おかえり、愛した世界
とばり
織物屋のコルタ
今年の春は例年より少し肌寒い気がする。
少しだけ厚めのタートルネックをシャツの下に着て、スカートを履いてブレザーに袖を通す。ボタンを留めて、留め具式のタイを首に回した。
誰もいない家に挨拶をして家を出る。
私は、十七歳になった。
「うわーん!!色葉寂しいよー!!」
「うるっさ!耳元で騒ぐな!」
「やだやだ、だってー!」
「まさか色葉ちゃんだけ別クラスになるなんて……」
「お昼は私がそっち行けばいいでしょ?」
「じゃあ休み時間は私たちがそっち行くね!」
「いや大変でしょう……」
「いいの!絶対行くかんね!」
「いいけどさぁ……」
友人二人とクラスが離れてしまったが、少しすれば授業に差し支えないぐらいには馴染めるだろう。余計な口は出さなければ空気は読めるものなのだと私は学んでいる。
新しいクラスは比較的明るい人たちが多いようだ。何人か同じクラスだった人もいるし案外やっていけそうで安心した。
陸上部の部活見学の準備のために残らなければならない桃桜と校門前で別れ、通り道にあるバス停で隣町まで帰る美璃亜と別れ、スーパーに寄って帰宅する。適当に夕飯を作って、明日のお弁当のおかず分をなんとなく残しながら食べて、お風呂に入る。
これが高校に入学してからの私のルーティンワーク。変わることのない日常。の、はずだった。
「……は?」
布団を取り出すために開けた押入れが、外に繋がっていた。
明晰夢?まだ夢の中?実はまだ始業式してないとか?いやそんなことはない。クラスが別れたと騒ぎながら突撃してきた桃桜は確かに重かったし、帰りに寄ったスーパーではしゃいで店内を走った子供にぶつかったときは地味に痛かった。
そんな、そんなはずは……。
押入れを一度閉じまた開ける。目の前には下の方に仕舞われた私の布団と、上の方で少し埃を被った小物入れがある。
「な、なんだ……。やっぱり気のせいよね」
「そうそう、気のせい気のせい!」
「……ん?」
「え?」
私以外の声に思わず振り向く。
大きな針山を背負った、所謂和風ロリータと呼ばれる衣服に身を包んだ少女が机の上に置いた茶菓子代わりのお菓子に手を伸ばそうとしていた。
「だ、誰よあんた!!」
「え?えっ、ええ!?嘘!?私のこと見えてるの!?」
「あっ、いや、その、……見えてるわよ!!いいから出て行って!!」
「わぁん待って待って待ってよぉう!私の話を聞いてぇ!!」
座布団を振り回し、出て行くように促すとその子はベソをかきながら話を聞いてくれと訴えてきた。
背負っている針山が気になりすぎて危険はなさそうとは言い切れないが、半泣きの女の子を放っておくほど私も悪ではない。
「……それで?話って何なの」
「うう、えっと、さっきそのぉ……その押入れから外の景色、見えちゃった?」
「ばっちり」
「ええぇぇ、なんでぇ!」
「こっちの台詞よ!」
泣きそうな顔を一転させ、女の子は目を輝かせながら「でもでも私たちが視えるヒト、初めてだー!」と呑気に喜んでいる。それどころの話じゃない!
「で!あれは何。あんたは誰」
「はっ!ええと、私はコルタ。織物屋のコルタだよ」
「織物……」
「要は移動式のお洋服屋さん!私はここと向こう…さっき貴女が視た外の景色の世界ね。そこを行き来しながら私たちと同じような存在の人たちにお洋服を作ってあげてるの」
「……貴女たちと同じような存在って」
「妖精さんとか幽霊とか……まあ所謂、ヒトじゃない人たち?」
「幽霊も洋服作るわけ……?お金もないのに……?」
「そこはまあ、出世払い的な?何かで?」
「随分曖昧なのね……」
「だって常人には見えないからといって裸で彷徨いてる幽霊とか嫌でしょ?」
「……ごめん、私が悪かった」
コルタは手を伸ばしかけていたお菓子をいつのまにか食べていた。
「それでね、実は貴女がいない間にここを使ってたの」
「はぁっ!?」
「あっ、やっぱり通行料とかいる!?それとも通行手形!?」
「いらんわんなもん!じゃなくて、は、ずっとここを通ってたの!?」
「そうだよ。だってここしか道が通ってないんだもん」
「なっ…あんたのとこの交通整備どうなってんの!?道が一本しかないとかふざけてるの!?」
「怒んないでよう!私たちにもどうすることもできないの……。もしかしたら他にも道があるのかもしれないけど、少なくともわたしはここしか知らない……」
「……なにそれ、いつから……」
「んーと、私も記憶が曖昧なんだけど……、少なくとも貴女があのお洋服を着始めた頃からだよ。」
コルタはハンガーにかけていた制服を指差し、そうだそうだと頷いている。
じゃあ何だ。私の家の押入れは一年前から異次元ワープゲートになっていたのか。
私は頭を抱えた。寝ようとしていただけなのに、何故こんな現象が。せっかく、せっかく視て見ぬフリをしてきたのに。なんで今更になってまた、また……!
「というわけで、これからもお世話になりまーす!」
「……やっぱり出て行けー!!」
……あれから数日。未だ納得はできていないままだけれど、コルタはここを本当に交通手段としか考えていなかったようだ。
確かに今まで彼女を見なかったからといってポルターガイストがあったわけじゃないし、害はなかった。だが今となっては視界にちらつくピンクの着物で作られたドレススカートで気が散ってしまう。それどころか向こうから挨拶してきたり、果ては夕飯まで強請ろうとする。夕飯に関してはお弁当にも入りきらなかった残り物なら摘んでもいいと譲歩せざるを得なかった。
「ねえ色葉ちゃん、色葉ちゃんってあんまりお外行かないよねぇ」
「え?まあ……。出る予定があれば出掛けるけど……」
「でもでも、お夕飯の買い物とかは大体ガッコウ?っていうところの帰りにしてきちゃうじゃない?お洒落してぇ、どっか遊びに行ったりしないの?」
「別に……誘われれば行くけど」
「自分からは?」
「お互いこの時期は忙しかったりするし、あまり」
「ええ〜!?なんでなんで?色葉ちゃんてナチュラルメイクは勿論だけど、ラメの入ったシャドウで大人感増したメイクとか絶対似合うのに!!」
「いや、あまりギラギラしたものはちょっと……」
「やってみようよ!ねえねえお願〜い!!」
「嫌だってば!というかそういう化粧品あまり持ってないし」
「じゃあ今度私が持ってくるからさ!色葉ちゃんお洒落しようよ〜!」
「絶っ対に嫌!!」
最近はこんな些細な口喧嘩……世間話?もするようになった。人間の順応力って本当に凄い。
コルタは自由だ。この家に留まっていることもあれば、例の仕事のために外に出ているのか学校帰りに見かけることもある。話しかけられたりするが、大抵は桃桜や美璃亜と一緒にいるので完全無視を決め込んでいる。
ただ、一つ気になるのはその仕事現場を見たことがないというか、仕事をしている仕草を一切見せないのだ。服屋を名乗っているのだから、私が留守にしている間にでも家で内職をしているのだろうか。……いや、普通に家を必要以上に使われているみたいで腹立つな。もう考えるのはよそう。
それは四月も後半に差し掛かり、すっかり葉桜が空を覆う頃だった。
「……?コルタ?」
桃桜は部活、美璃亜は美化委員の仕事に行ってしまい、私は一人で帰路についていた。
不意に目をやった路地の暗がりにコルタが蹲っているのを見かけ、思わず声に出してしまったところで、ハッと周りを見回した。どうやら偶然にも私以外の通行人はいなかったようだ。
やめとけば良いものを、私はそうっとコルタに近づく。誰かと話しているようだった。
「コルタ、そんなとこで何してるの?」
「! い、色葉ちゃぁん……!!」
振り返ったコルタは珍しく本気でベソをかいていて、涙で潤ませた目をこちらに向けるとボロボロと大粒の涙をこぼした。
「はっ、な、何泣いてるの。」
「だ、だってぇ、妖精さんが、妖精さんが死んじゃうよぉ!」
ベソベソと泣くコルタの手のひらには二人の小さなお人形……いや、羽が生えているし、随分荒く苦しそうだが息もしているあたり生き物と想定できる人型の何か。コルタに言わせれば『妖精』がそこにいた。
「何がどうしてそうなったの…」
「わ、わかんない……。風で遠くから飛んできちゃったとこまでは聞き取れたんだけど、もう二人ともぐったりしちゃって……!どうしよう色葉ちゃん!」
「いや、私に聞かれても……!そもそも妖精って何して生きてるもんなの!?」
「んっと、私が知ってるのは朝露の雫が好きだったりするんだけど、今もう夕方だし……。あとはどういう妖精さんかにもよるんだけど、うーんうーん……」
「そのどういう妖精なのかが分からないのか……。えぇ〜……よく聞くのは花の妖精?とか?」
子供の頃絵本などに出てくる妖精といえば花の妖精かお菓子の妖精等が鉄板だったはずだ。小学生の頃は暇さえあれば図書室にこもってたし、祖母から貰った絵本にも出てくるとしたらそんな感じだったような。
コルタ発言にハッとした顔を向けて「それだ!」と声を上げた。
「は?」
「いや、お花の妖精とか当たり前すぎて逆に盲点だった!そうかお花か!」
「嘘でしょ!?普通先にそっちを想定しない!?」
「『向こう』には妖精さんいないんだもん!こっちで見かける子は自分の棲み家から動かないから……。そっか、なら話が早いや!色葉ちゃん、この辺にお花咲いてないかな?」
「ええ?この辺は住宅街だからな……。あったとしても人様の育ててる花とかじゃないかな」
「むむ、それはなぁ……」
「は?人様の家を勝手に交通手段にしてるくせに今更不法侵入が怖いの?」
「言い方ってものがあるでしょー!色葉ちゃんの意地悪ぅ!!」
それにしても、色葉ちゃんもなかなか悪よのぅ。と悪戯を仕掛ける子供のように笑うコルタは花の咲いてる家を探すと言ってその場から離れていった。去り際に妖精二人……二匹?もうすらと瞼を上げてへラリと笑っていた。
その日の夜、疲れたー。とふらふら帰ってきたコルタによると、桜の花に宿って休んでいたところを突風に煽られ、花弁とともに飛んできてしまったらしい。拠り所にする花を探しているうちに迷子になり、元気もなくなってしまい、あの路地で弱っていたと。
今はようやく見つけた人様の庭に咲いていた花に下ろしてやり、今後あの妖精はその庭で英気を養ってから新しい拠り所を探すらしい。
「ずっとそこに留まればいいんじゃないの?」
「妖精にも相性の良いお花があるらしくてね、バラ科の花を探すって」
「へぇー」
「いやでも、ほんとあそこを色葉ちゃんが通ってくれて良かったぁ〜!私だけじゃあテンパったまま動けなかったもん」
「それは……まあ、あの状況でアンタが頭回るとは思えないしな……」
「あ、ひどーい!そんなこと言っちゃう色葉ちゃんにはこれを送りつけてやるぅ!」
「何」
テーブルに置かれた物とふわりと香る花の匂いに目を奪われる。
二重にされた網目状の布の中に桃色系統で纏められた花弁が入っている。花に詳しいわけではないから、詳しいことはわからないが、春に相応しいほんのり甘く、優しい匂いだ。
「ポプリ……?」
「とはちょっと違う製法だけど、まあ同じような物だよ!あの妖精さんたちが拠り所の花を変える時に、今までいた桜の花を形にしてくれてね、んで私がそれをチョチョイと香り袋にしたの!」
「器用なものね……」
「これは妖精さんたちのお礼の形でもあるんだから、ちゃあんと貰ってくれなきゃヤなんだよ?」
下から覗き込無用に私を見たコルタに言葉が詰まる。『お礼』と言われると断るに断れない……。無下にできるほど私は馬鹿な奴じゃない。私には随分と似合わない、それこそ美璃亜のような可愛らしい女の子なら似合うけれど、私のようなお洒落に全く興味のない女から花の匂いがしても……、とうだうだ唸っていると痺れを切らしたコルタが私に香り袋を押し付けてきた。
「ちょ、何、すんの!」
「良いから貰えー!貰いなさーい!!」
「わかった!わかったから潰れるでしょ!!」
「わかればよろしい!んふふ、だーいじにしてね!」
「ん……ありがと」
なんだか気恥ずかしくなって小声でお礼を言えば、コルタはキョトンと目を丸くした後に満面の笑みを浮かべた。
月曜日、いつも通り登校すると桃桜がスンスンと私の匂いを嗅いできた。犬か。
「色葉シャンプー変えた?お花の匂いする」
「色葉ちゃんがお花の香りなんて珍しいね」
「あー……変えてはないんだけど、これだと思う」
「わぁ!可愛い香り袋だね!」
「知り合い……に貰って」
「良いじゃん!色葉あまり好きじゃないって香水とか付けないけど、これなら匂いもキツくないしね」
「うんうん、色葉ちゃんから可愛い匂いがするの、相乗効果でさらに可愛い!」
「何その理論……」
香り袋は鞄につけることにした。なんだかんだ言いつつ、私も存外気に入っていたのだ。
……正直、こういうのに興味がなかったわけではない。メイクは依然としてあまり興味を惹かれないが、これぐらいなら高校生のちょっとした『お洒落』として許されるのではなかろうか。
「そうだ、今度みんなでお揃いのマニキュア買おうよ!ペディキュアなら校則違反で引っ掛かることもないし!」
「ぺでぃきゅあ?」
「足の爪に塗るマニキュアよ」
「おぉー、女子っぽい!」
「桃ちゃんも足元可愛くなったらきっと部活も楽しくなるよ」
「よーし!じゃあ予定合わそ!」
後日、私の足に塗られた山吹色のペディキュアを見たコルタがニヤニヤしながら頬を突いてきたので、思いきり引っ張ってやった。
それでも楽しそうな彼女に私は苦笑を浮かべたのだった。
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