3-2 私たちの、行き先
私自身のことは陽向に聞いてもらったので、今度は同性愛のことについて陽向から聞く番だ。当事者の私だって、全然詳しいわけじゃない、最初に私が抱いていた「同性愛のこと」という括り自体も狭かったのだ。
「まず詩葉さんに読んでもらいたいの、この本です。私も色々調べながら自分に納得してきたんだけど、これが一番分かりやすいし」
陽向に渡されたのは、「みんなのための、虹色社会のススメ」という新書だ。去年出たばかりの本で、背表紙には「性的少数者・LGBTQについて、誰もが理解できる一冊」とある。
「【みん虹】って略されてるかな……そっちは
「ええ、それだとヒナちゃんが読み返したり、」
陽向の手には同じ本がもう一冊。「昨日、買っちゃった」と楽しそうだ……布教用に余分に買う人がいるのは知ってたけど、新書でそれをやる人は初めて見た気がする。
「ちなみに詩葉さん……いや、ご家庭はどんな感じ?
「あんまり良い印象は持ってないんじゃないかな。親不孝とか、治した方がとか言ってた気がする」
「そっか……辛いと思うけどさ、分かってもらわなくても何とかなるから、ね」
「うん。ヒナちゃんは? ご両親は知ってるの?」
「言ってないよ。二人とも、できるだけ理解して配慮しようとは思ってる人だけど、私がそうだとは思ってないだろうし……けど、言えば分かってくれると思うよ。今は驚かせたくないっていう、私の事情で伏せたいだけ」
うちの両親には言えないだろう。世間の空気は気にする人だし、劇的に社会が変わればあるいは、とは思うが。
それからしばらく、本の内容を追いながら、セクマイのことを陽向から教えてもらった。
同性が好きとか、心と体の性が違うとか、一つずつ別々に考えるのではなく。
人の性にまつわる事柄を、
「例えば詩葉さん、自分は女の子じゃないかも、って思ったことは?」
「ないかなあ……周りの女の子と同じだってのは疑わなかったし、大きくなったらお母さんみたいになるってのも自然に分かってた気がする」
「そう。だから詩葉さんの場合、自認は女性、指向も女性、になるじゃない? 人によって、この二点がそれぞれ男になったり女になったり、【どっちでもない】になるだけで。心身の性が一致して異性を愛するのは、割合として多いだけで、それだけが正しい訳ではない……ってのが、本来の在り方なんだけど」
難しいよね、と陽向は溜息をつく。
「私だって、目に映る人を自動的に男女で分けている。同年代の異性どうしが手をつないでいたら恋人だろうって思う。見かけが男性の人が近づいてきたら警戒を始めるし、女に見える知り合いでも心は男かもってほとんど考えたことなかった。両親だって、女と男として生きてきて、ふたりが愛し合って私は生まれた。それが自然だって思う理由も、分からない訳じゃない……けどね」
陽向は目を上げて、私の手を取る。
「私は、私たちを悪く言われるの、やっぱり嫌だよ。誰が認めなくても自分のことは誇れるけど、胸を張って誰かと結ばれたい、みんなに祝福されたいって気持ちも消したくない。
同じ立場の人、全員のことまで考えられる訳じゃないけど。詩葉さんと、詩葉さんが好きになった人のことは、全力で支えたいって思う」
私が陽向に惹かれる理由が、またひとつ分かった。
周りに依存しない、揺らがない芯の強さがあって。
それを大事な人に押しつけず、怖さや不安まで包んでくれる。
「私も。誰かが否定するぶん、ヒナちゃんの勇気になりたい」
――陽向が現われるのが、私の前で良かっただろうか。
同じレズビアンでも、私よりもっと悩んで、苦しんでいる人が、きっといる。その人の隣にこそ、陽向はいるべきかと思ってしまう。
けど、陽向は今、私の前で、私を支えようとしてくれている。私が出来るのは、元気な姿を陽向に見せることだ。
「そういえば、これ書いたのってどういう人たちなの?」
陽向に訊きながら、著者の欄を見る。研究者、活動家、医師……複数の専門家が各パートを分担している。
「……って感じで色んな人が集まってるんだけど、編者になってるのはこの人だよね。
この大学に行けば、この先生みたいな仕事ができるだろうか。私たちと同じように悩んだ人の、助けになるような。
……まあ、この大学は難しそうだけれど。革聖女子大学といえば、国内の女子大のトップレベルだし、全体で見ても難関の部類に入る学校だ。
けど。
明確に、この大学に行きたい、この勉強がしたいと思えたのは初めてだった。
同じ場所でなくてもいい、近い志を持っている人はきっと大勢いる、また探してみよう。
*
「みん虹」を交えた話は、一時間以上も続いた。
「けど良かったぁ……ずっと誰かと、こういう話したかったもん」
真面目な話を終えた反動か、陽向は背伸びをしながらベッドに倒れ込む。ゆるみきった表情と、仰向けという見慣れない姿勢に、体の奥が疼く。
聡明で、真摯で、頼もしくて、優しくて。けどやっぱり、すごく可愛いのだ、陽向は。
今はまだ、結樹への恋心が消えない。いつからかなんて分からないけど、もう三年間くらいは友情と恋が同居していた気がする。それは、諦めるほかないと分かったところで、簡単に消せる重さではない。そもそも結樹は、「こんな女性が好き」という私の理想に直撃しているのだ。背が高くて、髪が長くて、バストの曲線が綺麗で、頭が良くて、誰に対しても堂々としている強い人。
もしかしたら、結樹は男性だけでなく女性も愛せるバイセクシャルだ、という可能性もあるけれど。ずっと彼女を見てきた上で、私の直感はそれを否定している。
そもそも結樹に告白するなんて出来ない、私はずっと結樹の友達でいたい。私がレズビアンであることはきっと認めてくれるだろう。けど、私が恋心を向けてきたことまで受け止めるのは、結樹にとって難しいはずだ。それで心の距離ができてしまうなら、私は最後まで秘密にしたい。
だから、結局どこかで、結樹への恋は終わらせる。終わらせないと、私は進めない。
そのときに私の心が誰を求めるかなんて決まっている、陽向だ。
これまで出会った中で唯一、私と結ばれる側の人。
女性として、仲間として、あまりにも優れた人。
よほど嫌な所が見つかるか、明確に断られでもしない限り、私は彼女に恋していくのだろう。付き合えたなら、物凄く幸せなはずだ。
けど、それはどこか後ろ向きな恋路だった。
ずっと抱いていた恋が叶わないから、手の届く人に乗り換える。悪いことではないだろうけれど、つまりは打算だし、妥協である。
たとえ他の誰とも結ばれ得るとしても、私は君がいい――そう思えてからにしたい。理想が過ぎると自覚しているが、譲れない一線だった。こだわっているうちに陽向が他の誰かを好きになったなら、そのときは応援しよう。
それに。これから私が、同性愛者としてずっと生きていく、その覚悟だって正直ない。どこかで自分を偽って男性と結ばれた方が楽なんじゃないか、そうしなきゃ自分はやっていけないんじゃないか、そんな迷いだって消せてはいない。陽向と愛し合えたところで、私がその愛を裏切ってしまうかもしれないのだ。
だから、せめて今は、前提を固めておく。
「あの、ヒナちゃん、さ」
「うん?」
言いかけて、やはり口ごもってしまう。陽向は促すように、私の目を見つめている。
「私は。君を好きになってもいいんだよね?」
陽向の瞳の奥、揺れる感情が見える。
今の私たちだって、危ういバランスの
「……もし詩葉さんが私と付き合いたいと思ったらどうなるかって意味なら。勿論、私は君を歓迎します。むしろ私が、君を好きになっちゃいそう。けどね、」
陽向は少しだけ俯いてから、私の手を取って。
自分にも言い聞かせるように、答えを告げた。
「好きになっちゃいけない人なんて、誰もいないよ」
私が結樹を好きになったこと。
陽向がこれまで、誰か女性を好きになったこと。
あるいは、男性が私たちを好きになること――希和が私を好きでいるだろうこと。
その全部を、陽向は肯定しようとしている、気がした。
たとえ私たちが叶わないとしても、私たちが拒むとしても。
悲痛や苦悩の種になろうと、芽生えた恋心それ自体を、陽向は否定したくないのだろう。自分たちが困ることを承知で、自由を謳いたいのだろう。
「それでもね、詩葉さん。
君の好きな人が、君を好きでいる幸せを。私は、君に知ってほしい」
君に知ってほしい――君にも、そんな人が現われますように。それが妥当な解釈である。
けど私には、その裏に別の意味が聞こえた気がした。
君の好きな人に、心から愛せる人に、私はなるんだ、と。
核心の一歩手前で、私たちは微妙な距離を置いていた。
「うん。私も願ってるよ、ヒナちゃんがそんな幸せに会えること」
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