第10話 いざよい(1)

 今日は漁師組がさわらが獲れたと言って神様に供えに来たらしい。

 相瀬あいせはその神様といっしょにご飯を食べることになっている。それで、もともとまた海鼠なまこのなますくらいしか食べられなかったはずが、鰆の刺身をいただくことができた。

 そのお下がりを早めにちょうだいして、姫様のところに持って行く。

 姫様は喜んで食べてくれるかと思ったら、最初は不審そうに「生の魚ですか?」と言って眺め回した。そうですと答えると、一切れつまみ上げて鼻でにおいをいで「たしかに魚ですね」と言う。次はどんな魚ですかと尋ね、相瀬が鰆だと言うと、またわけのわからないようすで「それはどんな魚ですか?」ときく。大きな魚で、長さは男のひとの肩幅くらいで、外海にときどきまとまってやって来る。それを下ろして切り身にしたのだと説明すると、姫様はそれでやっと口にした。

 でも、いちど口にすると、あとは次々に食べてしまった。

 相瀬が食べたのはこの魚が浜に着いてすぐだろう。でも姫様の口に入ったのは夜中だ。夜とはいっても暑さは残っているから、身はずいぶん弛んでいるはずだ。

 それでもおいしかったのだろう。相瀬はあいかわらず箸を持って来ていないから、お姫様は手で一枚ずつつまんでは口に入れていた。

 相瀬は、神前だったし、村の大人たちの前だったから、箸でつつしみ深く食べた。だから、「おいしいんだろうな」という以上には味がよくわかっていない。

 その同じものを、身分の高い姫様が手で摘んで食べるなんておかしい。

 でも、たぶん姫様の食べかたのほうがおいしいだろうと思う。

 ごちそうさまでしたと手を合わせてからの姫様は、それまでよりずっと血色がよくなった。漏れてくる十六夜の月の明かりで見ただけだからほんとうの血色はわからない。でも食べ終わってからの顔はたしかにこれまでよりもずっと艶々して見えた。

 そんなところに、姫様がいやがる話を持ち出すのは気が引ける。

 最初は、姫様にはいやなことを答えてもらうのだから、鰆の刺身があるのはちょうどいいと思っていたけれど、実際にやってみると姫様を刺身で釣っているようで気がとがめる。

 少なくともあと八夜は祭が続くので姫様を連れ出す機会はない。

 それは、つまり、今日聞かなくてもあと八夜は訊ねる機会があるということだ。

 でも、姫様を「釣れる」ようなものがない日のほうがこの話を切り出しやすいかというと、そんなことはない。よけいにききにくいだろう。

 相瀬があれこれ考えていると

「相瀬さん」

 お姫様のほうから声をかけてきた。また手を洗いたいと言うのかと思うと

「何かおっしゃりたいことがおありなのではありませんか?」

と言う。しっかりした声だ。

 「もし私にとってつらいお話であってもかまいません。どうぞおっしゃってください」

 相瀬はひやっとする。心の底まで見通されたのだろうか。

 「いや、そのとおりなんですけど」

 弱気そうに笑って、相瀬は顔を上げる。

 「すると、お役人に私の居場所が露顕ろけんした?」

 「あ、いやいや」

 そうか。姫様がいちばん心配することというとそれか。

 あたりまえだな、と思う。

 「それはだいじょうぶ」

 相瀬はこんどはいっぱいに笑って見せる。

 「真結まゆいっていう子がいて、お侍を、ここには絶対に入れないって説得してくれましたから、それはだいじょうぶ」

 「まあ」

 姫様は感心した。

 「それは大した方ですね」

 真結のことは売り込んでおいてもいいと思う。もし姫様がそのえんを晴らすことができたならば、相瀬の名なんかどうでもいいけれど、真結の名は覚えておいてほしい。

 「それでは、私におっしゃりたいことというのは何でしょう?」

 「おっしゃりたい」ということばがどうにもむずがゆい。でも、「おっしゃりたい」はやめてほしいなんて言うより、姫様がこちらにことばを促している流れに乗って、ききたいことをきいておくほうが先だ。

 「あの……姫様が前におっしゃっていた、……鬼……のことなのですけど」

 「鬼党きとうのことですか?」

 口にするのも厭だろうに、そのことばを言うのにいま姫様はためらわなかった。

 「ええ、でも」

 しかしやっぱりとまどってはいるらしい。

 「わたしだってそれほど詳しく知っているわけではありませんよ」

 「いえ、ご存じのかぎりでいいんです」

 自分にしては難しい言いかたができたと相瀬は思う。

 「この下の石の細工を造ったのがその鬼たちの党だと姫様はおっしゃいましたよね?」

 「あ、ええ」

 「ということは、その鬼たちは、石の細工が得意だった、ということですか?」

 上目づかいに相瀬はきく。目をぱちっと瞬かせただけで、姫様はすぐに答えた。

 「そうです。鬼たちは石の細工に長じていました」

 「チョージていた」の意味がわからないけれど、つまり得意だった、ということだろう。

 「少なくともその一部分は、石の多い国から来たということです」

 それはそうだろうな、と思う。

 子どものころ、村のお寺で地獄絵というのを見せてもらったことがある。悪いことを重ねて地獄行きが決まると、こんなに痛めつけられ苦しめられるということを描いた絵だった。

 その絵の地獄の空はいつも暗く、地獄の山には岩はいっぱいあったが、木はほとんど生えていなかった。かわりに地獄の山には尖った石が木のように生えていた。

 鬼たちって、あの石を割って、ごしごし削って針の山の針なんか造ってるのかな――ときいたら、そんなことを気にするなんて変な子だと言われた。

 でも、たぶん、それがほんとうなのだ。

 「でも、どうしてそんなことを気にするのです?」

 姫様がたずねる。

 「じつは」

 ここから先は、村の外のひとはもちろん、村人にだって話してはいけないことだ。美絹には、そのことを知っている海女の娘組の頭と次の頭のあいだでも、口に出して話してはいけないと注意された。

 けれども、姫様には言わなければいけないだろうと思う。

 「村のなかに同じような石を使った仕組みがあって、それがいまも動くんです。造られてからもう百年も経っているかも知れないのに」

 筒島つつしまの洞穴を開閉する仕組みのことだ。

 横の岩棚の皿のようにくぼんだところに石を置くと洞穴が開き、はずすと閉じる。昨夜は使わなかったけれど、内側からも同じように開閉する仕組みがある。

 これまで、筒島は神様の島だからそんなふしぎなものもあるんだな、と思っていただけだった。

 でも、この別院の石の隠れ穴の仕掛けを考えると、その二つを別々の者が造ったと考えるよりは、同じ者たちが造ったと考えるほうが自然だと思う。

 姫様がきく。

 「その仕組みをいまも毎日使っているのですか?」

 「いえ。年に二度か三度ですが、毎年……」

 姫様にあの「鬼あわび」のことを言おうかどうしようか迷った。

 言わないことにする。

 姫様の口の堅さは信じる。でも、知っていても黙っていなければならないことをあんまりたくさん姫様に押しつけるのはやめたほうがいい。

 その前に説明がめんどうだ。小さいときはさざえのようで、角が二本伸びていて、大きくなると平たくなって大きい鮑に似てくる、なんて。

 それで

「村でだいじなものをしまうのに使っていて、ご祭礼のときにだけ開くのです」

と言うだけにする。

 姫様は口をぎゅっと結んでうなずいた。

 「ならば、鬼党が造ったものと思ってまちがいないでしょう」

 怖さを感じている様子ではなかった。

 しかし、どうして姫様はその鬼たちについて知っているのだろう?

 姫様が知っていると言うことは、殿様も知っているのだろうか?

 だとしたら、村の海女の娘組の頭たちがほかには知られないように守り通していることも、お城の人たちはほんとうは知っているのだろうか?

 きいておかなければいけないと思う。

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