果樹園の赤ずきん

「お願い色葉ちゃん!このとおぉり!!」

「………」

 ……やっぱりあの時、家から追い出しておけばしておけばよかった。

 

四月にあったコルタとの衝撃的な出会いからひと月と少しが経つ。これまでは通行する者と場所を不本意にだが提供する者、時にはつまみ食いする不届きとそれを嗜める者として過ごしてきたわけだが、まさかここまで厄介なことになるとは私もこの子も思っていなかっただろう。いや、彼女は何かあれば私を頼るつもりだったのかもしれないが……。

「……も、もう一回、一から聞いていい?」

「うん!あのね、知り合いの赤ずきんちゃんがいるんだけど」

「もうそこからツッコミを入れたい」

「まだ待って、最後に聞くから!」

 こいつ……私の扱いに慣れ始めている……。

「その赤ずきんちゃんについ色葉ちゃんのことを話しちゃったのね。私たちが視える珍しい子なんだよーって。そしたら是非会いたいって言うから、色葉ちゃん会ってあげてくれないかな!」

「……いくつか質問させて」

「いいよ!」

 私は冷静に、頭の中で話を反芻させながら疑問を口にする。

「まず簡単に私のことを話してよかったのか、そもそも私の話を何で話したのか、何でその赤ずきんちゃん……?は私に会いたいのか、私はそっちの世界に行けるのか、ていうか行けたとしても私に利害があるかどうかわからないし、私が行く意味がないし関係ないし興味ないし!!」

「ごめんってば興味なくしちゃいやん!」

 何がいやんだ。

「えっと、別にこっちの世界のことを話すのは大丈夫だと思う。だって私しか行き来出来ないんだし」

「それ本当なの?やればみんなできるんじゃない?」

「無理だよ。今のみんなはあの世界に縛られてるっていうか……うん、そんな感じ。とにかく自分たちの居場所から離れられないの」

 そんなものなのか。不便なものだ。

 コルタだけが特別なのか、それとも異端なのかは知らないがまあ、ひとまず納得することにした。

「それからえーっと、赤ずきんちゃんが会いたがっている理由だよね。多分いつもの自慢だと思うよ」

「自慢?」

「そう、弟君と果樹園をやっててね、果物を貰う代わりにその運搬を手伝ったりするんだけど、赤ずきんちゃんはその場から離れられないから、お客さんのお顔を見ることは滅多にないのね。だからちゃんと自分の手で自分の育てた果物を手渡ししたいんじゃないかなぁ」

「消費者になれってこと……」

「大丈夫だよぉ。向こうはこっちと違ってツウカ?ていうのはないし、本当に会ってお話しするだけだよ多分」

「あんた今多分って言ったわね」

「いひゃいー!」

 みょんみょんと伸びるコルタの頬を引っ張りながら深い溜め息を溢した。

「そもそも私ここ通れるの……?」

「さあ……」

「………」

「わあぁんほへんらひゃーい!」


 土曜日。午前十一時。

 私はうんざりした顔を隠せないまま押入れの前に立っている。手には靴のみ。コルタが手ぶらのままでいいと言うから他には何も持っていない。とりあえず私がいない間に何かがあっても困るので、家にある祖母自慢の金庫に貴重品は入れてきたし、戸締りもした。

「さぁレッツらゴー!」

「ねぇ本当に大丈夫なの……?」

「大丈夫!何かあったらちゃんと責任とるから!」

「私の命が脅かされそうになったらあんたを盾にするからね」

「うぇっ!?」

 コルタを盾にしたまま私は彼女が押入れを開けるのを見届けた。

 押入れが開くと、以前に見たものとはまた違った風景が目の前に現れた。四月に見たものは簡単に舗装された土の道に野原が広がっているものだったが、今視界に映るのは木々に囲まれた小さな家だ。林檎やオレンジに似た柑橘類の匂いが私の家にも広がり始める。

 小さい頃に見た絵本の中のような景色だ。

 コルタは一歩踏み出すと私が動くのを待つように振り向いた。

「手ぇ握ってあげよっか?」

「い、いいわよ別に……」

 まずは靴がこの境界を跨ぐことができるのか。私は靴をひっくり返さないようにポンと向こうの世界に軽く投げた。

 靴はトスッと森特有のふわりとした土の上に落ち着いた。

「ひとまず物はいけるみたいね」

 その次は、私。

 一抹の不安を残したまま、足をそっと靴へと伸ばす。つま先、足の甲、足首とゆっくり境界をくぐり抜け、ようやくバランスが取りづらくなったので壁に手を置いた。

 後は太ももと共にもう片腕も境界を通ってやっとの思いで両足が靴を履いた。

 ほっとして上げた視界の中で、ドヤ顔をかますコルタがいたものだからまたその柔らかい頬をつねってやった。

 

「赤ずきんちゃーん!スィエロくーん!来たよー!」

 家に向かって大声を上げるコルタの後を着いて行く。ロリータを着る人がよく履いている厚底バッチリの編み上げ靴でよく森を行き来するものだと最初は思っていたが、なんとなく理由がわかった気がした。私がスニーカーを履いていることを抜きにしても、不思議とこの森は歩きやすい。地面を踏みしめている感覚はあるのに、小石や木の枝がまるでなかったことのように感じるし、土も靴に付きにくいようだ。

「あ、コルタ姉ちゃんだ!お姉ちゃーん、コルタ姉ちゃんだよー!」

「はーい!」

 果物の良し悪しを見定めていたのか、二つの箱を目の前に座っていた男の子が家に向かって声をかけた後、こちらに走ってくるのが見えた。

「こんにちはコルタ姉ちゃん!…そこの人は誰?」

「こんにちはスィエロくん。赤ずきんちゃんが来てから紹介してあげるね。悪い人じゃないから心配しないで!」

「……ども」

「ふーん、もしかして、お姉ちゃんが会いたがってた人?」

「んふふー。ナイショ!」

 いやもうこれバレバレでしょ。隠す意味ないでしょ……。と言ったところでコルタは聞かないだろう。

 家から出てきた女の子は背こそ多少私より高いが、私と同じぐらいの年に見える。

「はいはーい、お待たせコルタちゃん……あら、まあ、まあ!もしかしてその人が!」

「そう!噂の視える人、色葉ちゃんでーす!」

「噂って……」

「お話は聞いてるよ!私はロホ。でも赤ずきんって呼んでほしいな」

「はあ」

「ぼくはね、スィエロっていうんだ!お姉ちゃんの弟!」

「まあ、よろしく……」

 力強く握手したまま感激と言わんばかりに振るロホ……赤ずきんと、自分を忘れるなと言わんばかりのスィエロ。きゃあきゃあワァワァと私に話し始める二人を横目に、私は楽しそうにしているコルタを恨みがましく睨んだ。

 

 止まらない二人をなんとか宥め、せっかくだからと家に招待してもらった。

 中はカントリーに纏められ、砂糖や蜜の甘い匂いと陽だまりのような温かさがあった。

「うふふ、ちょうどアップルパイを焼いてたの!林檎はお好き?」

「まあ、それなりに」

「お姉ちゃんのアップルパイは世界一美味しいんだよ!なんたってぼくたちが育てた林檎で作ってるからね!」

「ホントに美味しいんだよー!もうほっぺがとろけちゃうくらい!あんまり時間経っちゃうと痛んじゃうから他に届けられないのが残念なくらいだよぉ」

「これはもう趣味みたいなものだから……。はい、どうぞ」

「ありがとう」

 絶賛されたアップルパイはその賞賛に相応しい程に美味しかった。一緒に出された紅茶もとてもいい香りだ。

「本当に美味しかった。お菓子屋さんでも始められるくらい」

「ふふ、ありがとう!色葉ちゃんもやっと緊張が解けたみたいでよかった」

「……え?」

「あれ、色葉ちゃん自覚なかったの?」

「ずっと肩を強張らせていたから……。私たちが出会い頭に距離を詰め過ぎちゃったのがいけないんだけれどね」

「色葉姉ちゃんね、アップルパイ食べるまでずっとお膝の上でぎゅーって、手を握ってたでしょ?」

 次々と発覚する私の無自覚の仕草に目を丸くした。ずっと、三人は私を気にしていたのか?こんな小さな男の子まで?

 確かに自覚はなかった。緊張はあったけれど、そんな、心配されるほど体を硬直させていたなんて思ってもいなかった。

「いや、その……ごめん」

「謝らないで。誰だって初めての物事には緊張するものだもの。貴女は住む世界すら違って、その境界を乗り越えてくれた。私たちはそれがとても嬉しいの」

 赤ずきんはにっこりと笑っている。

 初対面でこんな反応されていたら誰だって気まずくなるものではないだろうか。

「ねえ色葉姉ちゃん」

「な、何……?」

「色葉姉ちゃんはぼくたちのこと、怖い?」

「えっ……」

「怖い?」

「……怖くない」

「ならぼくたち、きっと仲良くなれるよ!」

 だって一緒にお姉ちゃんのアップルパイを食べたんだから!

 何の根拠にもならない理由でスィエロは私と仲良くなれると確信しているようだ。それはきっと姉である彼女もそうなのだろう。

 コルタはしたり顔で「ね?来て良かったでしょ?」と私の顔を覗き込む。

 ……悪くない、と思った。


悪くはないと思ったが、思っただけだ。

思っただけで、また行くなんて私は言ってない!

「えぇ〜!行こうよぉ色葉ちゃん!今度はモンブランタルト作ってくれるんだって!」

「だから釣られないっつーの!大体、この押し入れから赤ずきんの家に直接繋がるなら、いっそこっち持ってくればいいじゃない!」

「そんなことしたら赤ずきんちゃんとスィエロくんが悲しむもん!私が果物届けるときの、あの『本当は私たちが行きたいなー。ちゃんと喜んでくれるところ見たかったなー』っていうしょんぼり顔を毎度見る気持ちが、色葉ちゃんにわかるのかー!!」

そう、赤ずきんたちの家にお邪魔してから、私はこうしてコルタにまた行こうとせがまれる日々を送っている。

余程消費者の顔が見れたのが嬉しかったのか何なのか。すっかり姉弟に懐かれたらしく、こうしてコルタを通しお茶会の誘いが来るのだ。

もちろん誘いが来るのは嬉しい。桃桜は部活で、美璃亜は家のお手伝いや委員会活動で何かと忙しい身だし、私は私で夕飯の支度や明日の予習もある。だから頻繁に人と絡むことはない部類だ。でもそれとこれとは話が別。こうも毎日誘われてはさすがに億劫だし、返って迷惑になるだろう。

「むぅ……。むしろなんで色葉ちゃんはそんな頑なに断るの?やっぱり赤ずきんちゃんたちが苦手?」

「苦手、っていうわけではないけど……。家のことしなきゃいけないのはアンタも知ってるでしょ?」

「それはそうだけどさぁ……。あ、じゃあ向こうで夕飯も食べれば良いんじゃない?」

「は?」

名案浮かびました!と言わんばかりの顔に、私は嫌な予感を走らせる。

「そうだよ!ここで作って持ってくも良し、赤ずきんちゃんの台所を借りるも良し!私も色葉ちゃんのご飯と赤ずきんちゃんのデザートを食べられてバッチグー!私ってば天才かも!?」

「アホ!!何勝手な発想飛ばしてるのよ!ちゃっかりしてるんじゃないわ!!」

「でもでも、絶対赤ずきんちゃんもスィエロくんも喜ぶよ?二人だって色葉ちゃんの料理食べてみたいだろうしさぁ」

「人様に出せるほど料理がうまいわけじゃないんだから無理よ」

「やだやだー!!色葉ちゃんと行くのー!!ご飯もスイーツも食べるのー!!」

「やかましい!」

やーだー!!と畳の上で寝っ転がりながらはしたなく手足をバタバタさせるコルタに溜息が止まらない。アンタそのドロワーズ履いてなかったら本当に見えてたからね。

「……じゃあ、妥協点を作ってあげる」

「! ホント!?」

「向こうで夕飯を食べてもいいわ。ただし、おかずは家で作る。作ってる間にアンタはきちんと二人に説明しに行って許可を取ってくる。その際にさっきみたいな駄々はこねないこと。後二人の好みを知らないから、いつも通り私の食べたいものを作る。二人が夕飯にケチをつけてきたら二度とあそこには行かないから」

「もちろん!!二人がそんなことしないってわかってるくせに、色葉ちゃんは素直じゃないんだから〜」

「余計なこと喋ってないで早く行く!!」

「はぁーい!」

……私、なんでこんなにアイツに甘いのかしら。


「凄いわ、凄いわ!これが色葉ちゃんのお料理なのね!」

「わぁー!どれも美味しそう!」

「でしょでしょ!これ、私も好きなおかず!」

やいのやいのと騒ぐ三人にむず痒い気持ちが止まらない。人に料理を振る舞うのは家庭科の調理実習以来だ。

持ってきたのはエビと卵の炒め物、ささみとブロッコリーのサラダ、トマト缶の賞味期限が近くだったので作った具沢山のミネストローネ。本当はお米派なんだけど、こっちに持ってくるのは些か重すぎるのでやめて、朝食用に常備してある食パンを持ってきた。

焼かない方が好き、という可能性を含めてそのままだ。

いつも一人分と少ししか作らないものだから分量に少し手こずったけれど、この分だとちょうど良さそうだ。

食器を借りておかずをタッパーから移し、たまたま家にあった大きめの水筒に入れてきたミネストローネを注ぐ。コルタとスィエロは食パンが焼けるのをまだかまだかと覗いていた。危ないからやめなさい。

「じゃあみんな、手を合わせて……いただきます」

「いただきまーす!」

「いっただっきまーす!」

「……いただきます」

赤ずきんが促すまま手を合わせる。こんなおとぎ話みたいな家なのに日本式の挨拶なんて、なんだかちぐはぐな感じだ。

「コルタがあまりにも自然だったから気がつかなかったけれど、こっちでも『いただきます』なのね」

「んぇ?どこもそうじゃないの?」

「私の世界だと、文化によって違うよ。神様にお祈りしたり、家族全員揃わないと食べちゃいけなかったり。その家独自のルールもあったりするしね」

「そうなの……。そのカミサマ?というのはわからないけれど、この世界の人はみんな『いただきます』じゃないかしら。何でかは私もわからないけれど」

「そうだねぇ。仕事柄プラプラ色んな所行くけど、この世界の人は皆『いただきます』かなぁ」

「そう……」

『いただきます』は日本独自の文化だと聞いたことがあった気がするが……。まあ私も世界史に詳しいわけではない。頭の隅っこにでも置いておこう。

「色葉姉ちゃん、このスープすごく美味しいよ!また食べたい!」

「もうスィエロったら、今食べてるのにもう次のお話?」

「あーほら、まだおかわりあるから食べなよ」

「色葉ちゃん私もおかわり!」

「アンタは自分でやりなさい!」

「うふふ、モンブランタルトもあるんだから、みんなお腹に空きは作っておいてね?」

「大丈夫!甘いものは別腹だよぉ!」

「ホントよく食べるわねアンタ……」

昼休みに食べる学校での昼食とは違う、他人との夕飯。

賑やかで、それでいて温かい。

朧げな記憶がぼんやりと浮かんで、懐かしさのあまり少し胸が切なくなったのは私だけの秘密だ。

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