにか泣き止んでいた。


「そんなに思いつめてたって知らなかった。教室でちょっと意地悪言っちゃってごめんね」

 今夜は一緒に寝よう、と言われたから、俺はお言葉に甘えてソラくんのベッドに潜り込んでいた。そしたら急に、申し訳なさそうにソラくんが言うので、俺は思わずきょとんとしてしまった。

「何が?ソラくん、意地悪言った?」

「あ、もう忘れてんのね……暗記科目とか、頑張ろうね」

「うん。明日からいっぱい勉強する!教えてね」

 ソラくんはまた俺の頭を撫でた。ふかふかのお布団は、ソラくんの匂いがして少しそわそわして、でも暖かくてぐっすり眠れそうだった。母さんと姉ちゃんも、今は暖かいお布団で眠れてるかな。俺よりも綺麗な月を見れてるかな。いつか一緒に見れたらいいな。

その夜はとっても素敵な夢を見た。母さんと姉ちゃんと外の世界で、遮るものなんか何もない、でっかい星空を見に行って、そこにソラくんもいた。

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星の子ら 不知恋舟 @mofumofu_moffu

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