第4話 満月(3)

 足を岩に引っかけないように岸から離れたところへ跳びこみ、岸に戻った。こんどは真結まゆいに炭と樽を手渡してもらう。樽にはさっきより多めに水を入れた。その樽の重みに身を任せて相瀬は潜る。

 相瀬あいせが潜ったところのすぐ下ふたひろぐらいの深さのところに畳一畳ぐらいの岩棚がある。相瀬は潜ってその岩棚に炭と樽を置いた。

 浮かび上がって手招きする。真結は島から思い切りよく跳びこんできた。

 足からきれいに水に入り、水に沈んだところで手と足で勢いを殺し、すぐに浮き上がる。

 相瀬にはこんなにきれいな跳びこみかたはできない。

 ふさはもっと跳びこみかたがきたなくて盛大に水をはね上げる。かやはすっと水をくぐるように入ってくるのだけれど勢いを殺せないので最初に深くへ沈んでしまう。麻実あさみは萱と似ているがやはり萱ほど器用でなく、浅葱はふさより水をはね上げるくせに勢いを殺せない。

 やっぱり真結がいちばん才があるのだと思う。

 海鼠なまこや、鮑さえ手づかみできないことを除けば――だけど。

 でも、いまはやってもらわないといけない。

 「行くよ。よく見てて」

 短く言って潜ると、真結もついてきた。

 相瀬はまず炭と樽を置いた岩棚を指で指し示した。真結がきちんとそこを見たのを確かめてから、相瀬は横に水を蹴って、その岩棚の横、岩の稜を一つ隔てた向こうの岩のくぼみへ回りこむ。真結がついてきたので、そのくぼみをまた指で示した。

 磯巾着いそぎんちゃくや海鼠がついていて真結が怯えると困ると思ったが、そういうものはいなかった。藻さえわずかしかついていない。

 このあたりは、満ち引きのときの潮の流れが速いので、そういうものが居つかないのだろう。

 真結が後ろで見ているのを確かめながら、岩のくぼみをしばらく手で指し続ける。真結は足を大きく掻いて深さを保ちながら、その指の先をじっと見ている。

 相瀬は真結に手で合図して斜めに浮かび上がった。

 岩棚の真上、真結が跳びこんだあたりに出る。

 真結がきく前に相瀬が言う。

 「いまの岩の棚と、その横の岩のくぼみ、覚えたよね?」

 「ああ、うん……」

 でも海の底のそんな地形は珍しいものではない。真結にはそれをわざわざ覚えなければいけないわけがわからないはずだ。

 相瀬が続けて説明する。

 「あのくぼみのところに洞穴ほらあながある」

 「洞穴?」

 「うん」

 真結はもっとわけがわからないだろう。

 でも説明はしない。

 真結はけなげだ。相瀬にはあたりまえに見えるものを、自分は見落としたと思っているのだろう。

 「そんなこと言っても、洞穴なんか見えなかった、っていま思ってるでしょ?」

 相瀬のいたずらっぽい問いかけに、真結は立ち泳ぎしながら

「うん」

と頷く。相瀬も同じように立ち泳ぎしながら頷いて見せた。

 「そのとおり。ふだんは洞穴は見えないんだ」

 真結は黙っている。相瀬は続けて言った。

 「開けかたがあるんだよ」

 「開けかた?」

 「うん」

 いま詳しく説明しても真結にはわからないだろうと思う。

 「それ、やってみせるから、見て覚えて」

 「うん……」

 真結の返事が心細そうになっていくのにはかまわず、相瀬は指図を続ける。

 「それで、洞穴が開いたら、まずわたしが中を確かめる。何もなければ合図するから、真結が先に穴に入って」

 「わたしが?」

 「うん。入ったら、すぐのところで上に浮き上がれば息が継げる。真結が息を継いだら、外から炭と樽とを送る。真結はそれを持ってずっと奥に行って」

 「奥?」

 「うん。それで、少しだけ明るいところに出るから、そこに出たら待ってて。わたしはあとからすぐ行く」

 「……」

 何も言わないで、眉根を寄せて相瀬の顔をじっと見ているのがいじらしい。

 相瀬は口の端を引いて目を細め、笑顔をつくって見せた。

 「だいじょうぶだって。わたしはかならず行くから」

 「うん……」

 「わたしがいつまで経っても来なかったときには、同じところを逆戻りすれば外に出られるから」とは言わなかった。

 ほんとうは言わなければいけないのだろう。真結が洞穴の奥にまで入ってから、相瀬がいきなり病に襲われて動けなくなることだってあるかも知れない。水に潜っているときの病は急だときいている。それに相瀬が大蛸だの大海蛇だのに襲われることもあるかも知れない。

 相瀬がそんなことになったときのために、出かたは教えておいたほうがいい。美絹は相瀬に念入りに教えてくれた。

 でも、利発な真結には、言わなくてもわかるだろう。

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