第11話 いざよい(2)

 「その鬼たちのことって、お城の人たちはみんな知ってるんですか?」

 「知っていると言えば、知っています」

 姫様は顔を上げてはっきりと言う。言ってから、姫様は、眉を寄せて、しばらくまぶたを閉じた。

 目を開けてから言う。

 「とは言っても知っているのはほんの少しです。そうですね。いま江戸にいる父上と、いまの父上、たぶん岡下おかした大膳だいぜん様と、家老のうち何人か」

 江戸にいる父上とはチッキョさせられているオーイノカミ、いまの父上とはいまの殿様のギョーブ様のことだろう。岡下のダイゼン様というのは岡下のいまの殿様だ。

 姫様のことばはつづく。

 「もちろん相良さがら様も。でも、それくらいの者たちだけでしょう」

 相瀬あいせはどきっとした。

 「だけ」と言っても、いちばんいやな人の名が入っている。

 きいてみる。

 「サガラって……サガラサンシュー……のこと、ですか?」

 「そうです」

 夏なのに冷や汗が流れる。

 よりによってサガラサンシューが知っているとは!

 姫様が追い打ちをかける。

 「家中でもおぼえているものはいなかったのです。いま江戸にいる父上はご存じなかった。いまの父上はご存じだったようですが、ほかの者に伝えるおつもりはなかったようです。それを相良様が急に言い出されて」

 姫様は目を閉じる。

 「困ったものです」

 困ったものだ!

 では、サンシューは、あのあわびのことも知っていて、村の年貢を年々積み増ししているのだろうか?

 姫様が笑った。

 くふっ、と、のどの音さえ聞こえさせるような笑いかただ。いままで姫様はそんな笑いかたをしたことはない。

 いたずらそう、というのでもなく、子どものような無邪気むじゃきな笑いというわけでもなかった。

 「でも、相良様はほんとうのことはほとんど知らないと思いますよ。もちろん石の細工に長じていたなどということも知りません。だから、相瀬さんの村にその石の仕組みが残っていることもまったく知らないでしょう」

 「はいっ?」

 相瀬は安心する。

 ほんとうに地獄まで飛ばされかけていた魂が体に戻って来たようだ。

 そして、ふと、自分の心配以上に心配なことに思い当たる。

 「でも、だったら、ここの、えっと、なんでしたっけ?」

 難しいことばは心に残らないから困る。

 「そうだ、イセキの街のことは? それはサンシューは知っているんですか?」

 知っているとしたらやっぱり大変だ。姫様が見つからないのはそのイセキの街に逃げこんだからに違いないと遅かれ早かれかんづく。勘づけば、サンシューは村に来ている役人どもにここの探索を命じるだろう。それが相瀬の参籠が解ける前だと手の打ちようがない。

 もっとも、ここにはあの石の仕組みがあり、そしてサンシューはその仕組みのことは知らないのだから、姫様が隠れてしまいさえすれば探し出せないだろうけれど。

 でも姫様ははっきりと首を振った。

 「知りません」

 つづけて言う。

 「相良様が知っているのは、鬼党きとうという人たちが、昔、領内にいたということだけです。そのことだけ相良様のお家に細々と伝わっていたのだと思います。それに、相良様は、それが領内のどこに住み着いていたかなどということには何の興味もないでしょう。あとは相良様の勝手なご想像だけです」

 姫様のことばには力がこもっていた。

 だから村の人たちは安心してほしいということだろうか。

 それに、たぶん姫様は自分をいちばん執拗しつように追い回しているのがこのサンシューだということは知っているだろう。

 いや、でも、鬼党については、姫様の「いまの」父君のギョーブ様だけが知り、あとはサンシューが細々と知っていただけだとしたら?

 「では、姫様はなぜご存じなのですか?」

 「自分で調べたからです」

 これもまたはっきりした答えだ。

 姫様は笑みを浮かべた。

 「いま、岡平おかだいら領と岡下領を合わせても、鬼党についてほんとうのことを知っているのは、わたしと、わたしといっしょにこのことを調べた娘さんがもう一人、合わせて二人だけです。父上だってわたしたちほどはご存じありません。もちろん江戸の公方様だってご存じありません。もう一人もわたしと同じようにけっしてこのことを口外しないでしょう。それに相瀬さんが何も言わなければ、わたしたちの次の世には鬼党のことは再びだれにもわからなくなってしまうのです」

 姫様の言いかたには力強さがあった。たぶんだれよりも確かなことを言っているという思いが姫様にはあるのだろう。

 だったら、姫様にはもっと答えにくいことをきいてみてもいいと思う。

 真結があの鮑を「鬼みたい」と呼んだときにふと思いついた。それを確かめてみたい。

 それは姫様をこのあとどうするか――どこへ逃がすかにもかかわることなのだ。

 姫様を両目でじっと見上げて相瀬はきく。

 「姫様は、その鬼たちは、いまも生きていると思いますか?」

 「ええ」

 姫様はすぐにそう答えた。

 「ええ、生きてますよ」

 そう言って、首を傾げる。

 そんなあたりまえのことをなぜきかれるのかわからない――という様子だ。

 でも、相瀬にとってそれは考えもしなかった答えだった。

 釣られるようにたずねる。

 「会ったことは?」

 「あります」

 それは絶対にないだろう、と相瀬は思う。

 姫様はもしかして戯れておられるのだろうか?

 あの浅葱あさぎなど、いかにも見てきたようなことを並べてほかの海女仲間を信じさせたあと、

「って、うそだよ」

とか

「だったらいいな、って思うんだけど」

とか言ってくすぐったそうに笑う。浅葱はそういう罪のないうそで戯れるのが巧い。

 ふさもときどき似たような戯れを仕掛けるのだが、房は最初に自分が笑ってしまい、それでわかってしまう。

 姫様も同じように笑い出さないだろうか?

 しばらく相瀬と姫様はまじめな顔で互いの顔を見る。

 姫様はいつまで経っても笑わない。

 恐れている様子はない。まっすぐに相瀬の顔を見ている。

 相瀬は気圧けおされながら、さらにきいてみる。

 「……その鬼に、角はありますか?」

 「いいえ」

 姫様はしっかりと答えた。

 「見たところはほかの人とまったく同じ姿をしていますよ」

 「ああ……」

 相瀬は姫様のその答えをどう考えていいかわからなくなっている。

 姫様は姫様で、じっと相瀬を見つめて黙っている。

 相瀬は、同じ姿と言っても、着ている着物はどうか、顔立ちは、話すことばは、などとどうかきこうかと迷った。

 でも姫様が先に言った。

 「相瀬さんが知っていることとわたしたちが知っていることはそれぞれ違うと思います。もしその両方を合わせたらその鬼たちのことがもっとよくわかるかも知れません。でも、それはいまはやめておいたほうがいいでしょう」

 「ええ」

 相瀬がそう答えたのは、姫様のことばにこもっていたすごみのような感じに圧されたから、それと、たしかに相瀬もそう思ったからだ。

 姫様は言った。

 「また何かこの鬼たちについてききたいことがあったら、きいてください。知っている限りで答えます」

 親切な、というより、おごそかさのこもった言いかただ。

 こういう言いかたができるとは、さすが姫様だと思う。

 ――つづきはあとできいてもいいのだ。

 「はい」

 相瀬が答えると、姫様は張りつめていたものが解けたように笑った。

 さっきの姫様らしい高貴な笑顔とは違う。子どものような笑いだ。

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