人を食ったか食わない話

尾八原ジュージ

人を食ったか食わない話

「人肉食べたことあります?」

「あ?」

「やっぱりどっちでもいいです」

 おおよそこんな具合の誘い方だった。少なくとも一緒にランチしましょうなんて一言もないまま、ハーブ・サブシストは数ヶ月前に知り合ったばかりのどこか爬虫類に似ている男と、仲良くもないのにふたりで飯を食いにいく羽目になる。

 ジュージは普段のホテルの給仕みたいな服ではなく、かなりラフな格好をして、白っぽいブルゾンの下にB級映画のノベルティらしいTシャツを着ている。なんやその変な鮫のプリントと口を挟もうとするのにかぶせて、「カソックで来るのやめてくださいよ、目立つから」と上から目線で指示をくれるので、よっぽど行くのを止めようかと思ったが、やっぱりさっきの質問が気になる。ついでに奢りだというので、結局着替えて一緒に外に出てしまう。

「そのTシャツ何ですか?」

「は? お前サウ○パーク知らんのか? 必修科目やぞ」

 大体こいつにTシャツの柄に難癖つけられる筋合いはない。

 閑静な住宅街から市街地へ、いくつか路地に入ったところに小さな飲食店があって、赤い東洋風の看板が出ている。変な鮫Tの男はずいずいとそこに入っていく。

 中は思ったよりも広く、赤と白を基調としたエキゾチックな装飾の店内は、昼食時ということもあってなかなか賑やかだ。話し声と食器の触れあう音、厨房からは給仕に指示を出す威勢のいい声がする。

 壁に所狭しと貼られたメニューの傍らには「時間無制限食べ放題」の一際目立つ貼り紙がある。注文をすると料理が運ばれてくるスタイルらしい。

 奥まったテーブルに通され、給仕がいなくなったタイミングで、改めてハーブは「人肉を食べさせるって噂になってるんですよ、ここが」と、何食わぬ顔をしたジュージに告げられる。

「ほんまかいな」

「ほんまかどうか確かめに来たんです」

「大体どこの界隈で噂になっとんねん」

「どこってそこの界隈ですよ」

「だからどこやねん」

 そこで給仕が戻ってきて、会話は否応なしに中断される。ジュージは何の断りもなく、メニューの一番上から十番目までを一皿ずつと、取皿を注文する。

「おいおい、マジで全部食って確かめる気か? 相当あるで」

「全部少なめの一品料理だから、ふたりなら何とかなるでしょう」

「さてはお前、ワイを残飯処理に連れてきたな」

「普通にシェアしたら残飯じゃないでしょ。食べ残しがあると注文受け付けてくれなくなりますから」

 お前人肉出てきたらちゃんとわかるんかいな、とハーブが尋ねると、ジュージはどうでしょうねと答える。赤いランプに照らされて妙に人外じみた薄笑いの貼り付いた顔。括った黒髪が肩に垂れ、それが何となく蜥蜴の尻尾に似ている。食ったらわかるにせよわからないにせよ、少なくともこいつは人肉を食ったことがあるのだろうと思う。

「誰に頼まれたんや」という質問には「教会ではないです」とだけ返ってきた。嫌な野郎だ。ハーブは咥えていた煙草を、テーブルの上の灰皿に押しつけて消す。

 少しして料理が運ばれてくる。ジュージがテーブルに備えつけの容器からカトラリーを二人分出して並べ、料理をさっさと取皿に分ける。ついでにこれも備えつけのポットからコップに水を注ぐ。何年も使用人のふりをしていたらそれはもはやホンモノの使用人と変わらんなとハーブが考えているうちに、カシューナッツと鶏肉の炒め物らしき皿が目の前に差し出される。肉か。話が話だから構えてしまう。その間に、相手はさっさと食べ始めている。

「どうなん?」

「熱いです」

「いや味とか」

「鶏肉じゃないですかね」

 いいから早く食えという圧に負けて口をつけると、値段の割には美味い。繁盛しているだけはある。「結構美味いやん」と言うと「そうですか」と言われる。早々に空になった皿をテーブルの隅に追いやり、続いて挽肉の入った麻婆豆腐に手をつける。

「こんな味の濃いもん、変な肉入っててもわからんのと違うか」

「そうですね」

「そうですねちゃうやろお前。仮に入ってたとして、どうしてそんなもん入れるんやろな。材料費削減か?」

「いや、手間がかかるだけでしょう」

「せやったら何でや」

「何ででしょうね」

 少しあって、楽しいんじゃないですかと続ける。わからん。湯気をたてる焼売が運ばれてくる。

 話すネタもさほどないから、ふたりはただ黙々と食事をすることになる。仮に今人間の肉を食ってるとして、と何らかの肉を噛みながらハーブは考える。そんでもって死後に裁きがあるとして、今ここで知らずに行ってしまった人肉食は罪状に入るのだろうか。もし入るとすれば、この店にいる客はどいつもこいつも地獄行きになってしまう。

 もしこの店で客に人肉を振る舞っている奴がいたとして、そいつは地獄行きの仲間を増やしたいのかもしれない。そう考えると、少しだけ腑に落ちる気がする。まぁ、単に救いようのない変態なのかもしれないが。

 そして今口の中にある焼売の中身は、ただの豚肉だと思う。たぶん。おそらく。

 皿が積み上がるにつれて話す余裕もなく、ふたりはただ運ばれてくる料理をひたすら片付ける作業に没頭する。合間に煙草を吸う。金属の灰皿がいつの間にかいっぱいになり、給仕がやってきて新しいものと取り替えていく。人肉のことさえなければいい店なのにと、ハーブは真偽不明の噂に思いを馳せる。向かいの席に座っているジュージは、淡々と料理を口に運んでいく。まだまだ食えるのか、それともそろそろしんどいのか、表情を見ていても腹具合が判然としない。皿がはけたタイミングで、括っていた髪を一度ほどいてまとめ直す。無言である。

「すみません、ここからここまで一皿ずつ」

「まだやるんかい!」

 食事を愉しむ範疇をとっくに超えている。もはや戦いである。うんざりしているハーブの目の前に無言で春巻が置かれる。春巻か、メニューの進行度で言うとどの辺りだろうと思って壁に目をやると、春巻だけで六種類並んでいてゲップが出そうになる。揚げ物がゾロゾロと列をなし、彼はため息をついてから、もう一本煙草を咥えて深く吸い込む。

 取皿が取り替えられ、そこに無言で取り分けられた食事が載る。もはや美味いのか美味くないのかよくわからず、全然関係のないことに思考が支配され始める。なんか度数の高い酒に唐辛子つけておく調味料あったな、あれ何て名前やったっけ……などと考えていると、ふと取り皿が空になっていることにハーブは気づく。家鴨の皮を付け合せの野菜と一緒に薄餅に包んでいたジュージの手が止まり、皿の上に乗った肉をじっと見つめている。

「おい、まさか……」

「これ無理ですね。メニュー全制覇」

「せやろ!? ええこと言うわ!」

 全体の三分の二は食べたし調査の名目は立ったでしょ、といい加減なことを言いながら、ジュージはブルゾンのポケットから煙草を出して一服深々とふかす。さっき手櫛でまとめた髪が一筋ほつれているのが目につく。

 会計を済ませてふたりが店を出ると、いつの間にか行列ができている。やはり人気店なのだ。仮にこの店で人肉を提供していたとして、それが明るみに出たら結構な騒ぎになるだろうなと思いながら、ハーブはその横を通り過ぎる。完全に満腹である。眠い。

「これは死んだわ。午後からの事務仕事」

「ご愁傷様です」

「腹立つわぁ」

 残念ながら戻る場所が同じなので、ふたりは連れ立って歩く羽目になる。いつまで昼休憩のつもりなんですかとシスターにどやされるなと思いつつ、急ぎたくもないので猫の集会などを冷やかしながら帰る。

 いつだったか本気で殺し合った夜が、だんだん昔になっていくような気が、しなくもない。


 数週間後、ハーブがふとその店に立ち寄るとシャッターが下りていて、店主急逝のため閉店しますと書かれた紙が貼られていた。

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人を食ったか食わない話 尾八原ジュージ @zi-yon

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