第14話 うすあかり(1)

 海の音は遠くから響いてくるように聞こえる。

 波が崩れるどぉんという音は重く響き、波が泡立ち引いていく音はしゅんしゅんしゅんと何度も少しずつ重なり合いながら長引いて聞こえる。

 それが、このすぐ外の岩に打ち寄せる波の音だと知らなければ、山が、いや土地の全部が止むことなく鳴り響いていると思って、恐ろしくてたまらなかっただろう。

 ここに外の光が射してくる入り口は一つだけで、しかも人一人がくぐれるぐらいだから、小さい。

 でも、しばらくここにいると、その明かりだけで十分にこの場所を見渡すことができた。少なくとも、暗いからと言って行灯を持ってきてもさして明るくはならない。それは去年やってみて確かめた。

 ここも洞穴の中だ。そして、たぶん、筒島つつしまの下の洞穴の入り口と同じように、姫様の言うその「鬼」たちが細工してこしらえた場所なのだ。

 ただ、筒島の洞穴と違って、ここは海よりも高いところにあって、海の水は入ってこない。それに、入り口が狭いのは筒島の洞穴に似ているが、ここにはあの入り口を開け閉めする仕掛けはない。

 そのかわり、あらかじめ知っていないとこの洞穴の入り口はまず見つけられない。どこから見てもただの急な崖にしか見えない。その崖に、外から見えないように狭い通路が穿うがってある。

 ひとりでにできたものではない。のみあとが残っている。

 人が彫ったのだ。

 人か、それとも「鬼」か、どちらかが。

 相瀬あいせがいまいるこの洞穴は、村の岬の下にある。

 しかもその入り口は禁制の浜のほうにある。村の浜のほうからは直接にはここには入れない。岬の参籠さんろう所を通り、そこからわかりにくい降り口を見つけて岩のあいだの道を下りてこなければ、ここにはたどり着けない。

 海からは上がれる。でも海と行き来する道もまた見ただけでは見分けられない。

 筒島様の下にはあの海の底の洞穴があり、村の岬の祠の下にはこの洞穴がある。

 だとすると、村のお社の下にも何かあってよさそうなものだが、さすがにそれは相瀬も知らない。何もないのか、それとも何かがあって代々の神主様が隠して来られたのか。

 それに、禁制の浜の別院には、あの石の隠れ家の仕掛けがある。

 「鬼」は、あの禁制の浜に、いまの唐子浜の村よりずっと大きい街を持ち、この岬の下の洞穴と筒島の洞穴を使っていた。

 そして――と相瀬は思う。

 たぶん、その「鬼」どもが始めたことを、いま、村の海女の娘組の頭と次の頭がひそかに受け継いでいるのだ。

 姫様は真結まゆいに会いたいと言った。

 でもその願いを叶えることはできない。

 祭礼は二十三夜の月待ちで終わる。二十四日の物忌ものいみの日をはさんで、二十五日には参籠が解ける。

 物忌みの日には、村人は海の見えるところには出てこない。次の朝が明けるまでみんな家にこもっているはずだ。

 その二十四日の夜に、相瀬は姫様を逃がそうと考え始めていた。

 もちろん姫様がそれでいいと言ってくれれば、だけれど、ほかにいい考えが思い浮かばない以上、姫様にはできればその考えを受け入れてほしい。

 しかも姫様は「鬼」に会ったことがあるという。だったら、いやがりはするかも知れないけれど、相瀬の考えを受け入れてくれるだろうと思う。

 もちろん村人のだれにも知られないようにしなければいけない。

 でも、真結になら――。

 相瀬は考える。

 真結になら姫様のことを打ち明けてもいいだろうか。

 真結はもう筒島の洞穴のことも知っている。そこに住む大あわびのことも知っている。それは、一生、だれにも言ってはならないことだ。

 真結はもう「鬼」どもの仕業に触れている。

 そこまで知っている真結になら姫様のことを伝えてもいいかも知れない。真結はやっぱりだれにも話さないだろう。それどころか、真結はきっと力になってくれる。それに、そうすれば、真結に会ってみたいという姫様の望みも叶うのだ。

 でも――と、そこまで考えたところに、真結が来た。

 足音が、やっぱり少しずつずれて重なり合いながら聞こえる。来たのが真結でなかったときの用心に、相瀬は入り口から見えない岩の陰に身を隠した。

 だいじょうぶだ。やってきたのは確かに真結だ。入り口の外で立ち止まり、ためらっている動きでわかる。

 相瀬が岩陰から出て、樽の横にしゃがんだところへ、真結は心を決めて入り口から潜りこんできた。

 相瀬は身を隠していたそぶりなど見せず、笑顔で真結を振り返る。

 真結はあの狭い入り口から洞穴の中に入って、心細そうに周りを見回していた。目を闇に慣らしているのかも知れない。

 真昼の空の下からこの薄明かりの洞穴に入れば、最初のうちは真っ暗闇にしか見えないだろう。

 自分をじっと見ている相瀬を見つけると、その顔を見てびくっとしたようだったが、すぐに人なつこそうに笑って、入り口のところから下りてきた。

 最初は少しずつ慎重に歩いていたが、そのうちに、岩の踏みやすいところから踏みやすいところへと、軽く跳ねるようにして相瀬のところまで下りてきた。

 息をふっとついて、言う。

 「夜に来たときとだいぶ感じが違うね」

 真結がここに来るのは三度めだ。最初はどちらもあの満月の夜で、筒島の洞穴に行く前と帰った後にここに寄っている。あの炭の束や樽はここに置いてあった。炭の束ひと束と樽はいまもここにある。

 「思ったより明るいでしょ?」

 「うん」

 真結がすぐ横に座る。

 真結がここまでまとってきた、浜の匂いや人の住んでいる村の風が、自分にもやわらかく触れるように感じて、くすぐったい。

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