3-8 私の歌の、はじまり

 雪坂ゆきさか高校合唱部の十人、プラス松垣まつがき先生。信野のぶの大からはジェフさんと和可奈わかなさんにバンドメンバーを加えた七人。トータルで十八人の大所帯が、今回の合宿の参加メンバーだ。十月の連休を使った、三日間の日程である。

 行き先は大学生メンバーも使ったことがあるという、スタジオ付きの高原のペンション。貸切なので存分に練習できるというし、ご飯がすごく美味しいという。ちなみに大学生が泊まると夜は盛大に飲むこともあるというが、高校生もいるため今回は全面的に禁酒だ。


 これまでバンドメンバーだけでの練習はされてきたというが、合唱部メンバーとの顔合わせは初めてである。

 普段は会うことのない軽音系の大学生、チャラいお兄さんとかいたら困るかも、なんて失礼な偏見を抱きつつ集合場所に向かうと。


「かわいい……えってかマジでイケメン女なんだけど、君マジで高校生?」

「そうですね、書類が確かなら高一ですよ私は」

 知らないお姉さんに陽向ひなたが口説かれていた。いや、口説くとかじゃないんだろうけど。


 邪魔していいものか迷ったけど、大学生チームの一員なら挨拶は必要だろう。とりあえず陽向に声をかける。

「ヒナちゃん、おはよう!」

詩葉うたはさん! おはようございます、この方が……」

 紹介されかけたお姉さんは、私を見るなり息を呑む。

「美少女また来た!?」


 陽向を気に入ったというより、女子全般にこういうノリなのだろう。部の陽子ようこ先輩もこんな感じだった。


「おはようございます、雪高二年のひいらぎ詩葉です。信野大の方ですよね?」

「あっはいそうです! キーボード担当の鈴海すずうみ真結まゆと申します、ずーみんとお呼びいただけると喜びます!」

「ずーみんさんですね、よろしくお願いします!」

「はああ、天使、天使ナンデ……」


 鈴海さんに拝まれた私が困惑していると、また新たに声が掛かる。

「ちょっとずーみん? いきなり高校生にナンパしないの!」


 トランクを引いて歩み寄ってきた、こちらの女性も信野大メンバーだろう。

「あ〜ぶっきー! 違うの、浮気とかじゃな、むぎゅ」

 言い訳と共に駆け寄ってきた鈴海さんの頬をつついて制止してから、【ぶっきー】さんは私たちに声をかける。

「おはようございます、信野大の山吹やまぶきさとみです」

 再び自己紹介。山吹、から【ぶっきー】が愛称らしい。


「うちの鈴海がごめんね、うるさくて馴れ馴れしいオバチャンなだけで害はないから安心して……後、ここに呼ばれるくらいは腕も確かだから」

 山吹さんはそう語りながら、手は鈴海さんとじゃれている。

「何さオバチャンって、お姉さんでしょ年齢的に?」

「褒めてるんだよ~、ずーみんは包容力があるから」

「えへへ、ぶっきーらぶらぶ」 

 元から仲良しだったのだろう、ふわふわとした空気に私たちもリラックスしてきた。


「ぶっきーさん、パートはどこなんですか?」

 陽向の質問に、山吹さんは「どこでしょう?」と返す。


 キーボードは鈴海さん。ギターも心当たりがある、和可奈さんの彼氏だ。残るはベースとドラムスだが、彼女はベースは持っていない。荷物のシルエットからしてもドラムスが妥当だが、消去法で答えるのも気が引けた。ここは盛り上げた方がいい気がする。


「ドラムが似合うな~と思いました!」

 私が言うと、山吹さんは「ほんと!?」と顔を輝かせる。

「正解だけど、似合うって言ってくれて嬉しい~、あんまりイメージ合わないって言われるからさあ」

 山吹さんは小柄な方で、綺麗な黒髪ロングに眼鏡である。確かに、ドラムスよりはピアノの方がイメージしやすい、けれど。


「それはそれでギャップ萌えがすごそうですよ?」

 陽向が言うと、鈴海さんはバンっと両手を叩いた。

「それオブそれ!! マジ最高だから、あっちで合わせるの楽しみにしててね」


 そうやって話すうちに、他のメンバーも集まってきた。荷物を手分けして積んでから、バスに乗り込む。

 早くから交流を深めるべく、二人掛けの席には初対面の同性同士で座ることになった。しかしその分け方だと合唱部の女子部員が余り、左側に一人で座ることになる。私も余った側だった。


 反対側に座っているのは、鈴海さんと沙由さゆ。鈴海さんは沙由の可愛らしさに感動しきりで、初めは孫を迎えたかのようなテンションだったが、段々と落ち着いて音楽の話に移っていった。


「つまりあの子、香永ちゃんがきっかけだったんだ」

「そうなんです! 香永の歌、綺麗なのはもちろん迫力もすごいんですよ、ばっちり聴いててくださいね……そうだ、詩葉さん!」

「ん、なに?」

 沙由に話を振られ、そちらを向く。


「詩葉さんも、合唱はじめたのって高校からですよね? きっかけ、聞いてもいいですか?」

 思い当たることはある、覚えてもいる。

 けど、正直には言いづらかった。


「結樹がやりたいって言ってたから、だね。

 後、中学のときに褒めてくれた子がいるの、声が綺麗だなって」

「へえ、素敵……! 私もすごく思います、詩葉さんの声って聞いてて浄化されるんですよ」


 褒めてくれた子、嘘ではない。

 けど、それが希和まれかずだということは、どうしても言えなかった。


*


 中学二年のときの思い出だ。

 そのとき、私と結樹ゆきと希和は同じクラスたった。一年のときは私が結樹と同じクラスで、結樹が参加した行事の実行委員に希和がいた……というのが、知り合ったきっかけである。

 前年度はリーダーとして矢面に立ち続けた結樹は、「今度はお前が代表やってくれ、迷ったら私が決めるから」と希和を学級委員長に推し、自分は副委員長になった。希和は結樹から突き上げられるわ、クラスじゅうに頭を下げ続けるわで大変そうだったが、グダグダすることなく行事が進んだのは確かだった。


 しかし秋の文化祭、クラス合唱の練習は波乱が続いた。

 その年の音楽科の先生はたいそうな熱血派だった。音楽への情熱があるのは良いのだが、やる気のなさそうな生徒には攻撃的だったし、理想通りにいかないと機嫌の悪さを隠さない人だった。とはいえ、生徒の頑張りには大喜びする人だったので、慕っている生徒も多かった。

 結樹も希和も真面目なタイプだったので、最初はその先生に好意的だった。私も先生に気に入られている側だったので楽しみの方が勝っていたし、半分以上は面白い授業だと思っていたようだ。しかし、忌避している生徒も少なくなかったし、一部の生徒は恐怖さえ抱いていた。


 その二極化は、文化祭を前にさらに激しくなる。先生は完成度を高めるために、授業以外でも練習を開こうとし、その調整を学級委員に任せた。私たちのクラスに限った話ではなく、担当するクラスは皆そうだったという。

 結樹たちは先生の熱意に応えるべく、クラスをまとめにかかった。しかし、厳しい練習にストレスを抱えている人もいたし、部活や委員会の都合で練習に出られない人もいた。そして先生は「クラスが揃わないと意味がない」と、ますます厳しい指導を先鋭化させていく。


 はじめは積極的な人が多かったクラスも、次第に割れていく。「もうついていけない、身が保たない」という意見も増えていった。その中で、熱心に練習を進めようとしていた学級委員は敵意を向けられるようにもなる。

 結樹はあの頃から鋭い雰囲気だったぶん、直接の非難よりも陰口が盛り上がっていた。そして結樹は、そうした反応も受け流すようになっていたので平気そうだった。むしろ耳にした私が落ち込んだり怒ったりする方が、結樹を困らせていた気がする。

 しかし希和は逆だ、腰の低い彼には頼み事はしやすいし、非難もぶつけやすい。「もう止めさせろ」も「後少し頑張ろう」もぶつけられ、さらには先生との連絡も担当していたため、板挟みでボロボロだった。


 ある日の放課後、結樹と希和は今後の方針を相談していた。私も二人が心配で、そこに同席していた。


「ここまで頑張ってきたのを投げ出すの、私は気に食わない。けどみんな、というか飯田が限界だってのも分かる。

 ほどほどの練習にしようって先生を説得するなら、私も一緒に頭下げるから……飯田はどうしたい?」


 結樹に訊かれた希和は、しばらく考え込んでから「退きましょう」と答えた。

「これ以上頑張ろうとしても雰囲気が悪くなるだけだよ。努力のぶんだけ達成感も来るから進むべきって考えてたけど……もうコンコルド状態っていうか、三国志後半の蜀っていうか、そういう段階。撤退が正解です」

「了解。撤退戦のしんがりは過酷なんだけどな、ちゃんと戻しきるぞ」

「頼むね。けど僕らだけで決めた形にするのもダメだし、明日のうちにクラスの意思確認しよう。決まったら早いとこ先生に伝えて……うう、怖え……」


 二人の持ち出す喩えはよく分からなかったけど、希和が落ち込んでいるのは分かった。項垂れる彼を見ていられなくて、背中をさする。

飯田いいだくんがすごく頑張ってたの、私は知ってるよ。きっとみんなも、先生も分かってくれるよ」


 あの頃はお互い、異性だからって意識が今よりも薄かった。「飯田は女子との距離をもっと考えろ」と結樹が言い出すのも、もう少し後からだったはずだ。


「ありがとう、ひいらぎさんがいて助かったよ」

 希和はほっとしたように笑う。私の手に、照れたり反発することもなく。


「けど惜しいな。あの曲すごく好きだったんだけど、よくない思い出が残りそうで」

 結樹の言う通り、そのとき取り組んでいた曲は生徒からの評判も良かった。私だって大好きだったし、色々あった後でも曲は変わらず好きだった。


「なんか……申し訳ないよね、作った人に。こんな気持ちで歌ってほしいとか、思ってないだろうし」

 そう語る希和がいたたまれなくて、私は思わず立ち上がる。


「歌おう!」

「……うん?」

 結樹が怪訝な顔をするが、構わず誘う。

「思いっきり楽しんで歌おうよ、この三人で! それで良い思い出にしようよ、せめて」


「詩葉なあ、」

「まあ、いいんじゃない?」

 結樹は呆れ顔だったけど、希和は賛同してくれた。

「教室だし大声ではマズイけど、伸び伸び歌ってみるのは気分転換にちょうどいいでしょ。僕も、色々気にするの疲れたし」

「でしょ! ねえ、結樹も!」

「分かった分かった、あんま調子乗って声張るなよ」


 ちょうど、混声三部が揃っていた。伴奏もなく、その場の勢いに任せた歌だったけど、ただただ楽しかった。

 この詞が、このメロディーが、この和音が好き。一緒に歌う人が、大好き。ただそれだけを感じて、声と呼吸を重ねていた。


 結樹は綺麗に背筋を伸ばして、自分を見つめ直すように。

 希和は指で歌詞をなぞりながら、半泣きの顔で。

 私はくるくると歩き回りながら、ただ自由に。


 私も、きっと二人も、曲の記憶を鮮やかに上書きできた、そんな時間だった。


 歌い終わって、そのまま笑い出して。ふと、希和が呟く。


「柊さんが歌ってるの初めて近くで聴いてたけどさ。

 声、綺麗だよね」


「――え、ほんと!?」

 大きくなってからは初めて言われた――幼稚園くらいのときに親戚に可愛がられたとか、それ以来である。賑やかとはよく言われるし、うるさいと言われることも少なくないけど、「綺麗」は初めてだった。


「うん。澄んでてまっすぐで、聴いてて気持ちいい。明るい歌によく似合うよ」

 希和なりの精一杯の褒め言葉、だったのだろう。けど私の最優先は、やっぱり彼じゃなかった。


「ねえねえ結樹もそう思う? 私の声、どう?」

「愛嬌あるのは同感……けど今の発声は雑すぎる、磨けば光るんじゃない?」

「ざ、雑……確かに声の出し方とかよく分かっていないけど!」

 抗議する私の頭を、結樹が雑にかき回す。大体、それで私は満足してしまったのだが。


 その後の結樹の言葉は、私にとってとても大事だった。

「そういえば私、中学では合唱部に興味あったんだよ。ブラスは小学校で揉めて辞めたし、けど音楽はやりたかったし……うちに部がなかったから社会科部にしたけど」

 ブラスバンドの話は聞いていたけど、合唱部の話は初耳だった。結樹がクラス合唱にこだわる理由もそこだろうか。

「じゃあ結樹、もし高校で合唱部あったら、入る?」

「まあ……入りたいわな。雰囲気とかにもよるけど」


 結樹の歌をずっと聴きたい。

 私の歌を磨いて、結樹に聴いてほしい。


 その感情が、少し先の私の夢を形作っていく。


「じゃあさ、もし私が結樹と同じ高校に入って、そこに合唱部あったら、一緒に歌おうよ!」

「おう……そりゃ、同じ高校だったら構わないけどさ」

 結樹は戸惑っていた。当たり前だ、あの頃の私の成績は結樹よりずっと下だった。しかし、それを直球で指摘するのは憚られたのだろう。


武澤たけざわさんの志望って国公立の薬学でしょ、それでこの辺……ああ、雪坂は合唱部あるよ。取材で見たことある」

 希和からの情報に、結樹は「実際そこは考えてる」と頷き、私は顔を引きつらせた。あの頃の私にとって、雪坂のハードルは相当に高かった。


「うう……とにかく、勉強めっちゃ頑張るから! 一緒の高校で歌おう、ね! 結樹!」

「分かった分かった、だからしっかり成績上げろよな……」

「頑張って、柊さんは心に決めたときのパワーすごいから、意外と何とかなるよ」


 そのとき。希和とも高校が一緒になるか、それを私は考えていただろうか。

「飯田くんとも一緒に」とは、言っていなかったはずだ。そして彼も、そこに触れたりはしなかった。


 思い返せば、ずっとそうだった。三人でいるとき、私は無意識に希和を仲間外れにしていた。

 彼だけ男子だから、それは理由として充分だろう。悪いことをしたと、はっきり悔やんでいる訳じゃない。そもそも結樹に抱いていた感情の正体は恋だったのだ、好きな人ばかりに意識がいくのは仕方ないだろう。


 ただ。結樹を、私を、当たり前に尊重してくれた彼にとって。

 自然に、暗黙のうちに、自分が二の次にされることは。きっと、無傷ではなかった。それが自然すぎて、傷だとすら感じられなかったとしても、きっとどこかが痛んでいた。

 真田さなだ先輩を前に、私は結樹の二番目だった。今なら、その痛みが分かる。


 もう少し早く、自分の本心に気づけなかっただろうか。そうすれば、向き合い方にこんなに迷うことも、届かない苦しさを抱えることもなかった。彼にも、抱えさせることなかった。


 ――なんて、今は全部、後の祭りだけれど。



 車中の後半は寝ており、気づけばペンションに着いていた。

 十月の高原は、やはり寒い。厚めの上着で正解だったと思いながら、荷下ろしに参加する。


「詩葉さん、ちょっと」

 居てほしいな、というタイミングで陽向が来た。

「うん、なに?」

「髪が……寝ぐせですか?」

「うん、寝ちゃってたの」


 手早く、陽向が櫛で直してくれる。

「よしオッケー、可愛いよ」

「もう……ありがと」

 秘密の話し方を小声で交わす。


 やっぱり、今の私の一番は、陽向だ。

 女子として、歌い手として、人として、私の全部が求めている。


 ――ここで何か変わるだろうか、と期待を抱きながら、合宿が始まった。

 

 

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