第21話 凪(2)

 クワエはふらふらと歩き出した。

 侍としての行儀にかなった歩きかたには見えない。それが「小百姓こびゃくしょうの侍」らしさなのだろうか?

 真結まゆいのことを言うまえに、相瀬あいせはきいてみた。

 「でも、桑江くわえ様はあんなところの森のなかに入って、何をしていたんですか?」

 「椎茸しいたけとか、ほかのきのこが採れないか、見ていた」

 「はい?」

 それが侍の仕事だろうか?

 「ああいう涼しくて暗くて、それで風通しのまあまあよいところは椎茸が採れる。うまく行くと、椎茸を木に植えて育てることができるかも知れない」

 わけがわからない。

 「きのこを、植えるんですか?」

 「そういうやり方ができるときいたことがある。それに、あの森なら、ほかのきのこだって採れるかも知れない」

 「で、見つかりました?」

 相瀬が笑いを交えてきいてみる。クワエも笑った。

 「ちょっと見に入っただけでそれが見つけられるくらいなら百姓の家を継いでるさ。それができないから、逃げて士分になったんだ」

 「はあ」

 贅沢な話だ。シブンというのは武士の身分ということだろう。そのシブンになりたくてもなれず、思い年貢に苦しみながら百姓でいなければならない身がいやでいやでたまらない者が、領内にも天下にもいくらでもいるはずなのに。

 いや――。

 その願いを叶えてやることで、自分の子飼いを増やすのが、あのサンシューのやり方なのだ。

 また自分の思いを遮る。この相手にサンシューの悪口を言ってはいけない。

 「ご熱心ですね」

 相瀬が言う。クワエは軽く笑った。

 「何かとげのありそうな言いかただな」

 「ええ、まあ」

 べつに棘のありそうな言いかたをしたつもりはなかったけれど、クワエがそう受け取ってくれるならばそれでもいいと思う。

 相瀬は話を続ける。

 「昨日だったか、桑江様は浜に見えられましたよね?」

 「ああ、行った」

 平気で答えたところを見ると、悪いことをしたというつもりはまったくなさそうだ。

 「そうだ。そのときに真結さんにお世話になった」

 「ええ。いや、真結がお世話したかどうかはよくわからないんですけど」

 言って、短く笑ってクワエの顔を見る。

 「いや、でも、昨日は物忌ものいみの日で、海女は水に入ってはいけない日だったんですよ。その話は桑江様もきいたでしょ?」

 「ああ」

 クワエは眉を寄せた。

 「そのことだったら、やっぱり出直したほうがよかったといまは思ってるよ。女の人何人かに囲まれて口論になって、ついこちらも意地になってしまった」

 「それで、真結が割って入ったんですね?」

 「割って入った、というより、年が若くて背の高い海女さんの一人が呼んで来たんだ」

 ふさのことだ。房が真結を呼んできたという美絹みきぬの話とも話が合う。

 乾葉ひいばにつづく道は村から上り坂になっている。その坂をまだ下りきっていないので、ここからだと村が見渡せる。

 浜はまた坂を下らなければいけないので、浜や浜近くの海は見えないが、そのかわりここからだと遠い海まで見える。

 いや、ここからならば遠い海が見えるのだ。覚えておこうと相瀬は思う。

 いまはきれいに遠くまで見渡せている。でも、夜だったら、どこまで見渡せるのだろう? いちど確かめておいたほうがいいだろう。

 ようやく日暮れだ。夕日は畑をじかに照らさなくなり、そのかわりあたり一面が夕焼けの色に染まって見えるようになる。

 相瀬はあの貞吉さだきちの言い分を思い出している。

 「物忌みの日が何度もあって、その日には水に入らないことにしているなんて、浜の人たちはくだらないことにこだわっていると思いますか、桑江様は?」

 「いいや」

 クワエはあっさりと言った。

 「だから、出直したほうがよかったといまは思っている。真結さんには悪いことをしたよ。どこの村にだって、大事にしているしきたりはあるのだし、それに、そういう日を作らずに毎日毎日漁に出ていたら、磯のあわびもさざえも採りつくしてしまうだろう」

 斜めに相瀬を見下ろす。

 見下ろされるのは気に障るけれど、でも背の高いクワエとしてはそうするしかしようがないのだ。

 ――クワエはあの貞吉よりものがわかっているのではないか?

 相瀬が何も言わないでいると、クワエが続けた。

 「そういうことを、讃州さんしゅう様にはもっとわかってもらわねば」

 「はい?」

 とっさに問い返したのは、いやな名まえだからというより、いま出てくると思わなかった名まえだからだ。

 「サンシュー様に、って……、どういうことです?」

 「だから」

と何か言おうとして、クワエは笑った。

 「おまえたち、どうせ讃州様が嫌いなんだろう?」

 「どういたしまして。いつもお世話になっていて、これほど身にあまる嬉しいことはないと感謝しておりますよぉ」

 澄まして言って、同じように笑って見せる。

 クワエは吹き出しかけ、慌てて唇を閉じて笑いを閉じこめた。

 「いや、まあ、讃州様は憎まれておいでだが、考えはある人なんだ。わたしを士分にとりたててくださった恩人だから悪く言うわけにはいかないという贔屓目ひいきめは別にしても、考えがある人だと言っていいと思う。あの人が家老になって、年貢はたしかに上がった。領内の人の暮らしも苦しくなっただろう。しかし、領主家の借金はたしかに減っているし」

 「それにものを売ればその年貢を払えるように工夫してくださってる、でしょう?」

 相瀬が先回りして言う。クワエはしばらく目を見開いて相瀬を見ていた。

 下り坂は終わって、平坦な道に移っている。道の両側には畑が広がっていた。

 クワエは、気を取りなおして、言う。

 「いや、さすがはお頭を務めるだけのことはある。でも、それがそう巧く行っていないのも確かだ。それもわかっているのだろう」

 相瀬は用心する。クワエはものわかりがよさそうでもサンシューの回し者には違いない。そうやって誘いをかけて、相瀬がサンシューを悪しざまに言うのを待ちかまえているのかも知れない。

 「ああ、ええ。まあ、よくはわからないですけど、なんとなくは」

 強く打ち消すのもわざとらしいので、それぐらいの言いかたにしておく。クワエは熱心に話し続けた。

 「それは、讃州様が山の村や浜辺の村の実際のところをよくご存じないからだ。いまは鮑も海鼠なまこも高く売れる。売れる先が違うが、いわしもだ。魚の値段だって昔よりは高くなってる。だから、村の者を商人に引きあわせてやりさえすればそれで村には儲けが生まれる、儲けが生まれない村は村人が怠けているのだ、と単純に考えておしまいになる。しかし、この村にいたしばらくのあいだで、そういう単純なものではないことがわたしにはわかってきた」

 相瀬はうつむいて、しばらく砂混じりの道を歩く。

 浜では履かないわらじを履いてきたので、わらじが砂を擦る音が耳に障る。

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