第32話 望み(2)
「それはなぜ?」
「たとえ
インケンはまだわかったが、ケッサとなるとまったくわからない。つまりは「悪いやつ」ということだと相瀬は思うことにする。
「でも、だから、それはどうしてです?」
「疑り深くて、譎詐の多い――いや、まあ、人を欺くのが得意な、と言っておきましょうか」
ああ、ケッサがわからないことが姫様にはわかっていたのか、と思う。
「相瀬さんは、自分がそういう人だとして、自分の身のまわりにやっぱり疑り深くて人をよく欺くようなひとにたくさんいてほしいと思いますか?」
「さあ……」
わからない――というのが正直なところだ。
「わたしがそういう人ならば、まず、わたしを疑うことのない人、わたしを欺いたりはけっしてしない人、つまりすなおにわたしに欺かれてくれるような人を身近に置きたいと思うでしょう。いえ、わたしはともかく、相良様はそういうお方です」
「はあ……」
相瀬は思ったままを言ってみる。
「わたしは悪いやつは悪いやつばっかりで群れるものだと思ってましたけど。だから腹黒い人の回りには腹黒い人ばっかり集まると……」
「これ!」
姫様が叱る。
「頭という立場にいる者が、仮にもご家老様のことを悪いやつとか腹黒いとか言ってはなりません。それはそれで村の破滅につながりますよ」
言いながら笑っている。
「ああ、いえ、それはだいじょうぶです」
相瀬も笑って言った。
「クワエには、サンシュー様にはいつもお世話になっていて、これほど身にあまる嬉しいことはないと感謝しておりますと言っておきました」
「それはよい心がけです」
言って、姫様はまた笑う。
もし姫様が大岬から身を投げて死んでいたら、こんなあたりまえにいたずらっぽい姫様を見ることはできなかった。
それを考えると、いま目のまえに姫様がいるのが、ほんとうにありがたい。
「ありがたい」というのは、「いまのようであるのはほんとうに難しい」という意味で、だから、その「ほんとうに難しい」ようにするために働いてくださっている神仏や人に感謝することばになるのだそうだ。
そして、姫様がいまここにいるのが、ほんとうにありがたいことだと思う。
「ともかく、お話をうかがったかぎりでは、その桑江様がそうおっしゃるならば、桑江様はほんとうにわたしは死んだものと思っていらっしゃると考えていいんじゃないでしょうか」
それが姫様の考えのようだ。
――よかった、わたしも同じように感じていました、と言おうとして、相瀬は一つ引っかかりを感じる。
「あ、いや」
姫様の言ったことに
「何か不審でも?」
「いや、その……。いや、クワエと話してみて、わたしもそう思いましたよ。クワエだけならそうかも知れないんですけど」
ありがたいと思うから、言い淀む。
「はい」
姫様は目を瞬かせた。
「それで?」
「でも、前に村に来たサンシューの手下は、なんていうか、すごいいばっているっていうか、乱暴っていうか。いや。それこそ、掛け値なしに悪いやつっていうか。ここの村では年貢をきちんと払えたのでまだそれでおさまりましたけど、ほかの村では、年貢が少し足りなかったとか、少し待ってほしいって言われただけで大声で
「ああ、ありそうなことです」
姫様は言った。
「
「いや……」
と言いかけたが、先のことばが出ない。
相瀬が何も言わなくても姫様はよく知っている。
相瀬もそういうできごとがあったのは知っていたが、つぶされた村の名まえまでは知らない。
このお姫様は、
「そういうお役人は、年貢のほかに賄賂も欲しがったでしょう? そして、その賄賂が払えないと、年貢のほうが足りないことにしてしまって」
「いや、そこまでは知らないんだけど……」
でも、ありそうなことだ。姫様は続ける。
「でも、それは、相良様がご家老におなりになってまだ日が浅いころに召し抱えられた人たちです」
「はい?」
家老になって「日が浅い」というのは、家老になりたてのころに、ということだろう。
「相良様が、士分でも身分の低い人を取り立てたり、身分の低い百姓を士分に引き上げて取り立てたりということをなさっているのはご存じですね?」
「ああ、ええ」
相瀬は頷く。
「そのクワエも山のほうの貧しいお百姓さんの出だと言っていました。それで、いまは武士のなかでいちばん下の身分だけど、それでも身分は上がってますよね」
「やっぱりそうですか」
姫様が言う。
「桑江様はともかく、その、家老になって日が浅いころに取り立てた人たちだって、陰険で人を欺くのが得意というわけではありません。長いあいだ人の下の身分におかれて苦労した人たちなのでしょう。だから名主のような身分の人には恨みが積もっていて、そんな横暴を働いたに違いありません」
「はぁ……」
「わたしの父、いえ、つまり、いま江戸におられるほうの父です」
姫様は眉をひそめた。
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