第16話 うすあかり(3)
どれぐらいかかっただろう。
でも、あの「鬼
相瀬は体中に力が入らないほどに疲れ切っていた。背に重い石を背負っているように体が重くて、
背に「玉小石」を入れられた「鬼鮑」は同じような気分でいるのだろうか。いや、それどころではないだろう。
そんなことは
真結は押し黙ったまま相瀬に言われたとおりのことをした。相瀬が「玉小石入れ」をやった「鬼鮑」が七匹に真結が五匹だった。最初だからそんなものだろう。
それに、いやがっていたにしては、真結の仕事はていねいだった。もともと細やかな上に、貝にひどいことをしているから、せめてていねいにやってあげなければ、とでも思ったのだろうか。
最後に、あの桶の水は毎日換えること、水を入れるときに残った炭を一本入れ、それも取り替えること、水はあの洞穴の井戸の水を使うこと、あの薬は枡で量ってきっちりした量を入れ、これから四日めまでは増やし、あとは減らすこと、明日からは徐々に塩の量を増やしていくことを伝えた。
真結はきいていたが、何も言わなかった。
あのあと、真結が口をきいたのは一度きりだった。「鬼鮑」のあの角を糸鋸で落とすときだ。
「やめて」
と短く相瀬に訴えた。でも、相瀬はただ首を振った。
でも、美絹がそれを伝えられたのは、「玉小石」を貝の体に埋めるときいても目を輝かせて笑っていた相瀬だったからだ。美絹の仕事の速さに追いつこうとして貝の身を平気でざくざく切り、美絹にたしなめられたような相瀬だったからだ。
貝の身の痛みを自分の身の痛みのように感じる真結には、そんなことを言ってもしかたがない。自分で相手の身に
相瀬が前、それから五歩ほど遅れて真結が続き、また人に見られていないかを相瀬が確かめて、
真結は参籠所には上がらなかった。
参籠所の前で、行儀よく立って相瀬のほうを向いたので、相瀬は念を押して言った。
「いいよね? 一昨日の夜にやったこと、いまやったことはだれにも話してはいけないことだからね。村の外の人はもちろん、村の人にもだよ。神主様や名主様にもだよ。神主様も名主様も、この仕組みについては何も知らないんだから」
真結は、黙って頷いた。
相瀬はそれで十分だと思った。でも、ここにいるのは相瀬と真結だけではない。
「じゃ、声に出して言って。いまの」
もし真結が言わないようなら、「ここには神様もいるんだから、神様に聞こえるように」と言おうと思った。
でも、真結は、顔を上げて、言った。
「わたしは、一昨日の夜にやったことも、いまやったこともだれにも話さない。村の外の人はもちろん、村の人にも、だれにも、けっして話さない。神主様にも名主様にも話さない」
細い声だったが、ことばははっきりしていた。
相瀬は深く頷いて見せた。
それで、安心させるようににっこり笑って見せた。でも真結はわらわなかった。
「神様に申し上げるのはそれだけ。でも、そんなのだれにも話さないで抱えてるのってつらいよね」
真結は眉一つ動かさない。ただ目を伏せた。相瀬が続けて言う。
「もしだれかに話したくなったら、美絹さんにだけは話していい。もちろん、ほかにだれもいないところでだよ、
「……」
真結はうつむいたまま、何も言わない。
その細やかで長い黒髪が、相瀬にはなぜか
でも、けっきょく真結は顔を上げ、相瀬の目をまっすぐに見て、言った。
「はい」
とだけ――あとは何も言わなかった。
真結は押し黙ったまま村に戻って行った。
一度も後ろを振り向かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます