3-9 女どうし、その裏側
荷物を置き、発声練習を終えた後、合奏を行う部屋に移動。機材に慣れるのも、今回の大きな目標の一つだ。
私を含め、体育祭でボイス班を担当した部員は、マイクで歌った経験もある。しかし楽器と一緒に音をミックスし、モニターを聴きながら演奏する――というスタイルは、ほとんどが未経験だ。大学生チームはこうした機材も使い慣れているため、部員は一つ一つ教えてもらう。
スタンドマイクを並べ、私から音量調整を――という所でいきなりハウリングが起こり、慌てる私が
ドラムスのような大きな音に囲まれるのにつられ、いつも以上に声を張ってしまった人もいたり。
声が入りすぎるのを恐れ、マイクから離れすぎてしまった人もいたり。
そもそも、歌と楽器のバランスが取れていなかったり。
音楽としては到底成立しないような、ひどい状態がしばらく続いていた。
しかし、そこからの巻き返しも鮮やかだった。
合唱部員の不安を吹き飛ばすように、まず大学生たちは失敗を笑い飛ばす。続いて、最年長でベーシストの
かつて合唱部の部長だった和可奈さんは今回、リードボーカルだけでなく
そうした先輩たちの支えが功を奏し、合唱部員たちは着実にコツを掴んでいく。そうなると、新鮮な合奏の楽しさが次々と見つかる。重低音から抜けのいい高音まで、唸るような轟音から細やかな和音まで、あらゆる音色が歌と絡み合っていく。それらを鳴らす人がすぐ近くにいる。今日初めて会った人たちどうしでも、呼吸が合っていくたびに愛着と興奮が増していく。
休憩時間には、普段は触れられない楽器に興味津々の部員もいた。私も鈴海さんに、キーボードのことを教えてもらった。
「で、この右上のボタンがサンプラーって言って……ここ押してみて」
「はい……あっ、DJで鳴るヤツ?」
「そうそう、レゲエホーンね。予め入れといた音を再生してるの。だから、この辺をドラムにして、ここをクラップにすると」
「これでリズムパートもできちゃうんですね!」
「うん、ドラムスにない音はこっちで足してるの。後は……あの曲のイントロは、これを押すだけです」
「へえ、もう完成版なんだ!」
「その場で演奏できる構成じゃないから、予め作った音を流しつつ、鍵盤でピアノやって……あ、楽してるじゃんって思った?」
「いえいえ、作るのだって大変なんですよね?」
「そうなの~、だって私だけ数十パートあるようなもんだからね? プロはマニピュレーターって人が専門でやるんだけど、学生バンドはキーボードが兼任だから……」
「つまりずーみんさんは凄い役なんですね」
「もう一回」
「ずーみんさん凄い、天才!」
「これから会うたびにそれ言って!」
夕方までめいっぱい演奏し、充足感と心地よい疲労に包まれながら、練習部屋を後にする。今日は貸し切りなので、片付けも最終日だけで良いことになっていた。
道中、自然に
「ヒナちゃんお疲れ様、マイクは慣れた?」
「まだ耳で確認はできないですね、ただこうすれば聴こえてるって間合いは掴めたので、それを信じればいいかなって」
周りで歌っている声を聴くのと、ミックスされモニターから流れる音を聴くのは、やはり違う。後者に対応しきるのが良いのだろうけれど、まだ時間が掛かりそうだった。
「信じるかあ、理屈だと分かるんだけどやっぱり不安だなあ」
とはいえ。そうした課題だって乗り越えられると思うくらいには、一同の士気は高かった。
そうして高まったテンションのまま、夕食へ。地元の食材をふんだんに使ってオーナーが腕をふるった料理は、メインからスープまで全部、とても美味しかった。私が人前ではしゃぐのを両親は嫌うので、たまにいいレストランに連れていかれたときも行儀良く過ごすようにしている。けど今は、楽しくて美味しい感情のままにはしゃいで良かったから、幸福感も倍増だった。
それに、隣には陽向がいる。頬張って笑顔を交わす、それだけで満ち足りた気持ちになれた。
向かいには、バスに乗る前にも仲良くなった鈴海さんと山吹さんのコンビ。
「そうなのそうなの、最初に会ったときのぶっきーはちっちゃくて可愛い子だな~守りてえ~って感じだったんだけど。ライブだと野郎共がデスボ張り上げてる後ろでエグいドラム叩いててさー! そのギャップにやられたから一生ファンだよね」
鈴海さんは熱烈に
「ずーみんは凄いんだよ、シンセで色んな音作って同期して、曲の細かい所まで再現できるし。やたら音が入り組んでるアニソンもお手の物って仕事人」
山吹さんは整然と鈴海さんを褒める。さっきは鈴海さんの手綱を握っているような雰囲気だったけれど、山吹さんからも深い好意を抱いているのが伝わった。
扱う楽器は違うどうしでも、尊敬しあっている関係性は素敵だな……そう私が思っていた所に、陽向がさらっと爆弾を投げ込んでくる。
「お二人ともお互い大好きじゃないですか、付き合っちゃえとか言われません?」
付き合う、という響きに咽せそうになる。ビアンである陽向が言い出したから、尚更だ。
しかし問われた鈴海さんは、待ってましたとばかりに机を叩く。
「そうだよね! これもう実質結婚でしょって思ってたの、けどぶっきー彼氏作っちゃったからさ! 泣いた!」
「また面倒くさいの始まったよ……大丈夫だよ、彼氏いるけどずーみんと居る方が多いし」
返ってきたのは、普通の回答。二人の間にあるのは恋愛感情じゃない、少なくとも本人たちは違うと思っている。
ベースの熊岡さんも話に入ってくる。
「ずーみんちゃんの気持ち、俺も分かるよ。女の子どうしのバンドって気も楽だろうし、そういうアニメの百合めっちゃ好きだもん。女子プレーヤーと組むときも、男いてゴメンって感情は若干ある」
「楽器やるのに性別とか関係ないですよ~。それに熊さんはリアルだと常に紳士じゃないですか……AVの趣味はアレですけど」
「前半はありがたいけど後半! 高校生いるから自重よ自重、ずーみんちゃんよ!」
熊岡さんが言っていた通り、「百合」だよなと納得する。私はそんなに詳しくないけど、部員には好きな人も多いのでイメージは分かる。女の子どうしの特別な――友情とも恋愛とも割り切れない、そんな関係性。いや、恋愛も含むんだったかな……
ともかく。女の子どうしの愛情表現が活発なのは、関係を決定的に変えるようなニュアンスが付きまとわないからだ。そこから恋愛に行くことはない、という暗黙の了解があるからだ――少なくとも私は、そう解釈してきた。
そこに恋愛感情が起こってもいい、起こるのも普通だ――そう思える社会になってほしい、という気持ちは勿論ある。事実、陽向も同じだと知る前の私は、あんなに苦しかった。今だって、異常だと思われかねない風潮と戦っている人は大勢いるだろう。
けど。女性どうしでの恋愛も当たり前になったときに。これまであった気安さが、気の置けない居心地の良さが、変わってしまうかもしれない――そんなことも、少しだけ思う。男女の距離感ほど遠くはならないにしても、別の緊張が生まれるようになる、かもしれない。女性への性愛を自覚している私にとって、それがない女性の感覚は分からないのだ。
食後にお風呂に行く途中も、陽向に訊かれた。
「お風呂、
好きだと分かってしまった人と裸を見せ合うのは心配じゃないか、という意味だろう。
「多分、平気だよ。一緒のお風呂なら中学の頃から経験してるし、じろじろ見られたりしなければ」
中学の修学旅行のときも、結樹の家に泊まったときも、一緒に入浴していた。湯船でくっつこうとすると「ゆっくりさせろ」と断られ、やけに寂しかったのを思い出す。あれも恋だった。
「なら良かった。私は長く浸かるの苦手だから、早目に上がっちゃうね?」
そう言った陽向の方が、どこか緊張していたのかもしれない。こっそりと伺った陽向の体はやっぱり綺麗で、服越しよりもずっと柔らかくて気持ちいいのだろう、なんて思ってしまった。
結樹のことはあまり見ないようにしていたが、湯船には浸からずシャワーだけで上がったらしい。部長の仕事が忙しいのか、あるいは生理中で気を遣ったのだろう、心の中で労る。
一方の、長く浸かる組はというと。
「
「
「ほんと? じゃあクリスマス会しようよ!」
気の置けない幼馴染ペア。昔から一緒にいるのが当たり前で、お互いの間合いに迷いがないのだろう。いつ見ても微笑ましいし、羨ましくもある二人だ。
そして、飛ばしていく大学生組。
「和可奈ちゃんのカラダを
鈴海さんに言われ、和可奈さんの顔が真っ赤になる。
「抱い……あの、してないとは言いませんけど。ずーみんさんの言い方だと陸斗さんの名誉がぁ……」
「何さ、してんなら名誉もへったくれもないでしょ」
「その、私から誘う方が……やっぱなんでもないです!」
そっぽを向きながらも、和可奈さんはどこか嬉しそうだった。惚気たい、という気分もあるのだろう。
「けどお似合いすぎてヤバイですよね、陸斗さんと和可奈さん。歌とバンドのリーダー役ですし、公私で最強じゃないですか」
陸斗さんとは数回しか会ったことがないが、爽やかで格好いい人だ。男性にしてはすごく肌が綺麗で、服装も洗練されている。さっきの練習でも、機材に慣れない合唱部員たちへにこやかに指導してくれたし、ギター演奏も巧みだと素人耳にも分かった。
そして和可奈さんは、私の知り合いの中で理想の女性に最も近い人だ。美人なだけじゃなく、魅力を磨く努力を欠かさない。グラマーで綺麗な体型だって、単にバストの発育が早いだけじゃないだろう、日々気を遣っていないとあんな風には見えない。
合唱部の練習のときは、誰よりも早くお手本になっていたし、指導は明るいながらも粘り強い。要求は甘くないのに優しさを感じさせる、そんなリーダーシップは今の部の基礎につながっているのだろう。
どこを取っても、凄い先輩たちだった。華やかさも、その裏にあるだろう努力も。
二人が仲睦まじいカップルなのは部員みんなが知っていて、誰もが尊敬と祝福を贈っている――誰かは嫉妬しているのかもしれない、けれど。
そんな眩しいカップルの、パートナーの在り方に、私だって憧れてしまう。
お互いを愛し合い、高め合う、だけでなく。大切な人たちに認められ、祝福するところまで。
もし私が陽向と付き合えたなら、きっとそんな姿に近づけるだろう。
人間としても合唱部員としても、こんなに良い相棒になれているのだ。私たちの仲が良いのだってみんな知っている、「ライブでも名コンビだね」なんて何度も言われる。
けど、それは本当の姿じゃない。私たちは恋人として付き合っています、なんて今は言えない。もっと時間が経って、世間の色んなことが変われば言えるのかもしれないけれど、高校生のうちは無理だろう。
高望みだとは分かっている、そもそも陽向と付き合えるかなんて分からないのだ。
それでも、いつか。
本当のことを知ってもらって、大切な人たちの祝福を浴びながら、ふたりで歌う――そんな夢が、芽生えてしまう。
「……ちゃん、詩ちゃん!」
「え、はるちゃん?」
ぼうっとしていたら、春菜に声をかけられる。
「大丈夫、のぼせちゃった?」
「ううん、ぼうっとしてただけ……よいしょ」
立ち上がる、少しフラっときたが問題はない。けど長引いていたら危なかったかもしれない、やはり春菜の目は確かだ。
脱衣所の前で体を拭きながら。華奢そうに見えてウエストが締まっている訳でもない、胸だってあまり育っていないこの体は、ビアンからしても魅力に欠けるのだろう、なんて思ってしまった――じゃあ希和は、と考えそうになったところで頭を振る。いま考えても仕方ない、歌う元気をつけるのが最優先だ。
叶うか分からないことより、もう叶わないことより、頑張れば実現することから考えよう。
けど。
一緒にいる時間がいつもより長い所為、だろうか。
陽向が欲しい、誰より近くて深いところまで触れ合いたい、その気持ちが収まってくれそうになかった。
もう、そろそろ、我慢できない、頃かもしれない。
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