第38話 あらし(5)

 一枚を除いて雨戸を釘付けし、残る一枚も内側からかぎかんぬきをかけて止めたので、参籠所のなかはまっ暗になった。ところどころ外の明かりが漏れてくるけれど、それもそんなに明るくはない。それより狭い隙間に吹きこむ風の音が鋭く、それが障子やほかの調度をがたがたと揺らす音が大きく響いて、気味が悪い。

 なかで油灯を灯してもいいと言われているが、やめておく。

 相瀬あいせは闇の中にいるのは怖くない。油灯を灯して、その灯火が大きく揺れたり、消えたりするとかえって気分がよくない。まして、閉じた部屋で焚く油灯の煤っぽい匂いが相瀬は苦手だった。悪酔いしそうなのだ。

 あの子も、いまこの嵐のなかで、同じような闇の中にいる。

 雨戸を一枚だけ釘付けしないように言ったのは、参籠所が壊れる心配をしたからではない。

 壊れる心配がないのではない。

 でも、この建物ならば、崩れてきても、相瀬が押しつぶされるような重さはない。天井が落ちてきても、天井を蹴破り、力任せに蹴ったり押したりしていればすぐ外に出られるだろう。

 そうではなく、姫様のところに行くために、雨戸を開けられるようにしておきたかったのだ。

 相瀬は、油灯を灯さないかわりに、寝床にごろんと横になった。

 できれば姫様といっしょにいてあげたい。

 いや。姫様といっしょにいたい。

 姫様が嵐を怖がるなんて、いま相瀬は心配していない。

 それより、こんなにじめじめした、暖かいのか冷たいのかわからないような天気のなかで、もしいっしょにいたならば、姫様はどんな話を聞かせてくれるだろうか? それが知りたい。そして自分がそういう場にいられないことがくやしい。

 嵐が止めばもちろん、嵐が止まなくても、姫様には食事を持って行かないといけない。

 いや、嵐が収まれば、だれかが雨戸を開けに来るかも知れないから、ここを離れられない。ならば嵐を衝いて姫様に食事を届けたほうがいいかも知れない。

 相瀬は闇の中で大きく息をついた。

 安らかな気もちが穏やかな波のように相瀬に覆いかぶさってくる。

 ほんとうはもっと心配しなければならない。

 この風と雨がもっと強くなれば、村のなかでも家が飛ばされたり山が崩れたりすることがあるかも知れない。子どもや年寄りは出歩いていて風に飛ばされるかも知れない。チャボ川沿いの畑地はだいじょうぶだろうか。あの畑を流されると年貢を払うのが苦しくなる。畑が流されたってあのサンシューは年貢を減らしてくれたりはしないだろうから。また、そう心配して畑を見に行った村の者が泥と雨に足を取られて流されたりすれば……。

 そして、何より、あの漁師組の船だ。

 雨戸を止めていたときでも、沖のうねりはそんなにひどくなかった。沖でもところどころ白い波頭が立っていたけれど、これぐらいならばまだ船をひっくり返すほどではない。

 早く帰って来てほしい。

 それほどにも心配ごとがあるはずなのに。

 闇の中に一人いることで、相瀬はかえって落ち着くことができている。

 姫様も、真結も、海女組の子たちも、大人たちも、大小母様も、名主様も、いや、もう二度と会うことができなくなった相瀬の父親も母親も、筒島の神様も、あのイセキの街の神様たちも、この領地の最初の領主だという瀚文公かんぶんこうも――。

 闇の中のすぐ近くにいるようであり、闇のずっと遠いところにいるようでもあり――。

 そして、その闇の遠くのさらにはるかに遠くからうかがっているのが、たぶん「鬼」たちだ。

 ――そうか。「鬼」たちはそういうはるか遠くからやって来るのか。

 そう考えて、相瀬は自分が眠りに落ちていくのを感じていた。

 それでいいと思う。

 嵐がもしこのまま激しくなるとしたら、そして、その激しい嵐のなかで何かしなければならないことになったとしたら、その前に眠っておいたほうがいい……。

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