3-3 みんなとの音楽、その岐路

 夏休みの終盤、始業式より少し先に、合唱部の二学期は始まった。

 これからの活動を決める、大事な話し合いがあるという。


 雪坂高校のある信野のぶの市にある唯一の大学が、信野市立大学である。雪坂高校からの進学者は多く、昨年度の卒業生でもある和可奈わかなさんも在籍していた。

 先日、結樹ゆき希和まれかずは和可奈さんから信野大に招かれ、ジェームズ・フレディ・ルーカス(愛称ジェフさん)というアメリカ出身の学生と会ってきた。そこでジェフさんから提案されたのは、信野大の軽音系の学生と合唱部で協力してゴスペルライブを開催しよう、という企画だ。

 ゴスペルというと、「熱くて荘厳な合唱」というイメージが強いが、黒人霊歌の流れを汲むキリスト教系の音楽である。昨年、私たちが陽向ひなたと出会った演奏会で歌っていたのもゴスペル曲のカバーだったが、あくまでも日本の混声合唱に落とし込んだものだった。今回はそれを、本場のゴスペルを経験したジェフさんの主導でやってみないか、というコンセプトだ。


 さらに。ジェフさんが日本の学生とのゴスペルにこだわるのにも理由があるという。かつてアメリカで日本人の友達(ジュンさん)と出会い、一緒にゴスペルを歌おうとしたものの、宗教的な背景から周りに止められたという。いつか別の場所で一緒に歌おうと約束したものの、ジュンさんは震災で亡くなってしまい、叶わずじまいだった。せめて日本の若者たちと、その想いを継ぎたいというのだ。


 ジェフさんからは資料として、本場のゴスペルアーティストや日本の大学サークルのステージの模様も示されていた。どんなステージになるか、普段の合唱部との違いは何かが明確に伝わってきたし、松垣まつがき先生からも時間をかけて説明されていた。


 その上で、提案に乗るかを話し合おう……というのが本日。

「ジェフくんが言ってるように、みんなが普段やってる合唱とは方法論が全く違うから、コンクールでの成績を第一に考える学校なら普通はやらないと思います。回り道どころか、感覚が違くてマイナスにもなりかねないから。そもそも生活サイクルの違う集団と一緒に練習するってのは、それだけでも大変。

 けど、アメリカから来た人と、楽器やってる大学生と、前例のないステージを作るって機会は、すごく貴重だと思う。ほんとに今ここでしか出来ないことだし、音楽で違う立場の人たちがつながるのは理屈抜きで素晴らしいことだよ。

 私から言うのはここまでだから、後はみんなで決めてください。やるとなっても、やめるとなっても、先生は張り切って指導します」


 主導権は生徒たちに渡される。前顧問の海野うんの先生のときも生徒主導で演目は決められてきたが、出るイベントまで生徒で決めるのは初めてだ。選ぶ重さを感じてか、部員たちの表情も張り詰めている。


「大まかなメリットとデメリットは、先生の言った通りです。ただ、回り道をした後悔も、貴重な機会を逃した後悔も、背負うのは私たちです。だからそれぞれ、感じたことを自由に言ってほしい。今日話し合って、明日の投票で決めます」

 結樹が流れを引き継ぎ、まずは自由に意見を言う時間になる。


 私は一瞬だけ様子を見てから、深呼吸して手を挙げる。いい先輩であれ、それ以上にぶれない人間であれ――こういう場で積極的になろうと、夏休みの間に決めたのだ。結樹はやや意外そうながらも、すぐに私を指名。

「はい。こういう華やかで格好いいステージでの姿が実績として残れば、もっと色んな人が合唱部に興味を持ってくれると思います。それで部員の幅も広くなれば、きっとコンクールにもプラスになるはずです」

 希和は演奏を聴いたというより、取材で知った部の空気や熱意に惹かれて入部してきた。陽向だって、攻めに攻めたアレンジでの演奏がきっかけでやってきた。スタンダードな合唱ではない姿を見せることでこそ、入ってくる人も増えると思ったのだ。


 続いて、あき

「私は元々こういう歌がやりたくて、けど軽音がないから渋々合唱部にって感じだったじゃん。だから洋楽みたいなのも歌ってるよって言われたら、もっとスッキリ入ってたと思う」

 以前から語っていた通り。歌いたい、けどやるなら派手で華やかで映えるのがいい――という明にとっては、むしろど真ん中である。

「けどさ、元からハーモニー重視の合唱をやりたいって人からしたら、こういうの逆に余計なんじゃないの? ウチは分かんないけど」


 明の発言に応じてか、香永かえから出たのは慎重論だった。

「やる側も聴く側も楽しい、それは私もすごく思います。

 ただ、ずっと維持してきた発声の方法を、頭声寄りから胸声寄りって急に変えるのは難しいですし、元の形に戻すのも苦労しそうですし……どっちつかずになるリスクは、覚悟要ると思います」

 福坂ふくさかくんも「俺も同意見です」と賛同。二人は長く合唱をやってきた人たちだ、技術的な懸念にも説得力がある。


 さらに希和は、ゴスペルへの興味も強く抱いていたようだが、ここでは別の観点からも慎重派に回る。

「そもそもこれまでの僕らの合唱は、常に先輩の技術に支えられてきたじゃないですか。個々の能力の優劣は簡単に言えることじゃないけど、全体で見たら技術も指導もレベルは落ちているはずで、そんな僕らがハードルの高い挑戦をするってのは、思っている以上に難しいことかもしれません」

 希和は昨年度のゴスペルチャレンジを経験している、というか一番苦労していたし、周りに苦労もかけていただろう。アレンジにも指導にも長けていた奏恵かなえ先輩をはじめ、一つ上は強者揃いだった。追いつけないと見切るには早すぎるけど、あの先輩たちの代わりはできない……ということは、結樹との話でも出ていた。しかし結樹は部長としてネガティブなことは言いにくい、そこで希和が口にしたのだろう。

 沙由さゆも「言いにくかったんですけど、それは私もかなり心配でした」と言った。短い期間でも、先輩たちとの開きは感じていたらしい。彼女は初心者でもある、ハードルを上げたくないという感情もあるのだろう。


 慎重論が強くなったのを感じたのか、今度は陽向から。

「先輩がいない分の力量が劣るのに対し、失った分をそのまま埋め合わせるというアプローチも勿論アリでしょう。けど違う道を辿ることで、新たな価値を手に入れるという発想もできるはずではないでしょうか……それに今は、松垣先生もいらっしゃいますし、ジェフさんも経験豊富とのことですし。指導者に恵まれているぶん、チャンスにも思えます」

 清水しみずくんも、陽向を後押しする。

「僕は陽向さんほどポジティブに考えられないですけど、それくらいポジに振り切った方が伸びにつながる気がします」

 清水くんは難しさに悲鳴を上げることも多いけど、達成したときの喜びもはっきり示すタイプだ。実際、入部からコンクールまでの期間ですごく伸びたと、他パートからでも分かる。


 技術面での賛否が拮抗してきたところで、春菜はるなは精神的な観点から意見を出してくれた。

「みんな成長早いから、技術の心配はそんなにしていないんだけど。クリスチャンのジェームズさんと、そうじゃない私たち……ごめんね、人によってはクリスチャンだよね。少なくとも、キリスト教に馴染みのない人の方が多い私たちで、ちゃんと心がシンクロできるのかなって」

 もっともな意見だろう。昨年はゴスペルと言いつつ、宗教的な意味合いはほとんど考えていなかった。本場のキリスト教が背景にある人と、色んな宗教を浅く広く取り入れている日本人では、足並みが揃わない心配もある。

 春菜の不安そうな口調が気になったのか、結樹が答えた。

「気持ちは分かるけど。だからこそ、共演する意味があるって話じゃないのか?」

「……そうだね、うん」

 キリスト教というより、アメリカ文化の話かな、と私は思った。春菜はおじいちゃんっ子なのだが、そのお祖父さんは従軍経験もあり、欧米には複雑な感情を抱いているとも聞いたことはある。


 いつの間にか、部員全員から意見が出ていた。議論に参加しつつも書記をしていた希和が「書くの間に合ってないからタイム」と小休止を要請、トイレも兼ねた休憩に入る。結樹は彼のメモを確認して、溜息をつく。字が雑なのに加えて、彼は自分にしか通じない略記が多い。

「これ、飯田はちゃんと読めるんだよね?」

「読めてるんですよね、これでも」

「そう……悪いけど、みんなが読めるように後で清書してくれ。持ち帰ってワード印刷でもいいから」

「ういっす」


 人が戻ってきたタイミングで、希和はメモを読み返しながら言う。

「呑気な感想だけどさ。ちゃんと両面の意見が出るって、いいことだと思う」

 松垣先生もそう感じていたらしい。

「そうだよそうだよ~、幽霊ばっかの会議なんていくらでもあるし。どの年代からも、どの意見持ってる人からも発言が出るのは良いチームの証」


 その言葉をきっかけに、清水くんがまた手を挙げる。

「じゃあ僕もまた……僕は高校から合唱始めた人間なので、信頼性は薄いかもしれませんが。多分ゴスペルって合唱よりは、どストレートに感情をぶつけられると思うんですよ。身体も自由に動かせますし。音楽で人の心を動かすのが僕らの目標なら、こういうエネルギッシュに振り切った演奏も糧になるんじゃないでしょうか」

 そしてさらに意見交換が続き、投票は明日の部活に持ち越しになった。さらに九月には体育祭で、クラブ対抗リレーという名のエンタメ企画があるため、そこへのネタだしにも取りかかった。


 少し時間が経ったせいか、陽向とちゃんと相談できたせいか。前よりは自然に、部のみんなと過ごせていた。このままなら上手くごまかせるな、そんな実感があった。

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