第19話 うすあかり(6)

 美絹みきぬが帰って、やっと相瀬あいせは落ち着くことができた。

 さっき真結まゆいが見せたとまどいと、たぶん、悲しみとか憤りとか、そして、あの「鬼あわび」の痛みを自分の身で引き受けるような感じかた――それは相瀬とはあまりに違うものだった。

 あの大きな貝が、気を失っているあいだに体に五個もへんな石を入れられ、「角」を折られ、それでもそのままどうすることもできずに生きて行かなければならない――そのことにどうしていいかわからないほどの悲しみと憤りを感じる。真結はそう感じるのだ。

 相瀬はどうしていいかわからない。

 真結のそういう感じかたはまちがいではない、いや、そう感じるほうがこの世に生きる者として正しいのではないかと思うから、よけいわからない。

 でも、美絹と話をしたいまは、少し気分が楽になっている。

 来年――。

 今年はあの仕事をしてしまったのだから、来年までは、あの仕事はしなくてすむのだ。

 そのあいだに真結は考えるだろう。もし耐えられないと思ったら、真結は次の頭をふさに譲るなりなんなりするはずだ。

 相瀬だって考える。どういえば真結を納得させられるか、いまはわからなくても、来年までにはわかるに違いない。

 そう思うと、相瀬は急に眠くなった。

 布団の上に、起きているのか寝ているのかわからない中途半端な横座りで座ると、そのまま崩れるように身を伏せる。

 眠りに落ちても、相瀬は考えを続けていた。

 そうだ。

 姫様に聞いてもらえばいいのだ。姫様ならば、何か考えを聞かせてくれるに違いない。

 いや、それはできない。

 ことはだれにも漏らしてはならないことにかかわるのだ。しかもそのいちばんだいじな部分に。

 でも、その部分を避けて、姫様に話すことはできないか?

 世の人が思っているような、いや、自分がこれまで思って来たようなお姫様と違って、あの姫様はしっかりしているし、浮き世のことも知っている、少なくともまじめに知ろうとしている。

 それは、何があったのかは知らないけれど、ともかく自分の実の父親に母親を殺され、育ての父に懐いたと思ったら、その育ての父も――。

 そこまで考えたところで、相瀬は眠りのなかでふと大きな塀にぶつかったように思った。

 それどころではない!

 さっきは真結のことにばかり気を取られて、だいじなことを見過ごしていた。

 相瀬は自分の眠りが急に醒めていくのを感じながら思いを続ける。

 クワエだ!

 あの役人は、名主様の屋敷にじっとしているのに飽き足りなくなり、浜まで出てきた!

 それも、あの「鬼鮑」を浜に持ってきている、そのだいじなときに――。

 真結が「鬼鮑」のことを漏らすとは思わない。

 でも、クワエが真結をつけ回すならば?

 参籠しているということで人を遠ざけられる相瀬と違って、真結には人を遠ざける方法がない。その真結につきまとわれては……。

 ――相瀬は身を起こした。

 「わたしが会って話すしかないよね」

 そう口に出したのは、自分の心を確かめるためか。それとも……?

 いや、神様に相談するのだったら、こんな言いかたはしない。これは神様の力は借りずに自分で決めてやらなければいけないことだ。

 相瀬は軽く目を閉じると、神様に頭を下げて、参籠所の外に出た。新しく海女になろうという娘がいない以上、今晩は神事もないのだから、神様も許してくださるだろう。

 障子も揺らさないような軽い風が、相瀬の髪と頬をかすめて通り過ぎる。

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