第26話 十七夜(3)

 「でも、真結まゆいは、海女としてやっていけるのかな、と、ときに思います」

 今度は相瀬あいせが謎をかけるように笑った。そんな笑いだと自分で思う。

 「それはどうしてですか?」

 姫様はべつに意外そうでもない。きき返してきた。

 相瀬は笑みを残したまま答える。

 「真結は獲物を気もち悪がって手でつかもうとしないというお話は前にしましたよね?」

 「ええ」

 姫様の「ええ」という返事は品がよい。

 「でも、それだけじゃないらしくて」

 こういうことを姫様に話していいかどうか。

 小百姓こびゃくしょうの娘の悩みごとを高貴のお姫様にじかに訴えるなんて、ふだんならば許されない。

 でも、いまは、その「学問」というもののある姫様の答えを聞いてみたい。

 相瀬は続けた。

 「真結は狩られる獲物の痛みを自分の痛みのように感じるんです」

 「ええ」

 「でも海女の仕事はけっきょく殺生せっしょうです。それでは成り立ちません」

 姫様は唇を閉じて、首を傾げ、相瀬の顔から目を離さずにいた。

 しばらくしてから言う。

 「それで、相瀬さんは、その獲物の痛みというようなものを感じないんですか?」

 「はい」

 すぐに答える。

 「そんなことを考えていたら、仕事になりませんから」

 姫様は目を閉じて首を振る。

 「考えるのと、感じるのとは違うでしょう? 真結さんと同じように感じていても、その感じたことについて考えないようにしている、というのではないですか?」

 さすがに難しいことを言う。

 「あぁ、いや」

 相瀬はあいまいに笑った。

 「そんな違い、考えたこともありませんでした」

 「いえ、感じたことさえなければ、海女の仕事は殺生だ、なんて、思い当たりもしないでしょう?」

 ああ、そういうことになるのか。

 「いや、でも、これはお母さんだったか、美絹みきぬさん……あ、つまり私の前の娘組の頭の海女さんに聞いたことそのままですから。海女の仕事はしょせん殺生だから、あわびもさざえも海鼠なまこも獲りすぎてはいけない、むだな殺生になるから、って」

 自分でそう言ってはっとする。物忌ものいみの日について、「そういう日を作らずに毎日毎日漁に出ていたら、磯の鮑もさざえも採りつくしてしまうだろう」と言った、あのクワエのことばを思い出したからだ。

 姫様は相瀬の思いにはかまわずに続ける。

 「だったら、相応に獲ることはむだではない殺生、ということですね?」

 そう言われれば、そういうことになる。

 「まあ、そうしないとわたしたちは生きられないですから」

 「相瀬さんたちだけではなく」

 姫様は閉じた目を薄く開けて相瀬を見た。

 「それを食べる人も同じでしょう? 相瀬さんたちが殺生をしないと生きられない。鮑や海鼠なら、天下じゅうの人が一生食べずに過ごしても、天下は滅びはしませんが、でも、その鮑や海鼠を売っている人たちや、そこから運上うんじょう冥加みょうがを取り立てている領主がたが困ります。それに、前にも言ったとおり、この天下は、鮑や海鼠をとう国に売ることで支えられているのです。相瀬さんたちが殺生をして鮑や海鼠を干上がった哀れな姿にしてくれなければ、この天下には生きて行けなくなる人がたくさんいるはずです。だったら、その殺生の罪は、相瀬さんたちだけに負わせてよいものではないでしょう?」

 話が大きくなった。

 「あ、あぁ……」

 「この世にはさまざまな悪があり、深い浅いはあるかも知れませんが、この世の人すべてがその悪に関わりを持っているのです。また、たとえこの世で罪がなかったとしても、自分と縁のある前の世の人がおかした悪、自分と縁あってこれから生まれてくる人がこれからおかす悪との関わりを逃れることはできません。だから、だれしも、自分の身に覚えがなくても、悪の報いを逃れることはできないのです」

 「ああ、はい……」

 そんな恐ろしいことを言って、姫様はむじゃきそうに笑って見せる。

 「でも、だから、人はみんな仏性ぶっしょうを持っているのだと思いますよ。いえ、人はみんな仏性を持っているから、その悪に気づくことができるのだと」

 「仏性」ということばは和尚おしょうさんから何度かきいた。そうだ。相瀬の父の葬礼のときと母の葬礼のとき、ほかもだれかの葬礼のときだったと思う。

 でも何のことかはわからない。

 きいてみる。

 「仏性って何ですか?」

 「人はだれでも仏様になれるという本性ほんしょうのことです」

 姫様はすんなりと答える。

 「前に言いましたよね。人は死ねばだれでも神様仏様になるって。そういう本性のことです」

 「はあ……」

 でも、だったら、人は死ななければ神様仏様になれないということだろうか?

 「そういえば、真結さんの海女としての才は、神様からじかにもらったもののようだって言ってましたね?」

 「ああ、そうなんですよ!」

 姫様は、ひと息、息を漏らして笑った。

 「相瀬さんは、真結さんのことになると声が大きくなりますね」

 「あ」

 相瀬はまた声をひそめる。そのすきくように姫様が続けて言う。

 「真結さんは、その才を神様からたくさん恵んでいただいたわけですから、その仏性も強いのかも知れません。それで、ほかの海女さんが気にならないようなことも気にするんだと思いますけど」

 「ああ」

 そう考えればいいのか、と思う。

 けれども、そう考えたからといって、いま困っていることが片づくわけでもなかった。

 「鮑やさざえや海鼠をあわれんで苦しい思いをするか、それを売り、買い、食べているさまざまな人たちのことを憐れむか。いずれにしても、憐れんだからといってどこまでも憐れみきることができるものでもないでしょう。真結さんは、獲物の苦しみを思うあまり、神様からいただいたその才を捨てて海女をやめることもできると思いますけど、その獲物はだれか別の海女が獲るか、それともだれも獲物を獲らないでだれかが困るかです。悪から逃れきれるわけではありません。それに、相瀬さんの話をきくかぎり、真結さんがそういうことに気づかないようなひとだとは、わたしには思えないのですけれど」

 姫様が穏やかに言った。

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