第12話 いざよい(3)
姫様が言う。
「さて、わたしは
姫様はにっこりと笑って、その黒い目をかがやかせている。
何か姫様の手にはまったように感じないではない。でも、こちらが姫様にとってあまり思い出したくないことを掘り返したのだから、しようがないと思う。
だから、相瀬もつとめて笑って答える。
「はい、何でしょう?」
相瀬だって知らないのだ。相瀬が知っているのはほんとうにこの
姫様は、その笑顔を軽く
「その
「はいっ?」
どうして姫様が真結のことなんか知っているのだろう、と思い、そういえばさっき話したんだと思い当たる。
そうだ。相瀬は姫様に真結の名は覚えておいてほしいと思ったのだ。でも、一度言っただけで姫様が覚えているとはまったく思わなかった。
たいしたものだと思う。
「いや、でも、どうして真結のことなんか?」
「相瀬さんがはじめて口にした村のひとの名まえだからです」
姫様は嬉しそうに言った。
「相瀬さんは、相瀬さんにとっていちばんの大人にあたるはずの
「違いますか」とは言わないで、笑ったまま首を傾げてみせる。
こんなかわいらしい女の子はここの浜にはいない。
相瀬は目を伏せた。
こういうのを「照れた」というのだろう。
相瀬が顔を上げると、姫様はまだ瞳を大きく見開いて相瀬を見ている。
相瀬は話し始めた。
「真結は海女の娘組の次の頭です。わたしが頭で、真結が次の頭」
姫様は、
「とってもきれいな子で。色が白くて、体が細くて、名主様の
相瀬はふと姫様の顔に目をやる。
色が白くて、体が細くて、品があって、知恵があるということでは、この姫様だって同じだ。いや、そのことだけ取り出せば、真結は姫様にはとてもかなわない。真結が名主様の遠縁というのは、相瀬にとってはそれだけで高く
姫様は、一つまたたきしただけで、口もとにその子どものような笑みを浮かべて聴いている。
いたずらっぽいようにも見えるし、ほんとうに続きを聴きたいようにも見える。
こんなかわいらしさは真結にはない。真結はこんな「子どもらしさ」を残してはいない。
姫様とは違うところについて話さなければと思う。相瀬は話を続けた。
「最初は
姫様は軽く首を傾げた。
「でも、つかんだものが手のなかでもぞもぞしたりすると、普通はくすぐったくなって手を放してしまいませんか?」
そう問い返されるとは思わなかった。
「あ……ああ、そうですね。でもっ……」
勢いをつけて言い返そうとして、また姫様と真結の似ているところを思いつく。
姫様はもちろん手のひらがやわらかいのだろうし、真結もたぶんやわらかい。相瀬はというと、
でも、その違いだけだろうか。
「あ、いや。真結は感じかたが行き届いていていろいろ細かいんです」
「それは悪いことではありませんよね?」
姫様がきく。そうきかれると、姫様と真結があたりまえの女の子で、相瀬のほうが違っているようだ。
「そう。そうなんです! この前だって……」
言おうとして、相瀬は口をつぐんだ。
あの筒島の洞穴の中の水が外の水と違うことに、相瀬はずっと気づかなかった。ずっと感じてはいたが、その「感じ」が何か考えようともしなかった。でも、真結は、一度潜っただけで、すぐに体が浮いてしまう潜りにくい水だと言い当てた。
でもそれを村の外の人に話すことはできない。相手が姫様でも言わないほうがいいだろう。
相瀬は言い直す。
「いや、この前も、その細かく気がつくところがそのままで、そして、その気もち悪いのに慣れたら、真結はとってもいい
「それで、次の頭というのに、その真結さんを選んだんですね?」
「そうです。そのとおりです!」
相瀬は身を乗り出していた。姫様が、笑顔を浮かべたまま、左、右とあたりを見る振りをする。
真結の話をするのが嬉しくて、声を大きくしすぎたかも知れない。
相瀬は身を乗り出していたのを元に戻して、座り直した。声を小さくして、言う。
「ほんとうにいい海女になると思うんですよ。水に入るときも、水に潜るときも水を乱さない。それってとてもだいじなことで、水が乱れたのを感じると逃げてしまう獲物がいますから。それに泳ぐのも速いし、
もっと巧く言えればいい、と思うけれど、相瀬には「いい海女だ」を繰り返すしかできない。その思いでまた体を乗り出してしまう。
また座り直す。
ゆっくりとひとつ息をついて、相瀬はまた話し始めた。
「それに、わたしが教えたわけじゃないのに、手だけ使って足から潜る、なんていうこともできるんですよ」
相瀬は、筒島の洞穴に入ってすぐ、息継ぎをして下りてきたときの真結を思い出している。真結は上で息を継いだあと、足から滑るように潜って下りてきた。
「あ、いや、こんな言いかたじゃわからないですよね。水に潜ると体って浮くから、普通は手で水をかき分けて脚でも水を掻いて勢いをつけて頭から潜るんですよ。でも、あの子は、手だけ使って、脚は掻かずに、すうっと下りてきました。普通の子ならそんなことをしたら途中で浮き上がってしまう。しかもあの子は引っかからないでまっすぐ下りてきたんです。しかも、自分では、だれにでもできるわけじゃないことができるとは思ってないんですよ。それは大したものなんです」
身を乗り出した姿勢のまま、相瀬は続けて言う。
「ほんと、神様がその才をあの子に授けてくださったんです。才だけではなくて、あの子のぜんぶが神様の授けてくださったものなんです! 真結には神様が宿ってるんです。この浜を守ってくださっている神様が、あの子をわたしのところに送ってくれたんです!」
そう言い切ってから、われに返る。
真結についてそう思っているのはほんとうだ。
でも、それを領主家の姫様に言ってよかったのか?
姫様はさっきと変わらず興味深そうに笑って相瀬の顔をのぞきこんでいる。いまは愛おしそうにやさしく目を細めていた。
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