第9話 満月(8)

 帰ってきたときにはもう空は明るくなっていた。

 村ではもう本社のほうに朝参りが始まっているころだろう。

 わざわざ参籠さんろう所にお参りに来る村人がいるとは思わなかったけれど、用心はしなければいけない。

 まず相瀬あいせが様子を見て、だれも参籠所に来ていないのを確かめてから、真結まゆいを参籠所に引き入れた。

 お供え物のお下がりをいただいて、真結に持たせ、真結を帰す。

 「いい? もう一度言うよ。真結は夜通しここに籠もっていた。わたしといっしょに夜通しの神事だった。ほかの人にはそれで通すんだよ。美絹さんとか、大小母様とか、このことを知ってるはずの人にもだよ」

 相瀬は念を押した。怖い顔をしていただろうと思う。

 「はい」

 真結はすなおにうなずいた。

 「じゃ、言ってみて」

 「うん。わたしは夜通し相瀬さんといっしょにここに籠もってた。夜通しの神事だった。それでいいんだね?」

 でも、真結は言ってから得意そうに短く笑った。だから相瀬も笑って大きく首を縦に振る。

 「うん!」

 もう何度も言われていることなのだ。

 相瀬は、次の頭になった最初の年、同じことを美絹みきぬに言われた。そのとき相瀬は不機嫌にして、この同じ場所で

「わかってるって!」

と大声を出し、

「神様の前でそんな大声を出すものではないわよ」

とたしなめられたものだった。

 真結は怒ったそぶりを見せもしなかった。

 ほんとうにいい娘だと思う。

 「おやすみなさい」

 真結はあの細い声で言って障子を閉めた。

 「うん」

 相瀬も同じように笑ってこたえる。

 「じゃ、次は明日の昼過ぎに」

 「うん」

 真結は障子を閉めて出て行った。またあの相瀬の家に戻って寝るのだ。

 相瀬はそのままその場所に背を伸ばした。手も足もいっぱいに伸ばす。

 相瀬ほど体の強い娘でもこの夜の仕事は重い仕事だった。手にも足にもだるい感じが残っている。

 このまま昼過ぎまで眠るんだろうなと思う。

 相瀬はじっと天井を見上げてた。

 朝のいまごろは、浜に出て筒島つつしま様に手を合わせ、拝んでいる人だっているかも知れない。

 そう思うと得意な気もちになる。

 筒島様はたしかに尊い。でも、その尊いわけを知っているのは――。

 代々の海女の娘組の頭と、相瀬と、それに真結だけだ。

 去年は「代々の海女の娘組の頭と相瀬」までだった。そこに真結が加わったことが相瀬は嬉しい。

 そう思って、つつしまなければ、と思う。

 相瀬が寝転んでいる頭のほうには神棚があって、神様がいらっしゃる。

 筒島様と同じ神様だ。

 筒島様はその胎内にあの「鬼」のような鮑を養ってくださっている。しかもあの鮑の放つ「鬼」のような邪気を抑えながらだ。

 このひと月つづく祭も、もちろん筒島の神様を祭る祭だけれども、それに次いで祭られているのはほんとうはあの鬼鮑なのだ。

 そのおかげでこの村は生きていけるのだから。

 けれども、筒島様の御徳はそれに限るものでもない。

 では、ほかのご神徳はというと?

 もちろん、相瀬を真結にめぐり会わせてくださったこと――。

 いや、真結をこの世につかわしてくださったこと、だろう。

 真結は海女になるための天性に恵まれている。相瀬よりはるかに海女としての才がある。しかも、手習いをしていて、字も読めるし、勘定もわかる。海女として以外の才も相瀬以上だ。

 そういう子が次の頭ならば相瀬も安心だ。もし相瀬がいなくなっても海女の娘組は安泰だろう。

 いや――。

 自分がいなくなってすぐに真結が頭になったほうが、海女の娘組はよくなるかも知れないな。

 そう考えるとくすぐったい。「自分がいなくなれば」なんて考えることさえくすぐったい。

 そんなことを感じながら相瀬は大きい眠りへと堕ちていった。

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