第17話 うすあかり(4)

 こうなるとは思ってもみなかった。

 美絹みきぬにはじめてこの仕事を教えられたときには、相瀬あいせは、ともかくあの大きい貝の身を小刀で切るのがおもしろくて、そしてそこにあの小さい玉を押しこむのがおもしろくて、小おどりする気分だった。

 それで、相瀬は、この参籠さんろう所に戻ってきたとき、美絹にさっきと同じ確かめのことばを三度も言わされた。きっと相瀬ならば話してしまうに違いないと思われていたのだろう。それほど頬を染めて舞い上がっていた。

 あのときは高ぶりが抑えられず、浜に下りてすぐ海に出た。それが大人組の海女に見つかり、美絹が慌ててやって来て、相瀬はひどく叱られた。相瀬はただ海に浸かって体と頭を冷やしたかっただけだったのに。

 もちろん、相瀬は単純に喜んでいただけだったから、あの「鬼あわび」が村の生計を支えているなどということは美絹は教えてくれなかった。

 あのとき、相瀬は美絹に次ぐ歳ではなかった。娘組に歳上の海女は何人もいた。それなのに、美絹はどうして相瀬を次の頭にしたのだろう?

 そんな慌て者ですぐに舞い上がってしまうような娘なのに。

 相瀬は、参籠所の床に仰向けに横たわり、大きく息をついた。

 息をついた勢いで、寝返りを打つ。

 床を伝って、だれかが登ってくる足音が聞こえてきた。

 参籠のあいだにここに上がって来ることを許されている人は限られている。次の頭の真結と、これまで海女の娘組の頭か次の頭をやったことのある女と、あとは神主様や神主様が許した村の大人たちだけだ。頭でない海女は、娘組はもちろん、大人組の海女であっても、この下の参籠所の入り口で止められる。

 つまりは、ここに来ることができるのは、相瀬と真結まゆいを別にすれば、偉い人か偉い人の許しをもらった人ばかりだ。

 相瀬は起き上がった。寝床を整えなければと後ろを向いたとき、参籠所の外から声がした。

 「相瀬ちゃん、いる?」

 やわらかい声で美絹だとわかる。

 ――真結はもう美絹に話してしまったのか。

 それでいいと思う。美絹ならばあの真結の取り乱しようも上手に受け止めてくれただろう。

 それに、相手が美絹ならば、いまさら寝床を整えてつくろう必要もない。それぐらいの気安さは許してもらえる相手だ。

 相瀬は、自分で立ち上がって入り口の障子を開け、美絹を迎えた。

 美絹は、前に来たときには、相瀬が祭礼に出ているあいだに勝手に上がりこんで、勝手に寝床に横になっていた。でも、今度は、上がると、きれいに膝をつき、両手も揃えてついて、神様にお辞儀をした。前の頭が神様にそんなごあいさつをしているのに、いまの頭がぞんざいに横座りしているわけにも行かないので、相瀬もいっしょに神様にあいさつする。

 べつにつきあわなくてもいい相瀬もいっしょに神様にあいさつしたので、だろうか。美絹がふふっと声を漏らして笑ったので、相瀬も笑う。

 さっきから張りつめていた気もちがようやく弛んだ。

 美絹が切り出す。

 「相瀬ちゃん、あのこと、さだに言ってくれたんだって?」

 「ああ、ええ。きつく言ってやりました」

 「ありがとう」

 美絹が軽く頭を下げる。

 「考え直すとは言ってくれなかったけど、勝手に話を進めて悪かった、とは謝ってくれた」

 「あ、いやいや、美絹さんが頭を下げるようなことじゃなくて……」

 相瀬は、面映おもはゆいような、頭を下げさせて美絹に悪いような、でも得意なような、よくわからない気分になる。それで急いで話を進めた。

 「それより、美絹さん、真結の話ですか?」

 美絹が、きょとっ、とする。

 「ええ……そうだけど……」

 とまどって言う。相瀬は畳みかけた。

 「それで、真結、どう言ってました?」

 「えぇ?」

 美絹がもっととまどう。それでも立てる声が「えぇ?」とつつましいのがこのひとらしい。

 「それ、いつの話? 前に真結ちゃんの傷を見てあげたことはあるけど、そのときのこと?」

 海蛇につけられた傷が治って、もう海に下りていいかどうかを見てもらいに行ったときのことだろう。ずいぶん前のことだ。

 いや、考えてみればほんの何日か前のことだ。でもあのときはまだ真結は次の頭ではなかった。

 「いや、そうじゃなくて、今日のことでしょ?」

 「うん? 今日?」

 美絹は意外そうに首を傾げた。

 「今日は真結ちゃんには会ってないわよ? いや、会ってないから、先に相瀬ちゃんに話しに来たんだけど」

 話が合わない。

 「はぁ……?」

 晴れかけた気もちがまたかげっていく。

 真結はいま終わったばかりの仕事のことを美絹に話したのではない。

 ということは、美絹が来たのは、何か別の、それも真結にかかわることについてなのだ。

 しかも急ぐことらしい。

 「何のこと……でしょう?」

 相瀬はいつもに似ずおずおずときいた。

 美絹にとってはたいへんなことでも、相瀬にとってはどうでもいいような相談事であってほしいと思う。

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